角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

227 / 300
紙面の上にて活字が嗤う 7

「シェプルスキア女卿、いいかしら?」

 

会合の終わった教室でで片付けをしていたシェプルスキアにそう声をかけてきたのは、修女のファーネスタだった。

 

「なんでしょうかファーネスタ先輩……いえ、ファーネスタ嬢?」

 

「一応は地位を捨てている身だからわたくしに対しては敬称もいらないわ、もし気を使うならファーネスタ姉とでも呼んでくれれば結構よ」

 

「信仰の姉妹、というやつですか?」

 

「そういうこと。……ええと、シェプルスキア女卿は今お時間ありますか?」

 

「暇だよ、この部屋は明日まで使われないはずだし」

 

「……わかりました」

 

そう言ってファーネスタは椅子に座って、深く息を吐いた。

 

「……パゼルコのやつ、あの意味を本当にわかっているのかしら?」

 

「ルメン・デリロス先輩の……」

 

「敬称なんていらないわ、あの大馬鹿者で十分よ」

 

ファーネスタは吐き捨てるように言う。その傲慢にも見える態度が、シェプルスキアには懐かしくて思わず笑ってしまった。

 

「なによ、楽しそうね」

 

「ファーネスタ姉が、学院を卒業して変わってしまったかと思いまして」

 

「何も変わってないわよ私は。できることを精一杯やって、他人に依存して……。ちょっとだけ、自分が誰かに押し付けていたことを考えるようになっただけ」

 

本来、ファーネスタはそう言ったことを考えるべきではない立場だった。上位の貴族が見せる優しさというのは、少なくない場合で弱みと見なされる。第三王子の妻程度の立場であれば、多くの場合は一部の例外を除いて不遜に立ち回ることもある種の正解であった。

 

ただ、今のファーネスタは教会の組織に組み込まれた修女の一人に過ぎない。彼女が学院に訪れるのも、監僧総代理であるパゼルコの付き人のような立場であった。もちろん、多くの人がそれを法曹の言葉を貴族の言葉に翻訳するための通訳であるとは理解している。

 

「例えばテアリアさんに、とか?」

 

「……そうね。あの子も健気というか、このままだと教会に入りそうで見ていて怖いわ。せっかくわたくしの父が色々動いているというのに」

 

「テワドレーム公爵、だよね?」

 

「そう。ああそっか、シェプルスキア女卿は会ったことあるわよね」

 

「二年前の冬の学院で。あの時はまだ作法とか何もわかってなかったけど」

 

「あまりそのあたりをしっかりやりすぎるのも問題よ。狭量な貴族から当てつけだと思われるから」

 

「やっぱり統合王国の貴族って大変すぎない?」

 

シェプルスキアは改めて口にする。かつてのイヴェリャン団でも、ある程度の作法はあった。とはいえそれは天幕の中で剣を鞘から抜くなというものであったり、あるいは団長の前では各々のやり方で敬意を示せというものであったり。

 

イヴェリャン団はどうしても寄せ集めの組織だった。だからこそ、それぞれが取る自分たちの慣習のやり方は異なる。シェプルスキアの父であったアズドは隷下の兵たちに規律を求めたが、同時に彼らのやり方も尊重した。その上で不適切なやり方を止めるように強い口調で言う参謀たちを制止して、双方の立場を理解したように妥協案を作るのが上手かった。

 

ただ、それはあくまで互いの名誉というある種わかりやすいもののために規範ができていく流れだ。統合王国の規範は、規範を守るために作られていく。ルメン七世の恐怖が過ぎ去ってもなお、洗練された宮廷作法は複雑さを増していた。

 

「そうなのよ、だから平民がずかずかと宮廷に我が物顔で歩く日は楽しみね。そうなれば作法もなにもあったものじゃなくなるでしょうし、代議士に対してそのような指摘をする貴族がいたらきっと新聞は面白おかしく取り上げてくれる」

 

そう言って、ファーネスタは小さく笑った。

 

「……ファーネスタ姉は、貴族が嫌いですか?」

 

「いいえ。わたくしは貴族だったわたくしも、修女としてのわたくしも、嫌おうとはしていません。背を伸ばし、前を向き、その姿勢でもって面倒事に向き合うことが、誉れというものなのですよ」

 

それはファーネスタなりの正当化でもあった。王子と結婚するだろう世代として育てられ、王室派と地方派の貴族の関係のために同意なしの婚約を幼い頃から結ばされ、学院では将来の妻として、そして社交界の支配者となれるように振る舞った。

 

そんなファーネスタから、エネトはすべてを奪ったように当時のファーネスタには思えた。自刃すら考えた。ただ、彼女は弱かった。自分の喉元に、ナイフの柄すら当てることができなかった。

 

そして季節が過ぎ、交渉があり、ファーネスタは修女の身となった。それは本来考えていた俗世から離れたものではなく、まさに貴族としての魂が求められる、彼女にとっての戦場だった。

 

頼れる上官がいた。パゼルコはファーネスタが持たないものを多く持っていたが、ファーネスタが当然だと思うものの多くを持っていなかった。だからこそ自分がここにいるのだ、と理解した時にその計画者だろうリュクバーンとその隣りにいるだろうエネトと学院で悪巧みをしていたアニドとテレナと、あと余計なことばっかして自分がいなければ既に何度か危ない失敗をしていただろうパゼルコを殴りたくはあった。

 

事実、ファーネスタはパゼルコを何度か殴ったことがあった。パゼルコは自分の身体を鍛えるために、独特の鍛錬を持っていた。彼が言うには、何かあった時に身体を動かすためには経験が必要だという。必要な時に一発相手を殴ることができれば、逃げる隙を作ることは不可能ではない。そのためにも殴るという経験を持つべきだ、とパゼルコはファーネスタの拳に布を巻きながら言っていた。

 

そして怒りを込めた拳は、パゼルコの厚い手のひらに止められた。今なおファーネスタはパゼルコを倒すような打ち込みはできていない。それでも油断している相手の思考を少し止めるぐらいなら、できなくはなかった。

 

「……ファーネスタ姉は、良い人になりましたね」

 

「そうよ。もちろんまだわたくしはシェプルスキア女卿のような肉体は持ちませんが」

 

「えっ肉体?」

 

そう言ってシェプルスキアは自分の身体を見るように視線を動かした。かつての傭兵団の頃からすれば多少衰えたのは間違いなかったが、それでも息切れせず階段を登りきり、馬に乗りながらでも近い的になら弓を当てられる程度の練度は残っていた。そしてファーネスタの眼は、そのシェプルスキアの肉体を少しは理解できるようになっていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。