角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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破棄が始めの骨牌を倒す 2

シェプルスキアの朝は早い。かすかに聞こえる軍人男子寮で鳴り響く金管の音とともに目を開け、並ぶ五つの寝台で眠る同級生たちを起こさないように静かに部屋を抜け出す。

 

身体を濡らした布で拭い、ほどいた髪に櫛を通し、そして実習用の制服に着替える。乗馬靴の紐をしっかりと締め、朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでシェプルスキアはまだ薄暗い外へ駆け出した。

 

「今日は湿っているな」

 

そう呟いて背負い直した袋には愛用の弓と矢が入っていた。今日では実戦で使うことはまずない武器であるが、シェプルスキアにとって自らの立場を忘れないための戒めのようなものであった。

 

朝焼けの空を黒く威圧的に切り抜く学院の中心たる城塞趾を横目に、シェプルスキアは馬屋へと走っていく。一定の速度で、しかし息を切らすこともなく。

 

学院は北側世界における、おそらく最も実践的な教育機関である。大学のように座学のみを行うのでもなく、あるいは新しくできつつある将校学校のように訓練に重点を置いたものでもなく、様々な進路の学生に合わせた教育を提供する場所であった。その中には、軍人としての教育も含まれる。

 

シェプルスキアが訓練場のそばにある馬屋に到着すると、既に先客がいた。

 

「おお、シェプルスキア嬢ではないか。朝より壮健で何よりである」

 

そう言った老人は、東方風の乗馬服を纏っていた。顔に刻まれた皺は深いものの、その矍鑠とした様子と爛々と光る目は幾度か戦場を駆けたシェプルスキアにとってさえ油断を許させないものだった。

 

「ヴィンサート教授、おはようございます」

 

シェプルスキアは姿勢を正し、背中の袋を地面に置いた。武器を持っていないことの証明である。

 

「はは、見事なものだ。いやしかし、そのような礼もほどほどにしたまえ。あくまでここは学院で、戦場ではない。私はもはや軍の将を退いた身であるし、そちらも領地を得た身であろう?」

 

「しかし仮初とはいえ、共和王冠国ではイウェラ連隊を率いる事になってます。なのでいつでも戦場に心を置かないと、あたしは率いることになる兵に顔向けができません」

 

二人の会話は学院で使うべしとされている統合王国語であったが、その習得度には差があった。ヴィンサート教授の用いる言葉は軍人としての威厳漂うものであったが、シェプルスキアは未だ微妙な言葉の使い分けができていなかった。もしこの会話をテレナが聞いていれば、その口調と言葉選びのずれに笑いを堪えることになっただろう。

 

「うむ良し。全く、私の学生もこれほどまでに鍛錬に励めばどれだけ良いか」

 

「騎士団領にとっては、将来の敵を強めることになるのでは?」

 

「はは、私はもうここの教授だよ。あそこはもう戻るつもりもない地だとも」

 

ヴィンサートは教授として招聘される前は、冷海同盟(ツェンデ・ルンザ)に加盟しているパルデセン騎士団領において軍を率いていた。シェプルスキアが生まれ育った傭兵団であるイヴェリャン団とはしばしば敵となり、しばしば共に戦った関係である。

 

戦場で二人が顔を合わせたことはなかったが、互いに名前は知る仲であった。騎士団領の兵の練度を一気に引き上げ、北側世界で最も精強な軍を作り上げた改革者として。あるいは族長であった父の仇を討ち、その戦果をもって共和王冠国の領主として封ぜられた名誉の体現者である女傑として。

 

何も知らない人が話しながら馬に乗る二人を見れば、祖父と孫娘だろうかと思うかもしれない。しかし少しでも乗馬を知る人が見れば、その姿勢の良さに気がつくだろう。

 

「しかし、なぜそのような馬を選ぶ?」

 

ヴィンサートはシェプルスキアの乗る馬を見て声をかけた。ヴィンサートの乗る軍馬と比べて小さく、その牝馬の目は愚鈍さすら感じさせるものであった。

 

「彼女は血の匂いにも火薬の音にも怯えず、ゆっくりですが静かに走ります」

 

「なるほど、そういう使い方か」

 

納得したように頷くヴィンサートに、シェプルスキアは笑顔を返した。

 

「ところで教授はなぜ今日は馬を朝から出してるのですか?」

 

「ああ、朝の訓練で学生を引きずり回すためだ。昨日の舞会で酔が回ったものもいるだろうからな」

 

「はは、恐ろしい。では」

 

そう言って、シェプルスキアは拍車で馬の脇腹を軽く蹴った。常歩の馬は静かに、しかし人間が歩くよりは格段に早く進んでいく。

 

シェプルスキアは馬が好きだった。隠れながら集中して銃を構えていた後でも、馬に乗れば広い視野を取り戻せた。そうしているうちに後ろに見える寮や要塞の姿は小さくなり、眼の前には村落が見えてきた。

 

学院で食べる多くのものを供給し、学院で働く人々も多く住むこの村落は良く手入れされており、収穫を終えて葉が色づきはじめた葡萄畑がシェプルスキアの前には広がっていた。

 

朝から剪定のために鋏を振るう農民たちは蹄の音に一瞬目を向けて、ああ今日もかと仕事のために視線を戻した。そのように気楽に走らせてくれるこの村の人々に、シェプルスキアは小さな恩義を感じていた。

 

鮮やかに紅葉する木々を見ながら村の外側を一周するような道を通り、シェプルスキアが馬屋に戻ってくると訓練場を走らされている男子学生たちがいた。

 

「お前らは乙女の前でそのようなみっともない姿を晒すのか?あちらを見たものは追加でもう一周だ!」

 

理不尽なことを言うヴィンサートに対する学生たちの不平の声を聞きながら、シェプルスキアは馬を戻した。くたびれたような目をする自分より目線の低い愛馬の頭を撫で、来ていた馬丁に後を頼んでシェプルスキアは寮へと駆け出した。

 

「シェプルスキアさん、おはようございます」

 

聖典を小脇に抱えた大人しそうな少女は、城塞趾の中にある礼拝堂へ朝の祈りのために向かうシェプルスキアの同居人だった。

 

「おはよう、テレナは?」

 

「あいかわらず敬虔に寝ていますよ」

 

すれ違いざまに情報を共有し、シェプルスキアは寮に戻ってきた。ここから荷物を置いて着替えてテレナを起こして朝食、というわけだ。

 

寮の中は朝の騒がしさに包まれていた。シェプルスキアが使っている部屋も窓掛けが開かれ、外の光が差し込んでいた。六人の同居人のうち先ほどすれ違った少女を含む二人は祈りに出ており、三人は部屋で着替えながら話をしていた。

 

「起きろ、テレナ」

 

幸せそうに寝息を立てるテレナをシェプルスキアが揺さぶると、あくびをしながら眠そうな目でテレナは起き上がった。

 

「やだ……」

 

「ほら、服を脱いで」

 

「うう……」

 

昨日の夜の理知的な様子とは似ても似つかない、厄介な子供のようなテレナにシェプルスキアはため息をつきながら服を渡した。

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