シェプルスキアは部屋の空気がかなり異様だと感じていた。あくまで今の彼女は給仕役であり、そして護衛でもある。制服の下には短刀を隠してあるが、これぐらいは許されている範囲だ。
椅子に座っているのは三人。財務大臣のセラベールと、肥満の彼と同じぐらいの身体の大きさをした、しかし引き締まっている監僧総代理のパゼルコ。向かい合う二人を隣から見るように、立会人としてのアニドが座っていた。シェプルスキアはすぐに動けるように、しかし姿勢を崩さないように微妙な状態で身体の力を入れていた。
「セラベール卿の辛苦、このパゼルコも僅かではありながら理解しておるつもりです」
事前にテレナからパゼルコのやり方を聞いていたシェプルスキアは、彼の様子がおかしなことに気がついていた。たとえテレナへの言葉遣いが牽制混じりの演技であるとしても、ここまでの柔らかい態度を取るのは難しいだろう。
それでもなお、セラベールは茶の入った磁器を見て俯いていた。
「……パゼルコ君、と呼ばせてもらうよ。君は私の事など、覚えてはいないだろう」
「エラウム伯爵家の弁護を一度。その時にあなたを見かけています」
「よく覚えているね」
「代訴人は本来、小さなことを積み上げて真理を示すべきであると考えております。もちろんそのような裁判などどこにもないのですが」
「……君の話は聞いているよ。法廷の傭兵とまで呼ばれた君なら、私のやろうとしていることの意味がわかるだろう」
傭兵、という言葉にシェプルスキアは口を開きそうになるのをこらえた。平和であるとされる西方では、野蛮なことは金を払って誰かにさせるという認識は珍しいものではなかった。もちろん、傭兵は金さえあれば何でもするわけではない。しかし、命程度であれば金のために擲つというのは間違っていなかった。
「大臣は真っ当な法と真っ当な秩序を統合王国にもたらそうとしている。精霊に満たされているはずのフェルヴァジュ管区がそれを先んじてできなかったことは悔しいものではありますが、善はたとえ異邦人が成したとしても善であり、そのような人を私は教会の隣人としたい」
パゼルコは、少しだけ嫌いな男の口ぶりを真似た。彼がリュクバーンと知り合ったのは聖職者になった後である。そして彼とパゼルコは、フェルヴァジュ管区の将来について共通の見解を持っていた。そして、異なる手法でそれに対応することに合意をしていた。
「……事実上の、聖職者への課税なのだよ。理解していないわけではあるまい」
セラベールが進める税制度の改革の中は、教会が直接的に税を取ることができなくなる。そのかわり、人口や税収によって保証される一定の教会税を国家が教会に対して払うという形になる。
その過程で、今まで免税となっていた、あるいはあやふやになっていた多くのものが支払われることになる。教会は国家に全てを明らかにし、国家と運命を共にすることになるのだ。リュクバーンの改革は、フェルヴァジュ管区を直接的な政治から距離を取らせることに成功しつつあったものの、ある意味ではもっと深刻な形で政治と結びつくことになってしまっていた。
「世俗の裁判と法から逃れ、のうのうと暮らす者共がのさばることなく、教会が正しくあるべく私が召されたのです。それらの庇護は法の届かぬもののためにあるべきで、法を避けるためのものにあるわけではない」
パゼルコは法曹として多くの仕事をこなした。その中で、彼は金を積むことで勝利を手に入れた。彼にとってのその時の正義は、依頼人のために最善を尽くすことであった。
彼は一切の違法な手段を用いていない、と主張できる程度には法と制度を熟知していた。しかし、その立場が法が変わることによって歪められうるものだとも理解していた。そして彼は、統合王国の法の不整備を用いて争ったこともあった。
彼は賄賂を関係者に渡したわけではなかった。それは法的にも認められた、その立場にあるものが受け取るに相応しい手数料であった。ただ、それを払わなければ本来は法で求められているはずの書類一つ手に入らないというだけだ。
「……パゼルコ君。私はね、賄賂を受け取らなかったわけではないのだよ」
「噂に登らないほどに、秘密にやっていたというのか?……悔悛であれば、私の身であれば聞くこともできるが」
「そうじゃない、パゼルコ君。私が受け取ったのは、出世をしないことであり、安寧であり、働かなくとも生きていける立場だ。君の言う世俗の法理なるものがあるなら、私はそれを家柄と地位を使って逃れたのだよ」
セラベールは潔白な人物として財務大臣に上り詰めたとされていた。もちろん、そのような実態はない。実際に推薦した人物は、彼の能力の不足を知っていた。彼が社交を苦手とし、実務も帳簿の数字を確かめる以上のことは得意ではないことも理解していた。それでもなお、彼は選ばれたのだった。
「私の逃亡と、似たようなものだな」
セラベールはそう呟いた。
「……君も、逃げたのかい?」
その言葉に、パゼルコは頷く。
「嫌気が差したのだ。神の下に身を寄せればと思ったが、そこもまた俗世と同じく酷い場所だった。少し過激なことを言えば、熱心な信者として扱われる。大きな声で聖典を読み上げるだけで、強い教会が戻って来ると勘違いした老人は多い。……しかし、それこそが救うに値するものなのだよ」
パゼルコにはリュクバーンのような深い神学の知識も、幅広い学術への知見もない。彼が持つのは読み込んだ判例と法典に基づき、法廷で磨いた修辞だ。そして彼はリュクバーンとは違い、その精緻な議論を聞かないものに対しての威圧と、それを可能にする肉体を持つ。
シェプルスキアは二人の会話を聞きながら、パゼルコが奇妙な鍛え方をしていることに気がついていた。肩周りの筋肉のつき方は、戦士とも肉体労働者とも違う。力自慢の男のそれにも近かったが、それにしては彼には目に見える鍛えた痕がなかった。ちらりとみた手のひらは柔らかそうで、これで鍛えているとしたら毎回手袋をつけるような念のいれ方をしているはずだった。
とはいえ、それは彼が無力であることも、あるいはシェプルスキアであれば簡単に討てることも意味しない。おそらく相手が暴力に訴えてくることすらも覚悟に入れて、彼は知識のみならず肉体をも武器としているのだろうとシェプルスキアは考えていた。