「……テレナ、返事を書いてくれるか?」
アニドは嫌そうな顔をしながらテレナに手紙を投げる。
「誰?」
「俺の苦手な女性」
そう言われたテレナが文面に目を通すと、かなりの圧が伝わってきた。アニドに対しての好意を隠そうともしていないが、それは恋愛というものとはまた別に思えた。だからこそその執着にも似た感情にテレナは顔をしかめたのであるが。
「……しかし、彼女はできれば繋がりのほしい人物ね」
その名前は、テレナでも知っているものだった。
「そうなんだよ、だから雑に扱えない」
彼女はアニドが王宮にいた時代に知り合った画家だった。少なくとも肖像画において、彼女に並ぶことのできる立場にいる画家は片手で数えるほどしかいない。特に貴婦人たちからは、彼女の絵と彼女自身は高い評判を得ていた。
それは絵画が工房の中で師匠から弟子に伝えられる修行ではなく、個人の挑戦によって挑むことのできる場所になりつつあることの表れでもあった。たとえ彼女が有名な画家の娘であり、若い頃から多くの芸術家に囲まれて育ったとしても。
「……宛先、『蔦の館』なのね」
「ああ、そうなるのか」
「アニド君は行ったことあるの?」
「何回かな。あそこはいい場所だぞ、王宮ほど堅苦しくはないし」
「一度は行ってみたいのよね、あそこは王認学術協会の本部もあるし」
統合王国の首都の範囲の隅に、その館を含む施設がある。かつて王宮として作られ、今なお多くの官庁が入る建物だった。特にその一角、最も古く、改修も進まない巨大な建物が「蔦の館」と呼ばれていた。多くの画家が、彫刻家が、建築家が、作家が暮らし、王認学術協会が本部を置くその施設は北側世界の文化と知識の中心と言っても過言ではなかった。
「必要なら案内してやるぞ、俺なら簡単に入れる」
「一般公開で入るわよ、たしかあそこ半年に一度開けているわよね?」
「あんなもん誰でも入れるぞ、むしろそういう日は見栄えだけ気にした成り上がりものが多く来るからやめたほうがいい」
「そういうものなのね……」
「それに誰でも入っていいと言いながら、まともな服を着ていなければ追い返されるわけだ。あれは良くないな」
アニドは蔦の館にあるものは好きだった。そこにいる人間はあまり好きではなかった。彼らは批判者を気取っているが、結局は王室の金がなければ生きていけない人たちだ。真に独立して生計を立てられる人間などいない。年金や寄付、あるいは出資をかき集め、それで暮らしている人たちがそこにいた。
彼らの挑戦はいい。ただ、その挑戦のために過去のものを否定するのはアニドの趣味ではなかった。そして彼らは自分の作ったものが見る目がないものに批評されることを嫌っていた。彼らは貴族に頼りながら、貴族よりも傲慢である側面があった。
「……蔦の館と言えばな、好きな部屋があるんだよ」
「へえ、どういうところ?」
「王認学術協会の博物学部門の倉庫だったな、あちこちから持ってきたものや、掘り出されたものが、そのまま放置されているんだよ」
「……扱いが雑ね」
「仕方ないさ、分類だけで何十年もかかるような量があそこにはある」
アニドはそう言って、幼い頃に見たものを思い出していた。ガラスでできた窓から差し込む光、組み上げられた大きな動物の骨格に、岩に埋もれた古代の生物。ただ、それは思い出そうとするとぼやけてきて、もしかしたら夢だったのではないかと思えるほどにはおぼろげだった。
「……また、行きたいな」
「行けばいいじゃないの」
呟くアニドにテレナは言う。
「学院の学生だろ、俺らは」
「……春の休みに、もし招待されたら学生としては学びのために行くしかないよね?」
「おい待て」
「この手紙の作者の方は、アニド君にまた会いたいようだし」
そう言ってテレナは女流画家からの手紙を振った。
「いや、別にそれは……」
「修了式に来ることができる人物は、どうしても保護者と学院の卒業生に限られる。そうじゃない知的集団、つまり邸宅社交界を中心とした集まりにはこちらから出向かない限り実態をつかみにくいんじゃないの?」
「いやしかし、そうすると移動があるだろ。俺だって庶子とは言え王室だ、テレナ嬢のように荒くれ者に護衛されて荷車で運ばれることを統合王国は許さないだろ」
「ふうん、ならもし学院から統合王国の首都に向かう馬車列があれば、その問題はなくなるわね」
「……あるよな」
「あるわよ」
卒業した公爵令嬢が務めを果たすために、誓願を行う。その担当者はフェルヴァジュ管区大監僧であり、つまり学院から統合王国の首都までそれなりの移動が行われるのだ。人手は必要だろうし、もし学院の学生が働きたいと言えば断られないだろう。
「行ってすぐ帰るようなことになるだろうが、冬に吸えなかった社交界の空気というのを思い出すのも悪くないな」
「あれ、学院は社交界ではないと?」
テレナの質問にアニドは頷く。
「統合王国の正式なやつと比べたら遊びや趣味の集まりに近いものだぜ、冬の学院というのは」
「そう。私は同君地域の、いわゆる真似事みたいなものしか知らないから」
テレナの言うように、同君地域の社交というのは統合王国の真似という側面があった。慣れない統合王国で会話をし、統合王国からの客人の作法を褒め、そして流行の文化を取り入れる。このあたりの趣味があまり良いものではないという点においては、テレナは家庭教師であったウィルトールと意見を一致させていた。
「……しかし、休む暇が無いな」
「学院で学ぶのに、そんな怠惰ではこの先困るのでは?」
「第三学年以降は授業も少なくなるからいいだろ、ちょうどいい時に問題が起こってくれたと言うこともできるが……」
「後輩たちには残念なことに、かもしれないけれどもね」
「次の学生が来る頃か、テレナ嬢の知り合いはいそうか?」
聞かれてテレナは首を振る。もともと彼女はそこまで社交界にいたわけでもないし、近隣の領地以外に足を運んだことも少ない。名前を一方的に知っている人の中で同世代は少なく、年下ともなればほとんどいない。
「アニド君の方は?」
「俺もその世代にはいないな、第三王子のいた頃はこっち側の学生は全員覚えていたが、それも俺が最後だ」
「王室派は愚かね」
「どういうことだ?」
「一番危ない人間が学年が上がるほど、監視がいなくなっていくんだから」
それを聞いてアニドは首を傾げた。どう考えても自分は眼の前の少女に比べれば危なくないのだがという反論をしようとして、しかしその反論が上手くいくとは思えなくて何も言わないことにした。