紙面の上にて活字が嗤う 1
「統合王国の天気は?」
そう言いながらテレナは地図を壁から剥がし、机の上に乗せる。フュルシーアが持ち込んだものを読み込み、事態を整理し、そしてまだその噂を握っているのが学生である自分たちだけだ、と気がつくまでにまるまる一日がかかっていた。
「この時期は大抵は雪だ、気合い入れないとまともな輸送はできない」
アニドが答えながら、新聞に書かれている日付を小さな紙に書いて出版地に指していく。それが示すのは、季節を加味すれば異様な速度での情報伝達だった。それは統合王国内部もそうであるし、学院に届くまでもそうだ。
「正直なところ、私は新聞については期待していませんでした」
フュルシーアはそう言いつつ、持ち込んだ顕微鏡で荒い文字を拡大して見ていた。印刷の質自体は悪くないのだろうが、多く刷ることを優先して無理をしているとフュルシーアは具体的に説明できない範囲の勘として捉えていた。実際の職人が見ないようなものも、彼女は流通を担当するものとしてある程度は知識を持っている。
「冷海同盟のほうだとそれなりにあるとは聞くが……ルメン七世がな」
アニドはそう言いながら、これらの印刷物が辿っただろう経路を考えていた。統合王国の南部はともかく、北部は大河すら凍る冬の寒さがある。すなわち、大規模な物流に使われる船が止まるのだ。もちろん、雪も街道を塞ぐ。この時期に荷物を運ぶのは間違いなく大仕事である。
「あの当時、噂が口伝て以上に流れることを嫌った?」
「それもあるんだが、流言と侮辱と収賄の罪で確か何人か吊るされたと聞いている、実態は知らんしそもそも本当に処刑されたのかもわからんが」
「ああなるほど、逆にそういう場所だと不確かな噂のほうが強くなるのか」
「どこまで考えていたかは俺にもわからんが、少なくともあの爺さんは実に恐るべき男だったってことだ」
そういうテレナとアニドの会話を聞きながら、フュルシーアは見覚えのある文字の欠けをやっと見つけた。
「この新聞はラストゥイル公爵領の南方街が作ってると思います、先輩方」
そう言って、フュルシーアは大きな文字の踊る紙面を見せた。
「告発するデリロス王子、我等の血を啜る貴族……いい言葉ね」
テレナは苦笑いしながら、文面に目を通す。実に恐ろしいことに、少なくとも文字の上ではそこにあるのは王室への敬意であった。
「フュルシーア嬢、どうしてわかるんだ?」
「紙と活字の癖です。特にこのあたりは職人のやり方によって色々変わるんですが、確かこの書体を全体で使えるほどに揃えていて、かつこの種の紙を使うのは私の知る限りそこだけです」
顕微鏡はあくまで博物学者の道楽の道具とされていたが、それでも使えないわけではなかった。紙や布の繊維を見ることはできたし、ティツン商会でもそれを活用しようとする試みはあまりうまく行っていないながらも行われていた。
「ラストゥイル公爵領と言えば、王室派の中心地みたいなところだろ。南方街はどこにでもあるとはいえ、あの長い手が伸びないもんなのか?」
「賄賂か黙認か、まあ私の勘では後者ですね。少なくともテレナ先輩の言うところの固守閥は、怠惰閥を切り捨てる覚悟を決めたようです。正直統合王国の話は知り得ない範囲なんですが」
アニドにフュルシーアはそう言って返す。フュルシーアの故郷は冷海同盟のウォルセラルであり、南方街の繋がりも国境を完全に無視するには至らなかった。
「……ルメン・デリロスが宮廷で弁舌をふるったとされるのは半月前。ただ、これはすぐには首都でも噂になっていない。ただ、そこで話される内容自体は間違いなく事前に決まっていたはずだ」
アニドは指を首都から南の方へ、そしてまた首都を経由して学院に向かうように動かす。
「かなりの速度ね」
テレナが言うと、アニドは頷いた。こうやって見れば、雪がない状態の普通の手紙と同じ程の速度で噂が動いていることになる。
「で、俺達は常に遅れている。今頃社交界は大騒ぎのはずだが、まだそれを書いた手紙は届いていないらしい。……フュルシーア嬢」
「なんでしょうか?」
「どうやって、これらの荷物は学院に届いたんだ?」
「詳しいことは我々も知りません。ただ、最近は毛皮売りと仲が良い南方系の商人も多いようで」
「……総権国か!」
フュルシーアの事実上の解答にアニドは忌々しげに言う。それが統合王国に何かを仕掛けているらしいとはラストゥイル公爵と彼のまわりの人物から噂程度には聞いていた。テレナもガロテーエンを始めとする外交官たちが冬の学院で探りを入れていることを知っていた。
「雪道を越えるだけの覚悟を持った、おそらくそれなりに充実した装備と鍛えられた馬を?統合王国ですら持ち得ないでしょうに」
テレナは言う。ただ、だからこそそんなものが存在しないとテレナは言いたいのではなかった。
「一応言っておきますが、印刷されている日付はあまり信用できませんからね?」
「とはいえ明日の日付を書いたものは出せんだろ、大嘘にはならん」
そう言いながら、アニドは地図の上で自分たちが知り得ない勢力の動きを考えていた。南方街。総権国。そして、国内の結社。アニドとテレナが依然顔を合わせたアレリアが、結社を統制できているわけではないだろう。
「ともかく、詳しい人に話を聞くのが一番ね」
「誰ですか?」
テレナの言葉にフュルシーアは首を傾げた。
「ルメン・デリロスはこの冬に聖職者として社交界に出ていた。フェルヴァジュ管区の中でまだ正式な地位は与えられていないはずだし、ここにもそれは書かれていない」
テレナは小冊子と新聞の束を見て言う。
「つまり、紹介者がいたはず。統合王国が混乱しても困らないし、そこから利益を得ることができると読んでいて、かつ正しさという防護がある人物が」
アニドは相手の手ごわさを考えて息を吐いた。
「……リュクバーン」
「そう。聖座から来た枢要僧は、少なくともアニドが何を話すか知っていたはずだし、彼が話す内容を事前に誰かに伝えることも了承していたと見るべき。まずはそれがフェルヴァジュ管区の動きなのか、あるいはリュクバーンの策略なのか、はたまたルメン・デリロスの個人的動きなのか、それを確認しないと先が読めない」
「確認できるかも怪しいですし、わかったところで対応は変わらないんじゃないですか?」
フュルシーアは呟くように言ったが、テレナは理由を言わず小さく首を振っただけだった。