「死刑台に立つのってこういう気分なのかな」
テレナはそう言いながら、鍵のかかる部屋の中で資料を整理する。用意された時間は長いものではないだろう。互いに知っている前提を確認しあったら、すぐに本題に入るしかない。学院内なら手紙を直接渡すこともできるから、対面でしかできない話に集中するためには事前の準備は不可欠だ。
「……もっと泣き喚くものだぞ、貴族でもない限りは」
「貴族の場合は?」
「……静かに死ぬ。どうせ終わるなら、あのような態度を貫きたいと今は思うよ」
かつての粛清時代ならまだしも、アニドが物心ついてからは貴族が処刑されることは片手で数えるほどしかない。アニドが見たのも一度きりだ。だが、それはとても印象に残るものだった。
怨恨から起きた、王宮での刺殺だった。相手が悪かったのもあるだろう。とはいえ、加害者一人の処刑で済んだことは温情とも言えた。かつてのルメン七世の時代であれば、これを陰謀ということにして多くの貴族が連座させられただろう。
彼はじっと観衆を見ていた。そして目を開けたまま、振り下ろされた斧に叫ぶこともなく死んだ。
それは彼の高潔な魂ゆえのものだ、とアニドは信じていた。間違いなく、その思考は異端である。殺人という罪を犯しながら高潔な魂を持ちうるかどうかについては色々意見はあるだろうが、少なくとも貴族が上位の貴族を殺せばそれなりの扱われ方があるべきだった。
「貴族とはかくあるべき、という話ね。とはいえ別に失敗したところで死ぬわけでなし、少しは気楽に行きましょう」
「気楽に、か」
アニドはこれから会う人物を考えていた。聖座の枢要僧であるリュクバーンは、おそらく自分たちの計画のあらましを知っているはずだ。学院には彼の内通者がいる。修女のエネトは、おそらくテレナやアニドに並ぶ、しかしそれを隠す力を持った打ち手だった。
ファーネスタ・イリイダは彼女には劣るかもしれないが、それでも今の第四学年では間違いなく優秀な人物だ。そして彼女の父も、統合王国において有力な公爵である。話しかけられたというテレナの話し方からすれば、テワドレーム公爵はアニドたちのやりたいことを把握できてはいなくともどのように動いているかは把握できているはずだった。
アニドが統合王国の各地に送っている手紙は、隠されたものではない。それは学生からの質問であり、先輩との世間話であり、あるいは将来の仕事場探しであった。少なくとも、そう見えるようには作っていた。
その実態を把握できる立場にある人物の多くは、それだけの余裕がないとアニドは考えていた。その観点からすれば、テワドレーム公爵が理解しているということはアニドの失態だった。とはいえ、誤解を招いているほどではないというのが数少ない救いだ。
そしてラストゥイル公爵。学院の卒業生であり、病で死んだ兄にかわって公爵となった男だ。アニドの噂の限りでは優秀な人物という評価であったが、その仕事ぶりは詳しくは聞いたことがなかった。ただ、彼は統合王国の中で重要な仕事をしているはずだった。
ラストゥイル公爵家は間違いない王室派だ。それは長年の忠誠と血縁、そして王室との深い繋がりによって築かれた、裏切らないという信頼の上にある。かのルメン七世の粛清にて、ラストゥイル公爵家の人物は少なくない仕事をした。アニドの記憶では、ラストゥイル公爵家から「統合王国の裏切り者」が出たことはほぼないはずだった。
「……ラストゥイル公爵には、注意するべきだ」
「どうせ長い手とかそのあたりでしょう」
統合王国の長い手、という比喩はしばしば使われていた。それはそのような組織を統合王国が持っていないはずはないという帰結からのみ、その存在が示唆されるものだ。アニドが知る限り、それは公的には警察の一部となっていたはずだ。
ラストゥイル公爵家は軍と繋がりのない家だ。武芸に覚えのある従者程度はいるだろうが、組織化された軍隊を持っているわけではない。ただ、それ以上に機能して、恐るべきものを持っていてもおかしくはないとアニドは考えていた。
「……油断するなよ」
「ラストゥイル公爵が先代から仕事を引き継いでそこまで時間が経っているわけではない。それまでいた分野とは違うから、掌握できているわけでもないと思う。その実態を知る人が少ないほうがそれはうまく機能するから」
「そこまで読んでいるのか?」
「楽観的な想像よ、あくまで可能性として考えてほしいし、実態はもっと面倒だと思う」
「……ならいいが」
ただ、テレナの言うことにもある種の正しさがあった。家を継ぐということは容易なものではない。それは多くの家で当主の死後に混乱が起こることからもわかる。
死が近づいているなら、事前に準備をしておけばいいはずだ。それがわからないほど愚かな人間であれば、統合王国ではやっていけない。だからこそ、問題は継承というほうにあるのだ。それは大抵の問題をこなすことのできる優秀な人物たちでさえ、なかなか対応できないものと見るべきなのだ。
かつてのアニドはもっと世界を愚かだと思っていた。学院で学び、テレナと共に策謀を動かす側に回った彼はむしろ自分のほうが愚かだと思っている。勝てるものがあるとすれば、相手が地図を持っていないという事実だけだ。
アニドは壁にかけられたテレナの作った地図を見る。この地図を実物として持っているのは、おそらくここだけだろう。脳裏に持っているとなれば、おそらく社交界の重鎮と呼ばれる人々のみ。多くの人にとってそれは過剰であり、そしてそれを持たなければならない立場の人物にとってはわざわざ作るまでもないのだ。
ただ、この地図の存在は顔を合わせた社交ではない、手紙を通したやり取りにおいて力を発揮する。それはティロでテレナが学んだ議場学者たちのやり取りを参考にしたものだ。それは社交界を分析し、その中にいる実務者をよりわけ、そして彼らを狙うことを可能とする。
「アニド君はいつも通り振る舞っていればいい。私もそうする。だって誰もがそうするしかできないわけだし、そうすればいいように私達は動いてきたわけでしょう?」
「……そうだな、誰も崩壊なんて望んじゃいないし、戦争はないに越したことはない」
「共通理性よ、永久にあれ」
そう呟いたテレナは廊下に出て、数冊の本と紙束を手にしたアニドの隣で部屋に鍵をかけた。