角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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風説に隠れて情報は潜む 9

テレナは広がる葡萄畑を見ていた。黄金色の葉は落ちつつあり、長い冬に備えて根を寒さから守るために土が盛られているところもあった。

 

「アニド君はこういうのには詳しい?」

 

「飲む方はわかるが、栽培はわからないな」

 

テレナの隣で同じように畑を見ていたのは、統合王国王室の庶子であるアニドだった。

 

「統合王国は葡萄酒の産地でしょうに」

 

「同君地域だっていいものは多いぞ」

 

「……けっこう行けるほう?」

 

おそるおそる聞いたテレナに、アニドは小さく頷いた。

 

「王室には贈り物で各地からやってくるからな、飲み比べて地域の差を把握するぐらいのことはできないとやってられん」

 

「ああ、なるほど……」

 

「それに、教会との付き合いもあるからな」

 

「葡萄酒の作成は昔から修道院の得意分野だものね」

 

「そして酒税を逃れるわけだ。忌々しいと言われるわけだよ」

 

アニドは派閥的には統合王国内部の中央集権を目指す王室派に所属していた。そのため、宗教勢力が独立した力を持つことにはあまりいい気はしていなかった。ただ、その話を婚約破棄と絡めて語るには微妙な立場にいた。

 

「このあたりが詳しい人がいればいいんだけど」

 

「レーシェヴィフのやつはどうだ?」

 

「ああ、あの拓殖伯領のあたりだと確かに葡萄酒は有名だったね」

 

というわけで、退屈そうに休憩していた青年であるレーシェヴィフはどういうわけかいきなり同級生二人に両脇を挟まれて畑の方に行くことになった。

 

「……何で?」

 

そう言ったレーシェヴィフは二人をそれなりに知っていた。王室と繋がりのあるそれなりに警戒しなければならない男子と、あのシェプルスキアを御することのできる政治的傑物の女子は、積極的に関わると面倒事に巻き込まれる可能性があるような二人だった。

 

「この地域の葡萄について、知っていることはある?」

 

テレナに言われて、レーシェヴィフはじっと木にまだ残っていた葉を見た。裏に生えている産毛は寒さから葉を守るためのものであり、全体のねじれた太い幹も相まって耐寒性の高さが伺えた。

 

「いや、学院の葡萄酒の話は有名だろ」

 

「そうなの?」

 

レーシェヴィフへ驚いたようにテレナは言った。

 

「この品種は緑の実をぎっしりとつける。そのまま食べるにはかなり酸いが、収穫時期を遅らせれば甘みが増す。とはいえ、その調整は難しいんだがな」

 

「レーシェヴィフの故郷にはあれだったか、萎び葡萄から作るものがあったよな」

 

アニドの確認に、レーシェヴィフは頷く。

 

「ああ、黴が生えるんだよ。それで甘くなり、酒精の濃度と風味が増す。このあたりは秘伝の内容も多いからあまり語れはしないが」

 

「あれ、収穫時期を遅らせるとなると今が収穫の時期では?」

 

テレナはそう言って、畑の方を見た。葡萄の栽培については本で読んだ程度の知識しかなかったが、それでも通常通りの収穫がされているように見えた。

 

「今年の出来が難しかったんだろ、いつ霜が落ちるのかわからない以上早めに、ということかもしれないが。……さっき見た時には収穫されていない古株があったからな、そういうものを使うのかもな。それと、この畑の全てが上等の葡萄酒になるわけじゃない。普段から飲んだり料理に使ったりする、ある意味で下等の葡萄酒は、また別の技術が必要になる。それは決して上等な葡萄酒に劣るものじゃない」

 

「よく見てるわね……」

 

テレナにはそういった専門家の視野がどうしても欠けていた。彼女の知識は系統的かもしれないが大雑把なものであり、現場の知識がある分野は限られていた。たとえ実際に働く人々を見たことがあったとしても、知ることのできる分野は限られる。経験豊富な老農夫でさえすべての野菜と果樹の知識を持つことができないのに、未だ十六の少女に抜けている分野があるのは当然であった。

 

「というより、この学院のあたりの葡萄酒の伝承ぐらいは聞いたことがあるだろ」

 

そう言うレーシェヴィフにテレナとアニドは顔を見合わせ、首を振った。

 

「ダニストという引退してこの地域の修道院に来た人物がいたんだよ。学院の設立からそう間もない頃だったはずだし、確か学院の教授もしていたはずだ」

 

「ああ、ダニストなら聞いたことがある」

 

アニドが思い出したように言った。

 

「ダニスト計の発明者だろう?」

 

「あの酒精率を計算するやつね、それなら知っている」

 

テレナも読んだことがある、という名前だった。葡萄酒は発酵が進むにつれ濃厚な糖が軽い酒精に変わることで、比重が減少していく。逆に言えば、その比重を測定することで葡萄酒内に含まれる酒精の量を確認することができるのだ。

 

さらに、比重の変化を記録することで発酵がどの程度進行しているのかを分析することもできる。このような作用はかつては半ば神秘的なものとして扱われていたが、今ではある種の化学反応であると認識されるようにはなっていた。

 

「そう。あの細長くて浮かべてどの目盛りまで沈むかというやつだ。そしてかのダニストはこの地で作られた葡萄酒の中に、適切に熟成された時に希に極上の味わいを持つものがあることを見出した」

 

「飲ませてもらったのかな」

 

「たぶん地下倉庫から見つかった古い酒とかを出されたんだと思う」

 

レーシェヴィフの解説の横で、アニドとテレナは小声で話をしていた。

 

「そして、その葡萄酒を安定して作り出すことが彼の仕事となった。その年の天気と雨の量、どの畑から収穫されたか、どのような実を用いたか、そして熟成の温度や期間。樽の木材によっても風味が変わるから、考えるべきことは多い」

 

「そこまでしてやることが酒造りなんだよな」

 

「下手な化学者以上に実験をしてるわね、時代を考えたらかなりの実験哲学者だったのでは?」

 

口を挟むアニドとテレナに、レーシェヴィフは少し不満そうな視線を向けた。

 

「そして作られた葡萄酒は、黄金色の輝きを持つ。甘い熟した果物のような匂いの奥には樽に使われた木の深みのある風味がある。一口含めば少しだけの甘みとしっかりとした酸味が来るが、かといって口の中が痛むようなものではない。爽やかに、そして飲み込んだ後もしばらく口の中に蜜のような味わいが残る」

 

「葡萄酒を飲むと人間は詩人になるのかな」

 

「古い神々の時代には、酒の神の名を冠した詩作の大会もあったそうだしね」

 

「飲んでみたくはあるが……」

 

テレナと話していたアニドは、レーシェヴィフの方を見た。

 

「残念ながら、希少品だ。それに学院だと学生は基本的には飲めないだろう」

 

「だよね……」

 

そう言ってアニドは肩を落とした。地方によっては学院に通うような年齢になれば酒が飲めることも多かったが、学院では基本的に酩酊をもたらす酒を出すことはなかったのである。

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