空き教室の一つで、ちょっとした会話が始まった。
片側の陣営の先頭に足を組んで座るのは、統合王国王室の庶子であり、学院の学生であるアニド。その向かいで暖炉のない冷たさにもかかわらず汗を拭うのは統合王国財務大臣のセラベール卿だった。
もちろん、彼ら以外もその教室にはいる。アニドの後ろにはテレナたちを始めとする学生たちがいたし、セラベール卿の後ろには統合王国の財務官僚と、そして通りがかりの他国の財務関係者がいた。
「……あくまでこれは、俺のような若造が先達に教えを請う場だ。恥ずかしいから内密に頼むぞ」
アニドはセラベールの後ろの人達に言う。その出身派閥は様々であったが、アニドとよく手紙をやり取りする人物であった。そして彼らは、少なくともこの場にいる学生側が自分たちに分野によっては匹敵しうる指し手であることを理解していた。
「私が君に言わねばならないことは、いくつかある」
覚悟を決めたように、セラベールは口を開いた。
「どうぞ」
「統合王国の財務整理のために、貴族への大規模課税と植民地事業の撤退は不可欠だ」
「……誰が飲むんですか、それ」
「一旦それは置いておいてくれ」
セラベールに言われ、アニドは頷く。議論の前提がそこではないと悟った彼は、少なくともセラベールの話を最後まで聞くべく組んでいた脚を下ろした。
「そうなった場合、国内の産業を育てないと厳しい。植民地が無くなる代わりに貿易を進めるためには、今の関税を大幅に下げねばならないだろう」
アニドの後ろに立つテレナは頷く。そうすると、統合王国国内の産業の多くは冷海同盟からの生産物によって大きな影響を受けるだろう。それに対応できるとなれば、多くの人口によって作られる農作物程度しかない。
「同時に、軍隊の解体も必要だ。遠征軍の大半に年金を払い、地方の開拓に当たらせるつもりだ。これについては、軍のほうからも条件付きで譲歩を得ている」
「ちょっと待ってください」
テレナは身を乗り出した。
「おいテレナ嬢、黙ってろ」
アニドは少し強めに言う。ただ、これもある種の立場を演じる彼なりのやり方だった。
「構わないよ、テレナ嬢。何か、言いたいことでも?」
「物品税の値上がりを関税の低下で対応させて植民地への依存を減らすと同時に、農作物の輸出を?」
それはテレナが考えたことのない方法だったが、上手く行けば綺麗に噛み合うはずのものだった。もちろん、それが成功するという保証はどこにもない。しかし実際に追い詰められる貴族からすれば、それに反対する理由はないはずだった。
貴族にとっての日用品を安くする努力をする派閥に、彼らは着いていこうとする。妥協閥に流れなくとも、固守閥の方向に従うという立場を見せるだけでもいい。そうすれば後は老獪な大物たちが上手くやってくれるだろう。
「……そうだ。わかりやすかったか?」
セラベールは落ち着いて言う。それは彼にとっては悪くないが不確定要素が多いという案であったし、これを提案してきた部下たちも発想はともかく実際に実行するとなれば十分な宣伝が必要だと考えていた。それに、一番の目標である貴族からの課税は実現できない。
「テレナ嬢が異常なだけだ、俺は気がつかないだろうね」
そう語るアニドに合わせるように、セラベールの後ろの人々も顔を見合わせて頷いた。
「……となると、そのあたりを上手く勢い付ければいいでしょう。機会さえ狙えば行けるとは思いますが」
テレナは呟く。少なくとも、これで方向性は固まった。となれば、冬の学院で色々と動くこともできるだろう。長期的な貿易に向けて冷海同盟と取引の窓口を作り、植民地の独立性を高めるか、あるいは市場を冷海同盟や教主国に開くことで問題を減らす。
「同時に、これを使って今の大多数の貴族を変化する側に変えることができれば……というのが、部下たちが上げている案だ」
「良いと思います。できる範囲で私たちも協力させてもらいます」
「テレナ嬢」
アニドは靴で床を軽く叩いた。
「……はい」
テレナは元いた場所に下がる。あくまで彼女はアニドの友人でしかないのだ。少なくとも、この場において学生の代表者はアニドということになっている。統合王国の問題に同君地域の伯爵令嬢が口を挟むということは、どう考えても外交干渉であるし様々な憶測を生みかねないものだった。
もちろん、ここにいる人の中でテレナの実力を疑っているものはいない。それにここでの会話は外に出ないように依頼されている。逆に言えば、この程度の秘密を明らかにして信用を損なうことを選ぶほどここにいる人々は愚かではなかった。
「その方向で、統合王国は進むと見ていいか?」
「ああ、公的な発表はしばらく先になるが、大きな動きさえ起こらなければ冬が終わった頃には動き出すはずだ」
「……難しいことだとは思うが、統合王国のために頼む」
アニドは頭を深々と下げた。
「いやアニド君、やめてくれたまえ。私は確かに財務大臣であるが、この場では先輩だと言ったのは君じゃないか」
「……そうでした。ところで、財務大臣が直接対応しなくてはいけない人はどれだけいますか?」
アニドは統合王国の宮廷における序列を考えながら言う。上座と下座の関係と、宮廷における増や
された役職もあってこのあたりは複雑なのだが、財務大臣はかなり上位であった。なにせ二年前の冬の学院に国王の代理として訪れた侍従長よりも、立場としては上のはずなのだ。
「……パゼルコ」
か細いとも言えるほどの声で、セラベールはフェルヴァジュ管区で動いている監僧総代理の名前を言った。
「立場の差を理由に避けることは、できませんか?」
アニドから見て、セラベールが社交に向いているとはとても思えなかった。ここまで条件を揃えた情報交換すら、彼には相当な重荷なのだろう。それでここまでの地位に置かれなければならないほど統合王国の現状が歪んでいるのだな、と考えつつアニドはセラベールを見る。
「私は……彼を知っている。彼の信仰心も、彼がなぜ聖職者の道を選んだのかも知らないが、それでも彼が不正を嫌い、法の下で正しくあろうとしていることを知っている。……だから、私は彼から逃げるわけにはいかないんだ」
アニドから見て、そのセラベールの持つものはまさに勇気と呼ぶべきものだった。