学院の教授の一人、ヴィンサートはかつて騎士団領の将軍であった。そして今は、指揮官の真似事をしている。
「ほら!土を運べ!このままでは砲がお前らの家族と領民を打ち砕くぞ!」
戦場で響かせるような声をさせながら、彼は一年生を指揮する。その様子をシェプルスキアとテレナは少し離れた場所から見下ろしていた。
「面白いことしているわね」
テレナは少し笑みを浮かべながら言う。本来であればこの中にはそのような雑務をするべきではないような立場の学生もいる。しかし、包囲されればそのようなことを言う暇はないし、包囲されてからどうすればいいかを学ぶよりも今知っておくべきだというヴィンサートの言葉によって、渋々ながらの場合もあったが彼らは身体を動かしていた。
「授業ってことにして防衛準備させるの、本当に良いのかな……」
一方で、シェプルスキアは少し不安そうだった。
「どういうこと?」
「いや、軍人とかその場所に住んでいる人とかならいいし、自分の命を守るためだけどこれって騙して他の人のために仕事させているってことにならない?」
「問題が起こるとしたら四年以内の可能性は十分にあるし、結局彼らのためでは?」
「そうかもしれないけど、そういうことじゃなくて……」
シェプルスキアはどう伝えるべきかをしばらく考えていたが、上手く説明できなくて諦めた。
「まあ、そういう形で嘘を統治者側が吐くのは決して珍しいことではないし、大抵はある程度妥当なものだけどね」
「例えば?」
「教会への税金」
「あー……」
それは長らく、伝統的に教会がそれを受け取ることが許可された特権であった。それは教会を維持し、貧者を救い、そして各地の教育や支援に用いられるとされていた。そしてその実態は、非常に複雑なものとなっていた。
まず、地域によって教会税の納め方は大きく異なる。ある地域では、直接収穫物が持ち込まれていた。別の地域では全体の収穫量の一定割合に相当する金銭での納入が認められれていた。また別の場所では、地方領主が教会から委託されて徴収を行っていた。
さらに面倒になるのは、大抵の場合はこれらの徴収が請負人に委ねられていたということだ。そしてこの請負人も多様であった。裕福な貴族や商人のこともあれば、村長が代理で集めるという形で請負人をやっている例もあった。中には特定の教会が他の教会の請負人として動くこともあった。
「新しい財務大臣の仕事の一つは、これらの税制度の統一。そして一括して納入された税を、フェルヴァジュ管区を通して明確に還元させる。リュクバーンはそれをさせられているのよ」
もちろん、フェルヴァジュ管区の中にも多くの反対意見があった。リュクバーン以上に敬虔な人物は、そのような形では国家なしに教会は立ち行かなくなるし、国家の意向を嫌でも伺わなければならなくなると主張した。もちろん、リュクバーンもそれはよく理解していた。
だからこそ、裏切られないための多くの作業を彼はしていた。例えば教会がやっていた細々としたことを整理し、それがいかに統合王国の運用に不可欠かをまとめていた。各地の人口の統計は事実上教会が担っている。それ以外の調査についても、教会が果たす役割は小さくない。事実、編纂が進む新財務大臣の名義で出版される報告書の協力者の欄には聖座から少なくない人物の名が挙げられていた。
「……嘘を嘘のままにできないから、こうなるんだよね」
「嘘、というのも言い方の問題ね。信仰とか信頼とか、そういうふうに言えばそれは尊重し、維持されるべきものになるわ」
「それがないと回らないから、それが許されるの?」
「二つの選択のうちどちらが良いのかという話よ。シェプルスキアも覚えがあるでしょう?」
「……うん」
たまにではあるが、思い出す光景だ。父の仇を狙った、あの夜。その前後に行われた交渉。シェプルスキアが撃ったのは、果たして誰だったのだろうか。
女総権者にとっては、改革を阻む古い貴族であったのかもしれない。交渉に来た人物にとっては、自分の立身のための犠牲だったのかもしれない。シェプルスキアにとって、彼は父の敵だった。あるいはその将軍の配下の兵にとっては、信頼し、ともに戦うに値する指揮官だったのかもしれない。もちろん、考えることを諦めていつ死ぬかわからない状況でただ命令のままに槍衾を作っていたのかもしれないが。
「嘘は、不可欠よ。市民たちとて嘘をつかねばならない。市民の力であるとか、人の平等であるとか。そして一度ついた嘘は、崩れないようにするためにさらなる嘘を必要とする。矛盾が出ればそれを嘘で隠し、対立が起こればそれまついてきた嘘を互いに暴きあって攻撃する。そういうものよ」
テレナは家庭教師のウィルトールから貴族の欺瞞についてよく言い聞かせられていた。学院から統合王国を見れば、その欺瞞は明確だ。しかしテレナは、その欺瞞が統合王国を成り立たせていることを理解できるようになっていた。
「……それをわかってない領主って、どれぐらいいるのかな」
「ほとんどよ。理解するには、本来はもっと時間が必要。私はそうあるように育てられた。アニド君は立場から欺瞞を見せつけられた。でも、多くの領主はそうじゃない」
テレナは父や弟を想像する。彼らは日頃の役割の中で面倒であるとか、あるいは意味がわからないと感じるものが多くあるだろう。しかしそれについて考えを巡らせる暇はあまりない。十分な経験を積み、暇を作ることができるほどの有能さがあって、かつその視点に行き着くだけの知識があって初めて、多くの領主は晩年にその境地に立つのだ。
学院の卒業生は、多少はそれを早く見つけがちだ。そういった方法で自分の立つべき場所を見つけた彼らは、悩みながらではあるものの良い仕事をする。それは今までの方法に縛られず、かつ新しい方法を新しいからという理由で評価しないからだった。
もちろん、学院の卒業生も様々だ。割合で言えば、そこまで理解できているものは少数派だろう。学院にいるうちに理解できる人も多くはない。今の学院ではそれなりにいるのかもしれないが、それは偶然の要素が大きかった。
ただ、そこに近づくためにできることはあった。例えば身体を動かすこと。たとえ椅子に座り、命令書に署名をするだけの立場に将来なるとしても、かつての息切れと身体の痛みを知っているのと知らないとでは、その署名の意味が変わってくるとテレナは考えていた。