アニドが三人に薄い紙で作った手書きの名簿を渡す。そこにあるのは、学院から手紙を送っていた人々だ。
「……聖座の側の人が、少ないですね」
リュクバーンは名前を確認しながら言った。全員を知っているわけではないが、なかなか良いところを選んでいるというのが感想だった。自分でもなにか困ったことがあれば相談するだろうという中堅や、有能だと聞いている若手が並んだこの名簿は、しかしそれを作るまでの苦労を感じさせるものだった。
「単に知ることができないから、ということです」
アニドは口調を調整していた。いつもの不敵なものではなく、正面から相手を見据えるような目線を維持していた。それは王宮での経験ではあまり積むことのできなかった、学院で教授のヨルワから叩き込まれた王道の社交術を参照したものだった。
「なるほど、確かに聖座はあまり外とかかわることがないからね」
「リュクバーン猊下を見ていると忘れそうになりますが、彼らが動くのは教会の中と、そして社交界には入れない人たちです。だからこそ、できればそういう人を紹介してほしいのですが」
「わかった。僕の知る範囲でよければ、何人か手紙を書いてみるように頼んでみるよ」
そう言ってリュクバーンは誰を紹介するかを考える。確かに、社交界において聖職者は少なくない。しかし、実質的に彼らは貴族だった。生まれの意味でも、資産の意味でも。それは決して悪いことではない。聖座が政治と付き合っていく上で専門家は必要であるし、地と家はある程度の能力を保証してくれることが多い。
ただ、リュクバーンはそうではない才能にも目を向けていた。彼の教え子と呼べるような人物の中には、学術や芸術の分野で統合王国で知られている聖職者がいる。平民の、あるいは出自が曖昧な彼らがそのような場所を占めるのは、聖座という裏付けがあるからだ。
「……こいつらを持ち上げればいいのか?」
テワドレーム公爵がアニドに言う。その中には彼が名前しか聞いた覚えがないような人物もいた。とはいえ、優秀なのであればより様々な事ができる立場につけるべきだろうか、とテワドレーム公爵は考える。彼にとって地位を与えることは多くの取引手法の中でよく用いるものだった。
特にルメン七世以降の宮廷社交界では、一見無意味な職が多く存在した。それは彼らに出費を強い、無意味な席を争わせ、地方との繋がりを断ち切るためのものであった。しかしそれは次第に本当に意味を持ってしまう。一世代が過ぎれば、本来は無意味だった職が本当の意味を持ち、そして最初からそうであったかのように振る舞うのだ。
「いや、むしろそうしないでくれ。彼らに多くの仕事を与えるよりも、彼らがもっと落ち着いて統合王国のために仕事ができるようにしてほしい」
アニドはそのような無意味な職に縛られる人を多く見てきた。だからこそ、そういう人物に接触した。彼らは縛られた身だ。しかし「結社」に入るほど楽観的でもない。彼らに必要なのは、仕事によって問題に近づいたことによって得た精緻な理解を繋げるための高い視座からの意見だ。
アニドとテレナが統合王国の地図と資料を手に作り上げたのは、そういう人々の名簿だった。彼らは実務者だ。統合王国を孤独に動かしている、誰からも称えられない人だ。とはいえ、テレナもアニドも彼らの力を結集させればどんな問題でも解決できると考えるほど楽観的ではない。それは貴族を倒せば自由が手に入ると思うぐらいには愚かな思想だった。
「ほう」
「法典の整備、民会復活のための実務、あるいは人材の確保。そういった次のためには、余裕が必要です」
「……なるほど、もし一気に変化が起こりそうな時にそのような対応策をすぐに出せる立場の者がいればよいのか」
テワドレーム公爵はそのような対応の中で力を持つ方法を知っている。彼の一族はかつての粛清を乗り越え、地方派の中でも話が分かる人物としての立場を固めたのだ。婚約破棄事件が起きてからしばらくは王室派との交渉を表向きは最小限にしていたが、これからは緩やかに再開することができる。
「とはいえ、それは自由気ままに全てを操る事ができる立場に立てるわけではないですからね」
アニドに言われ、テワドレーム公爵は頷いた。
「君たちを見ればわかるとも。俺達が取れない行動は、取らせられない」
「逆に言えば、取っている行動と矛盾しないのであれば取り込んでもらえるということです」
「そのあたりはこちらとしてもありがたいものです」
横から口を挟むのはラストゥイル公爵だった。
「テレナ嬢とアニド君がどう対立しようとも、結果として取れるのは少しだけやり取りを良くすることだけです。しかし、それこそが今の統合王国で作ることが難しいものです」
そう言って、ラストゥイル公爵は先程から静かだったテレナを見た。
「……私、ですか?」
「ええ。基本的にアニド君とあなたの利害は一致していない。一方で、一致している統合王国の混乱を止めるということは我々と共有できることでもある。その点においてのみ、我々はあなたを信頼できる」
「……ありがとうございます。正直、疑われるのは構いませんが、否定された場合には面倒でした」
「……そうなったら、どうした?」
ラストゥイル公爵はテレナを見る。彼にとって、眼の前の少女は同業者だった。おそらく手紙を使って世界を動かすという点においては自分を超える、そしてその影響の規模の点では総権国にも匹敵しうる立場の人物だ。
「何もしません。その時になれば排除されるでしょうから、あなたの次にその椅子を担うだろう人を予測し、声をかけ、引き込むだけです」
ただ、テレナの調べた限りでは統合王国に明確にそこまでしなくてはいけない人物は少なかったし、彼らは無害な場所にいることがほとんどだった。
「……そこで荒事に走ろうって奴が今どきは多いですからね、テレナ嬢のような理性的な打ち手が相手であればどれだけ良いか」
「良い試合をすることが目的で、相手を負かすことが必須ではないと正しく理解を持つ人物が相手で、私としてもとても喜ばしく思います」
ラストゥイル公爵とテレナは互いに微笑みを交わした。それを見ながらアニドは少し怯えていたし、リュクバーンやテワドレーム公爵さえも何かを表情に出さないように厳しい顔をする必要があった。