角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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驚異に挟まれ流言を囁く 7

「ああ、ここだここ」

 

そう言って、アニドは長らく開けられていなかったのだろう重い扉を押した。

 

「僕も来たことないよ、この部屋は」

 

ついてきたアレリアは言う。蔦の館の構造は複雑で、地下の通路で他の建物にも繋がっている。かつて王宮として使われた時代の隠し通路や隠し部屋などを考えれば、その全貌を知る人はもはや誰もいないような建物だった。

 

「……この館には、きっと誰も覚えていないものが多いんだろうな」

 

そう言って、アニドは独特の匂いのする部屋に足を踏み入れる。かつて広かったと思っていた部屋は、今では小さく感じられた。指で木箱の縁を撫でると、積もった埃に跡が付いた。

 

「生物の分類も、展示会の絵画も、本来は積み重ねがあるはずなのよ。でも、それをするためには個人では足りない。多くの人が生涯をかけた、小さな仕事の積み重ねが不可欠」

 

テレナは部屋の中のものを確認しながら言った。博物学の分野のあらゆるものが雑多に置かれていた。もしここにあるものが丁寧に展示されたらどれだけの畏怖をもたらすだろうか、という想像だけでテレナには十分だった。見える範囲だけで膨大な量の、テレナがなにかもわからないものが存在した。

 

「そんな事ができるのか?」

 

アニドはテレナに尋ねる。アニドの知る限り、この手の分野に進歩をもたらすのは一部の天才たちだった。

 

「農業の発展とか、機械の改良とかはそういうふうに行われているのよ。貴族の道楽をなくすなら、そういった部分にも対応が必要になる」

 

「つまりちょっと余裕のある人なら、誰でも三流の画家の絵を買えるような時代、ということだろ?」

 

アレリアは言う。それはきっと、悪くない時代なのだろう。多くの人が芸術を理解し、気軽に筆を執ることができる。工房制度はなくなり、様々な技法書が売られるようになるのだ。

 

「同時に、それだけの責任も負わされることになる」

 

テレナは言う。かつて貴族ができていた贅沢を広めるかわりに、かつて貴族だけが担わされていた責任を市民とやらにも負ってもらうのだ。それができる人がどれだけいるかはわからないが、平民は多いのだ。少なくとも、今の貴族と同じぐらいはいるだろう。

 

「そうすると僕の絵の売り方も変わっていくのかな」

 

「そのあたりは実際に起ってみないとなんとも。反発は大きいでしょうが、理想と熱狂がそれをうまく誤魔化してくれることを祈りましょう」

 

色々なことが起こるとテレナは考えていたが、具体的に何がどうなるかはわからなかった。少なくとも、その混乱は小さいものではないだろう。首を括るものも生まれるだろう。ただ、それでも「墜ちる灯火」で書かれたような事がそのまま起こった場合に比べれば問題は小さくなるはずだ。

 

「絵のことだけ考えて、社交界で人気者でいれればよかったんだけど」

 

アレリアは呟く。それはもはや、彼女には許されない贅沢になっていた。彼女自身は人を動かす力を強く持つわけではないが、それでも結社における重要人物だ。必要に応じて噂を調整し、暴走を止めるぐらいはできる。

 

「私も社交に悩み、嫁ぎ先で悪くない愛を見つけるような令嬢としての幸せを望んでいましたよ」

 

テレナも言う。

 

「時代が悪いんだろうな」

 

アニドはそう言いながら、色々と部屋の中を物色していた。木箱に油のようなものが滲んでいるのは骨だろうか。きっと、ふさわしい人がいればここにあるものをより良く活かせるのだろう。しかしそのためには、この蔦の館を誰にでも入れる場所にしなければならない。

 

「ウィルトールの弟子らしく、少し語ってみましょうか」

 

テレナはそう言って、身体に良くなさそうな独特の味がする部屋の空気を吸った。

 

「かつて地に溢れていた猛獣たちは、追いやられて久しい。大支配地(イルパティム)時代には獅子狩りができていたと言うが、彼らは今や消え去った。貴族もそうなる定めなのだよ」

 

ウィルトールは感情が高ぶると少し口調が荒れるところがあった。しかし、そこにもまたある種の魅力が存在したのだ。テレナはそれを模倣することはできないが、自分の制御できる範囲で語気を強めることはできた。

 

「貴族は麦を溜め込んでいるようなものだ。それを地に蒔けば、千倍の実りがもたらされる。死を覚悟しなければ、新しい生を掴むことはできないのだ。王室は、貴族は、そしてそれに伴う文化の先進とやらは、死なねばならない」

 

そのぐらいは言いそうだな、とアレリアは考えていた。彼は社交界に恨みにも似た感情を持っていた。そして同じ程度に、社交界に依存せねばならない自分を憎んでいた。その矛盾から生まれる放出が軽妙な批判となった時、彼は危ないが面白い人物とみなされたのだ。

 

「死んで種籾となり、新しい時代が芽吹くのだ。そこにあるのは人間たちである。それは爵位にも富にも縛られない、己の足で立ち、己の言葉で語り、己の腕で求めるものを掴む、人間たちなのだ」

 

アニドは冷めた顔で軽く拍手をした。そんな人間がもしいるとしたら、それは騙されやすいだろうなというのが彼の意見だった。貴族が欺瞞と虚栄の中で生きているとしても、それはそうでない世界より生きやすいということを意味しない。

 

ただ、テレナの言葉に心が動かされてしまったのも事実だった。今の苦しみを、閉じ込められたと感じる何かを、テレナは壊してくれるという確信があった。そのためであれば、貴族を殺さねばならないと思い込んでしまった。

 

「……ウィルトールという男は、これをもっと精緻にやったんだな」

 

アニドはやっと、彼のやったことを理解した。テレナがその本を恐れた理由を把握した。結社がなぜ危険な遊び以上のものとして動くかを納得した。

 

「言葉は小さな世界なら動かせる。水路をどう引くかで揉める村人二人であれば、そこにいない人を話に絡めてうまく妥協に持っていくことができる。でも、それはウィルトールの力じゃなかった。伯爵領という土地で、長年培われていた信用を少し取り崩したようなものなのよ」

 

ウィルトールとの旅の中で、テレナはしばしばウィルトールが伯爵であるルグスト四世を悪役として使う場面を見た。ウィルトールにとっては金で自分を縛る貴族であっても、テレナにとっては父だったのだ。そしておそらく、ウィルトールはそれを理解していなかった。

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