それは非公開の儀式、ということになっていた。だからこそ、個人的友人である学院の学生二人が後ろの方とはいえ座ること事が許されたのだ。
「……首都にいる地方派の大物、全員来ているぐらいだな」
感づかれないように視線を巡らせながら、控えめな服装に身を包んだアニドは小声で隣のテレナに言う。大臣、外交官、あるいは有力者。
「後で彼らは色々するのでしょうね。そこに交じるには私たちの準備ができていないけど」
「そうだな」
首都にある一番大きいものではなく、それより小さいが歴史ある教会。豪華な、しかしアニドに言わせればいつもより地味なフェルヴァジュ管区大監僧の隣に立つのは、深い真紅の服に黒の聖帯を首から下げるリュクバーン枢要僧。
儀式は厳かに、しかし単調に続く。
「我々のために祈り給え……」
聖人の名前の後に幾度目かわからない聖語の語句をテレナは口にする。一応彼女は抗議派であるが、彼女の領地の僧は寛容というものをよく理解している人物だった。そもそも同君地域において宗教的儀式はあらゆる儀礼の基礎とされるものであるし、抗議派さえもその技法を流用しているところが多かった。
しかしそれでもなお、テレナは聖座の力というものを感じていた。この教会が作られたのは相当古いはずであるが、唱えられた連祷の響きが身体を撫でるようにあちこちに広がっている。少し気を抜けば眠りにも似た、心地良い状態に引きずられていきそうなところをこらえつつテレナは聖語を唱え続ける。
「汝ファーネスタ・イリイダ、主の名のもとにその身を捧げ、主のように荒布を纏い、主のように神と人とに仕え、主のように身を清めることを、ここに誓いますか」
「私、ファーネスタ・イリイダは、主の代理人たるフェルヴァジュ管区大監僧、そしてここに集まる人々の前で、主の名とともに、己の選択を誓います」
聖語の定型文が繰り返され、尼僧の手によって髪に覆いがかけられる。これで教会法上、彼女は修女として認められることになる。
もちろん、それはあくまで儀式に過ぎない。実態として、裏では多くのことが行われていた。例えばこの場に、フェルヴァジュ管区大監僧とともに聖座の代表者としてリュクバーンが立つという事実自体が既に意味を持っていた。それはフェルヴァジュ管区が聖座を尊重し、その自主性の中にありながらも主の代理人たる聖座に仕えるものであるという姿勢を示すものであった。
もちろん、そのような高度な神学と社交を理解しなければ読み取れないような機微をこの場にいる全員が理解できるわけではない。それでも、理解できる人にとっては明確な宣言がいくつもあった。
それは、もはやフェルヴァジュ管区は王室の支配下にのみあるわけではないということだ。地方派の有力者の娘をここまでの扱いをし、そして王室の意向に必ずしも従わないという噂を打ち消さないまま第三王子を迎え入れ、そして聖座からの派遣者として改革派のリュクバーン枢要僧を受け入れるということは、宗教にそれなりに関与した人であれば明確な合図であった。
そして、王室派はこれに対して反応を示していない。本来であれば大声で反対する素振りを見せるだろうラストゥイル公爵ですら無言を貫いているのだ。すなわち、多くの貴族が、あるいは聖座にいる貴族の血を引いた人は思うのだ。終わりは近い、と。
そこで起こるのは、かのルメン七世時代の惨劇の再開だ。聖座の清さを維持するために、多くの血が贖いのためとして流されるだろう。いち早く動くものは、既に自分の持っていたものを誰かに押し付け、あるいは立場を切り替えている。もちろん、そういうことをする必要がなく、ただ静かになすべきことを成していた聖職者も少なくないのだが。
ファーネスタが、首から下げていた飾りを外して側にいた侍女に渡した。反射した光を見るに、上等な宝石があしらわれていることは間違いなかった。それはテワドレーム公爵家でさえ、決して小さくない出費になるだろうものだった。しかし公爵家がなくなった時に、一人の娘を困らない程度に支えるだけの価値はあった。
公証人が様々な人が改めて読み上げる書類を一つ一つ確認していく。財産の移転、金額のぼかされた寄付、そしてそれに対して行われる聖座側からの返礼。蝋燭の下で行われる儀式は退屈なものであったが、その意味を理解しているテレナにとってはなかなか楽しめるものだった。
そしてどれだけ長い時間が経ったか、それは終わった。教会の扉は開き、煙の匂いが風に流されていく。外の日は思ったよりも傾いてはいなかった。
「ああ、肩が痛いぜ」
アニドは小さく呟きながらテレナの隣を歩く。そして、外に思ったより人がいることに気がついた。
百人はいるだろう。教会の中にいた人たちではない。彼らの服装は職人や労働者のそれだった。彼らの口々に叫ぶ言葉を、テレナはすぐに聞き取れた。
「……なるほど、私たちはこれを相手にしなければならないのね」
墜ちる灯火という小説について、少なくない人がその背景にあった事件を知っていた。もとより貴族批判の小冊子が飛び交う統合王国である。王に対する直接的な侮辱は極刑もありうるとはいえ、貴族に対してのそれはしばしば容認されているものでさえあった。
「ま、俺にとっては慣れたものだがな。それに見ろ、投げる石も腐った果物もないとなれば彼らはむしろ動かされている側かもしれんな」
「……誰に?」
テレナは言う。少なくとも、今の情勢でファーネスタを敵だと言って得をする陣営は多くないはずだった。
「さあ。話を通されないほどの立場にいる王室派の誰かがここぞとばかりに支援をしているつもりなのかもしれない。あるいはフェルヴァジュ管区の中でこれから追いやられるだろう人の抗いかもしれない。はたまた、ファーネスタ嬢を応援しているのかもしれないな」
「応援?」
「役者に対するそれと同じだよ。彼らが見ているのは王宮を舞台にした劇の第一幕の終わりなのさ」
「いいわねそういうの。脚本家は失踪して、役者の一人がなぜか続きを書かされているけど」
「おいテレナ嬢、自分が役者だなんて謙遜はよくないぜ」
「嘘ではないでしょう。端役ではあるけど」
「主役にはなりたいかい?」
「まさか」
そういう会話をしながら、アニドとテレナは罵声に顔色一つ変えず帰りの馬車に乗り込んだ。