「テレナ嬢、お久しぶりですな」
「……ガロテーエン卿。そうですね、一年ぶりでしょうか」
総権国の外交官から声をかけられ、テレナは社交的な笑みを返した。ただ、今の状態はあまり良いものではなかった。隣には先程まで統合王国の財務問題について議論していたアニドがいる。
そしてアニド卿は、統合王国の外でも有名人になりつつあるはずだった。少なくともしっかりと噂を集めているなら、学院にいるアニドという青年が何かを動かしていることについて気がつくことはできるだろう。
「そちらの彼を、ご紹介してもらえますかな」
テレナが口を開こうとすると、アニドは一歩前に出た。統合王国流の社交では、あまりよろしくない態度である。
「アニドだ。ええと、ガロテーエン卿?」
ガロテーエンは一瞬だけ無作法に眉をしかめたが、すぐに野趣溢れる笑顔を浮かべる。
「その通りです。総権国の外交官をしておりましてな」
「へぇ、じゃあ毛皮売りの人たちの出身地ですか。最近統合王国でも流行ですしね」
アニドの態度は、儀礼から一歩はみ出したものだった。ただ、ガロテーエンはそれを指摘しない。眼の前の相手はその気になれば、間違いなく正しい礼儀作法を使いこなすことができるはずだ。
「そうですな。とはいえ最近は統合王国もそういったものへの税金が少し変わりそうで怖いところではあります」
「ああ、そのあたりは色々と言われてるからな。難しいところだ」
「アニド卿はそのあたりもお詳しいとか?」
「いやぁ、本で読んだり他の人の手紙にあった知識を適当に知ったかぶってるだけです」
アニドは謀略などないような、愚かにも見える笑顔で言う。ガロテーエンは彼が一定以上の技量を持つ役者であることを見抜いたが、それ以上に直接得られることはなさそうだなと考えていた。しかし同時に、彼が背後を語らないことが、本当に彼が独立した存在なのではないかという可能性をガロテーエンに抱かせた。
「ああそうだガロテーエン卿。そろそろ娘さんが学院に入られる頃でしょうか?」
テレナが会話に割り込む。無礼にならないよう、アニドが自分の立場を表明した後でだ。
「そうでしたな。……入学は、問題なさそうではあります」
「それはよかった、学院には総権国の学生は確か今いませんが、それでも総権国語を話せる学生はいます。それに、統合王国語は話せるのでしょう?」
学院の入学にあたっては、統合王国語を話せることが前提になっていた。それは学院の基本的な授業を行う言語であったし、大学のような聖語での議論や読み書きを重視する姿勢とは異なることを示す意味もあった。
「ええ、もしよければ、面倒を見てやってください」
「それは構いませんが……学院の先達として一つ、娘さんにお伝えしておいて欲しいことがあります」
テレナはガロテーエンに笑顔を向けて言う。
「何だね?」
「学院に来るのであれば、親にでもねだって力を持ってくるといいですよ。例えば手紙を運んでくれる人とか」
ガロテーエンは、相手が知っていることの範囲をその言葉から読み取れた。総権国が少なくない時間と投資の上で北側世界に積み上げてきた高速の輸送。その使用権を、娘に託せと言うのだ。
「……冬が明けた時から、娘は統合王国のほうに来る。その時に伝えておこう」
「それが良いと思います」
「学院の色々なことを、娘にも教えてほしいのだがな」
「私たちは出身地を気にしませんよ。東方の領主でも、南方系の学生でも、彼らに力があれば、私たちはそれを認めます」
「……娘は認めてもらえるだろうか?」
「まずは学院で何をするべきかを自分で気がつけるかどうか、というところはありますね。もちろんその答えを誰かに与えられてもいいのですが、そうした時には自分なりのものを持てるまで時間がかかります」
テレナはそう言いながら、ファーネスタを思い出していた。シェプルスキアから聞いたところによると、彼女は覚悟の決まった目をしていたらしい。それを持てる若い貴族は多くない。学院を卒業してしばらくして難問にぶつかり、そこで素直に誰かに聞くことができて、そこで初めて理解することも珍しくないのだ。少なくとも、テレナは家庭教師であったウィルトールからそう聞いていた。
学院は単なる学びの場所ではない。そこには大学や社交界では作れないような繋がりのきっかけがあり、普通ではなかなかな学べない分野の授業がある。そしてそれを理解して入ってくる学生は、多いわけではない。
そして理解したところで、適切な行動が取れるかは別だ。テレナは正直なところ、同級生への人脈を広げるという方向で学院を活用しているわけではなかった。そこにあるのは北側世界からかき集められた実務に偏りがちな蔵書と、現場から少し離れているとは言えその香りを覚えている教授陣だった。
「……考えることも、既に予習か」
ガロテーエンは呟く。自分の娘は確かに賢いし、学院の選抜を通過する程度には教養も文章力もある。そして彼女の推薦者はかの女総権者だ。だが、彼女自身でやるべきことを見抜けるほどの経験があるかと言われれば父親としての感情を差し引かずとも気軽に断言はできなかった。
「もちろん、入ってから変わる人もいます。とはいえ娘さんは、きっと学ぶ目的を既にはっきりと持っているのでしょう?」
テレナは総権国のやり方を知っていた。それは女総権者の下に統一されたような、成功した統合王国のようなあり方をしていた。もちろん、それは外部から見たものに過ぎない。おそらく内部では多くの問題があり、そして女総権者の権力や支配も完全ではないのだろう。
ただ、そのような国が学生を送り込むなら、相応の準備をしてくるはずだと考えていた。場合によっては女総権者自ら計画に参与している可能性すらある。彼女はおそらく、総権国で学院を最もよく知る人間だ。その視座は、ほぼ間違いなく自分より上だとテレナは考えていた。
「そうですな。あれは良くできた娘だ、だからこそここでの学びはきっと良いものになるだろう」
「知りたいことが多く学べるといいですね。私たちは一年で卒業してしまいますが、後輩たちはしばらく残ります。それに、きっとその方も先輩になって、誰かに何かを伝えていくのでしょう」
「学ぶ場所で受け継がれるもの、というのは良いものだな」
そう言うガロテーエンは笑顔を浮かべ、テレナもそれに微笑みを返した。それを脇から見ながら、アニドは懐かしい宮廷の欺瞞に満ちていた吐き気のするような空気を思い出していた。