娯楽室の隅に、積まれた木箱と本があった。その中に座っているフュルシーアは、南方系らしい男性と何やら話をしていた。
「あっあの人がテレナ先輩です」
「なるほど」
男性が頭を下げると、それに合わせて近寄ったテレナも頭を下げた。
「売れ行きはどう?」
「いやぁ危ない本が売れてますよ、こういうやつ」
そう言ってフュルシーアが合図をすると、男は少し驚いて確認するような視線とともに経語の響きのする質問を返す。テレナには聞き取れない訛りだったが、それでもフュルシーアの正気を疑っていることは間違いなかった。その後彼はしぶしぶと本を渡す。
「……なんですかこれ」
「前に言ったやつですよ、架空の物語です」
そう返されたテレナはぱらぱらと本をめくる。若い修女の懺悔の手紙の形式だ。孤児として育ち、とある上位聖職者にその才能を認められ、彼女は修女としてとある伯爵領の裏で暗躍する。しかしその裏で自分を操る黒幕である聖職者に歪んだ恋心を募らせていくのだ。
しかし彼女が尋問したある男が、その聖職者の秘密をこぼす。彼はかつて姦淫の罪を犯し、そうして生まれた娘を教会の孤児院に入れたというのだ。そして彼女は、自分の愛する男が自分の父親だと知るのだ。
「……これは、売れているの?」
「はい!」
「……パゼルコという男を知っている?」
「フェルヴァジュ管区の審問官みたいな人でしょう?当然ですが、ここはフェルヴァジュ管区でもなし、寛容の精神に従って彼が取り締まりをする事もできません。そもそも世俗の問題に教会が絡むというのがおかしな話なんですよ」
そう笑顔で言うフュルシーアに、テレナはため息を吐いた。
「これはちょっと気になるから没収」
「お代はいりませんよ」
「……本題に入るわよ。南方街はどの本がどれだけ売れているかの数字を持っているの?」
「まさか」
フュルシーアは平然と言う。
「……雰囲気だけでも」
「そうですね、まず『墜ちる灯火』はかなり売れています。おそらく統合王国で最も売れている本と言ってもいいでしょう」
「そこまで……」
「とはいえそもそも本を読む人は多くありませんからね。粗悪な偽物も出回っているといいますし、一部内容を省略した摘発回避版もあるそうです」
「他の本は?」
「物語という形では、やはり令嬢ものが主流になっていますね。墜ちる角灯の続編で復讐鬼となった令嬢が悪徳商人や貴族を成敗していくものとか」
「本当になんでもあるのね」
「ちゃんとどれも面白いんですよ、おそらく名のある作家がそれを隠してやっています。まあそのあたりの秘密を明らかにしないというのも我々の信用あってこそですが」
フュルシーアにとって、それは自分が扱う品物が価値を見出されているということであった。彼らは無価値なものを売りつけるようなことはしない。それは恨みを買うだけで、商売の道に反している。たとえ神に背を向けようとも、客に背を向けることはしないのだ。もちろん、何をもって背を向けるとするのかの定義には少し幅があるようだったが。
「それ以外は?」
「明確には言えないんですよ。私も彼と少し話をしたんですがね」
そう言ってフュルシーアは隣に立っていた男をちらりと見た。
「紹介してもらっても?」
「知らないほうがいい人物です。テレナ先輩は彼の名前も素性も知らなかった。そういうことになりませんか?」
「……わかった」
テレナは頷く。少なくとも、南方街の事情に詳しい人なのだろう。そして学院には統合王国の長い手が伸びている。フュルシーアは自分がそれなりに見張られていることを知っていたが、自分を監視する程度であれば統合王国のその手の人達は相当暇なのだろうなと考えていた。
フュルシーアは、学院の中である程度目立つ立場にあった。黒い布で隠した髪も、どこか南方を感じさせる訛りも、あるいは積極的な質問をする性格も、彼女を同級生のみならず先輩や後輩の中でもちょっとした有名人にしていた。
それは囮だった。派手に動くフュルシーアの裏では、それなりの事が動いていた。少なくとも彼女が表立って本を誰かに渡すことはない。そもそも彼女は鍵のかかる部屋に呼ばれる身とは言え、そこまで深い謀略を編めるほどの才覚はないのだ。彼女はちょっと話を書くのが得意で、知り合いの多い父親を持つ乙女に過ぎない。
「官僚とか教会みたいにちゃんと数字でまとめているわけではないですからね。そういうのに纏めるということは、誰かが見ることができるということです。私たちはしばしば取引相手を知ることすらありませんから」
「……冷海同盟のやり方とは違うようね」
「彼ら以上に私たちは法をそこまで信じていないんですよ。冷海同盟の都市国家ですら、南方系だと見なされれば支払いを踏み倒されることは珍しくありません」
悲しく笑うフュルシーアだったが、もちろんそれでも南方街が維持される理由を知っていた。彼らは実力の行使と噂の収集に慣れている。特に南方街という場所は、そこで話される内容が秘密になると思い込んでいる人の多い場所だ。もちろん、その幻想を使って南方街の珈琲店は少し高めの料金を取っているのだが。
「となると、南方系相手であったとしてもちゃんと法を運用することが彼らを敵にしないためには不可欠ということね」
「そういう状況でなら、我々は罪人を同胞であるという理由で匿うことは少なくなると言えるでしょう」
「なくなるとは言わないのね」
頷くフュルシーアを見ながら、それは誠実さ故のものだとシェプルスキアはわかっていながらも息を吐いた。彼女は基本的に約束を破らない。あるいは、破ることになりうる約束をしない。それは商人として信頼を得るためのものでもあったが、フュルシーア自身があまり嘘を得意としていないというのもあった。
彼女にとっては笑顔も、あるいは悪巧みをする時の顔も、自分の本心を他人にはっきりと見せないためのものだった。そもそも本心などがあるかどうかはわからないが、常に素直で、そして嘘をついていれば、追加で一つや二つの秘め事を持っていても隠し通せてしまうのだった。それは嘘と暴力を当然とする環境で生まれた、彼女なりの生き方だった。