白雪の中で議論は始まる 1
「テレナ嬢、少しよろしい?」
「……ヨルワ教授、いえ、構いませんが」
夕方の休憩時間に図書室で本を読んでいたテレナは、隣に立っていたヨルワ教授にびっくりとしながらも言った。
「ここでうるさくしてはいけませんから、私の部屋へ」
「ええ」
テレナは本を戻し、ヨルワ教授の後ろについて行った。図書室の中には期末に提出する論文のために苦しむ学生たちがうめき声を上げており、聖典で語られる終末を思わせる暗い空気が漂っていた。
「テレナ嬢は、冬に帰らなければならない予定がありますか?」
厳格な教師の口調のまま、ヨルワ教授はテレナに語りかけた。
「……いえ、入学前に社交界入りは済ませてありますし、婚約相手は隣の伯爵領の令息です。距離もそう遠くはありませんし、手紙は前に教授に見てもらったように定期的にやり取りしていますから、もし必要があれば冬の間でもこちらにいてもいいかと」
「そう。シェプルスキアさんは戻らないか知ってる?」
「いえ。しかし戻りはしないでしょう。片道で一月と少しはかかるでしょうし、そうすると春に戻って来る間に彼女の領地のツィノドにいれる期間は短くなるでしょう」
「なるほど、わかりました」
そう言ってヨルワ教授は自分の教授室にテレナを招いた。
「それでね、テレナさんにお誘いがあるの」
ヨルワ教授の変わりようにテレナは内心で苦笑いをしていた。今はわかりやすくされているが、もしもっと親密な状態になってからこの和やかさを演出されれば飲まれるだろうし、それを疑うほどの余裕も与えてはくれないだろうなと政治的なやり取りを知るテレナは理解できたのだった。
「何でしょうか」
「シェプルスキアさんを社交界入りさせたいと思って」
ヨルワ教授の言葉に、テレナは考え込んだ。一般的に上流階級の子女が社交界入りする時の礼儀は適用できない。シェプルスキアは既に領主であり、ここでの紹介は年齢による参入ではなく異文化からの来訪として解釈されるからだ。
「……確かに、繋がりをもたせるという意味では重要でしょう。冬の学院で、ですか?」
「知ってるのね」
「ええ、あまり有名というわけではないと思いますが」
学院の立地は三勢力から近く、そして上流階級を迎え入れるために十分な設備を持っている。あまり公にできないような会合の場として適しているのだ。
「それで、もしよろしければ冬の間残っていただきたくて」
「……東方の勢力を取り込むのは、重要ですか?」
テレナは地図を思い浮かべながら言った。文化中心地である統合王国の宮廷から、シェプルスキアの領地であるツィノドは遠い。たとえシェプルスキアと繋がりを持てたとしても、その関係を維持し、活用するためには多くの手間がかかる。
「ルウォロド総権国の拡大が原因ね」
「ああ、なるほど。できるだけ学院の価値観をわかっていて、かつこちらがわの人を作りたいわけですか」
テレナは今の総権国を率いる女総権者を思い浮かべていた。騎士団領出身で初代の総権者の息子の妻であり、短い統治であった二代目総権者である夫の不自然な死の直後に権力を握った学院出身者である。
その手法は苛烈にも近いが確実に国力の増強を実現させており、かつ外交的にも学院仕込みの手法を使ってくるために明確に敵国として見なすのも難しい、という状態であった。
「その通り。やはりテレナさんは理解が早いわね」
「それで、シェプルスキアを出すためには私がついていたほうがいいと」
「手間になるのはわかっている。対価は用意できるつもりだけど」
「冬の学院で手伝いができる、ということ以上の?」
「そのものよ。あまり出せなくてごめんね」
そう言うヨルワ教授に、テレナはひとまず満足するかとばかりに息を吐いた。
冬の学院では、学生も教職員も数が減る。その中で会合を開くとなると、最低限の格式を保つためには学生が駆り出されることになるのだ。
とはいえ、招待をする側が動くことはそう珍しいものではないし貴族の子女がそのような場で働くことも一般的だ。重要なのは、その場において学生は働き手であると共に将来の会合参加者とも見なされているという点である。
学院で一般的に構築できる繋がりは、どうしても同年代に限定される。しかし会合においては大きく年の離れたような人とでも、学院の関係者という形で繋がることができるのだ。
もちろん、学院側もそのような場所に出す学生は厳選する。ヨルワ教授がテレナを誘ったということは、それだけの政治的分析能力を持ち、大きな失態をやらかさないだろうと認めたことでもある。
「第一学年がそのような手伝いをしては、周囲からなにか言われたりはしないでしょうか?」
「シェプルスキアさんという現役の領主が第一学年なのよ?あまり問題ないと思うわ」
「爵位を持った本人が学院に来ること、そもそもそこまでありませんからね」
「幼い頃に名目上の爵位がって例はあるけど、それでも表立って名乗ることは少ないわね。実力に見合わない肩書は嘲笑の対象を通り越して憐れみの視線を向けられるのよ」
「社交界は怖いところですね」
「あなたもそこに入るのよ、好き嫌いにかかわらず。なら、楽しんだほうがいいでしょう?」
ヨルワ教授はそう言って笑った。実際のところ、ヨルワ教授もそこまで社交界が好きなわけではなかった。夫の地位と幼い頃から受けた教育によって人を集め、情報を整理し、そして自分の趣味を盛り込んだ場を作る事ができるようにはなっていたが、それはあくまで貴族としての義務という側面もあった。
富を適切に分配し、同時に侮られぬほどに自らを飾らなければ貴族はその地位を危なくする。短い期間であれば自由気ままに振る舞うことができても、時代を超えて家を保つためには様々な義務に縛られた生き方をしなければならない。嫌いな相手とも笑顔で会話をし、特別な人のために時間を割いて不平等を作ることは許されない。
「ええ、冬は楽しくなりそうですね」
「ただ、色々と働いてもらうわよ?女中の真似事ぐらいはしてもらうわ」
「最低限はできるつもりですが、本職の方々には勝てませんからね、あまり期待しないでくださいよ?」
テレナはそう言って、後でシェプルスキアに社交のための作法をどうやって教え込むかについて考えていた。