「それなりに噂は整ってきたわね」
テレナはそう言いながら、新聞を書き写しを並べていく。
「暴動にはならず、抗議は今のところ平和的。とはいえ軍は不信感を示しており、陸軍と海軍の有力者は植民地軍の解体を国王に提言する方向を固めている……これ本当か?」
アニドは信じられなさそうにこの新聞を持ち込んだフュルシーアを見る。
「……まさかアニド先輩、新聞を信じているんですか?」
「いや、信じるだろこれは」
印刷された文字というものは、アニドにとってはそれなりの手間がかけて作られているはずのものだった。つまりもしそこに書かれているのが嘘だとしても、何か強い意図があると考えるのが妥当なはずだった。
「今どき新聞の印刷は簡単にできる副業ですよ、石膏で版を増やすことはできますし、それと印刷機にインク、紙があればいいわけですから」
「……ああそうか、製本の手間がないのか」
アニドは雑に折られただけの紙を見て呟く。ただ、文字というものの持つある種の高尚さを思考から拭い去れることはできなかった。ルメン七世時代の統制が、新聞の質に最低限の保証をしていたせいもあるかもしれない。
「あとはやっぱり売れるものっていうのは最低限の取材は必要になりますね。このあたりの変化は私も現地に行っていないのでわかりませんが」
「完全な嘘ではない、と」
「ただ、このような発言を実際に彼らがしたかはまた別です。言ったことにしてしまったものが勝ちってなっているかもしれませんし、そこで嘘をつくと長期的信用を失うと思われているかもしれません」
「わからないの?」
テレナはフュルシーアに尋ねる。フュルシーアはウォルセラルという冷海同盟有数の年における南方街の中心的人物とつながりがあるはずだった。
「はい、テレナ先輩。正直言って、おそらく統合王国の人々が新聞という物の価値に気がついたのは本当にここ一ヶ月だと思われます。おかげで印刷機の密輸入が大忙しらしいですよ、毛皮売りたちの副業みたいで」
その裏に総権国の動きがあるのは噂を越えるものではなかった。それが誰かに指揮されているのか、あるいは現地の有志による自発的な努力なのかは、フュルシーアの場所からも見えなかった。
「酷いものね、ただでさえ国家財政が面倒なことになっているのに庶民の財布から硬貨がどこかに消えていくわけ?」
「とはいえ別にどこかが儲かっている感じはしないんですよね、まあ新聞は今後色々作られていは消えていくでしょうし、人々は都合の良い見出しだけを見て買うと思いますよ」
「……そういうものを売るのが、南方街の得意なやり方では?」
「本とかならともかく、新聞は私たちもあまり手を出していません。罪人に石を投げるより、隣で石を売ったほうが儲かります」
フュルシーアは胸を張って言った。
「……で、その石とやらはどこから仕入れるんだ?」
アニドは地図を見ながら言う。それは統合王国の各地の都市で起こっていた。そして、統合王国で新聞はまだ一般的ではなかったはずだ。文字が読める人が誰かに聞かせるとしても、そもそもの新聞が、そして印刷機がなければ話が始まらない。
「印刷機の具体的な部品の話ですか?それなりに各地に在庫はあると思うので、手に入れようと思えば安くはなるはずです。紙については雪が溶けたら大規模に輸入がされると思いますよ、冷海同盟の方では既にその動きがあります」
フュルシーアにとって、それは隠すべきことではなかった。そもそも彼女はその判断を彼女が信頼する人々が知るに至った理由を確信しているわけではない。ただ、複数の人がそのような話を元に動いているということは、全体がそう動くだろうという確信があっただけだ。
それは聖典や経典にあるような、預言者の言葉ではない。ただの事実として、彼らは自分が信じて口にしたものが実現することが多いと知っている。誰かが何かを望めば、そこには商人が集まり、取引が行われ、そして新しく生まれた何かが更に富を生む。何かを作るだけの基盤を得ることができなかった北側世界の南方人は、そうやった取引を通して地位を確立した。
もちろんそれは迫害を生んだ。統合王国においては仕事をせずに暴利を貪るものとして。冷海同盟ではもっと直接的な商売敵として。結果として南方街は表にできないような仕事をいくつかするようになったし、それが周囲からの軽蔑の視線を伴った奇妙な安定を作った。
「……新聞を集めるのに、使えそうな人が来年度の学院に入るのよね」
テレナが言うと、フュルシーアは首を傾けた。
「誰ですか?」
「総権国外交官、ガロテーエンの娘。彼女にこの部屋に入る権利と引き換えに、統合王国を含めた北側世界の声を届けさせる」
「……相当危ないぞ」
アニドは言う。彼らはここから統合王国を間違いなく動かすことができた。そこに総権国の意を汲んで動く人物を招くというのは、その意志の強さがどう出るかわからない以上危惧するべきことだった。
「総権国が動くなら破壊的に動けるわよ。だとしたら私の利益にするためには、総権国にとって統合王国と同君地域が衝突することが損となるようにすること。どうすればそれができるかはわからないけど」
テレナはいくつかの計画を立ててはいたが、今の時点でうまくいくと確信できるものはなかった。どれも時間がかかり、今彼女の手元にない情報を必要とする。ただ、総権国が西方の和平を望む可能性はないわけではなかった。
「ある意味では、彼らにとって統合王国はどうなっても構わないということですからね」
フュルシーアが言う。ある種の冷酷さが統治者に必要だという話は昔からされていたが、少なくともこの部屋に集まる人々にとってそれは目指すべき目標ではなく議論の前提に過ぎなかった。
その冷酷さをいかに取り繕うか。あるいはその判断が単なる残酷さに留まらないためにどのような方策が取れるか。あるいは君主がいかにして同様の思考を持つ相手からの譲歩を手にするか。
統合王国は、荒療治ではあるが回復に向かいつつあるというのが鍵のかかった部屋の見方だった。ただ、それは状況を楽観視できるわけではない。いつまた発作が起こるかはわからず、体力の回復を待たずに刺客が来るかもしれない。そもそも、見方によっては学院の学生たちがやっているのは毒を盛ることであった。薬と毒は、多くの場合その分量ぐらいしか違いがないのである。