授業の課題をこなすためにテレナが図書室で資料を探していると、隣を数冊の分厚い本を持ったネアが通った。
「あら、テレナさん」
「……卒業試験ですか?」
背表紙を読んでテレナは言う。そこにあったのは半世紀前、総権国ができることになる拡大戦争の歴史書だった。
「そう。この時期になると授業なんてものはほとんど無くなるし、冬が長引くこともあるから」
「そのあたりよくわからないんですよね、第三学年になったというのに」
「かなり差も大きいから、テレナさんが相応しいと思う過ごし方をすればいいと思いますよ」
そう言ってネアは少し疲れた顔で微笑んだ。
「……進みは、どうですか」
「よくない。ええと、冷海同盟が総権国から意外な形で毛皮取引の売上増加の恩恵を受けた話は知っている?」
「レイルグとかから最低限は。一般的には今の女総権者の手腕である、とまとめられているそうですが」
「さて、商人がそんな曖昧な答えで満足すると思う?」
そう言って、ネアは持っていた本を机に置いた。
「……初代総権者に遡るつもりですか?」
「そう。たとえエフナチェルカ一世がどれだけ優れた指し手でも、無から駒を作り出すことはできない。初代総権者もそう。だから、そこには理由があるはず」
「……学院でわかるような理由ですかね?」
遠くの知識は、どうしても不正確になりがちであった。統合王国語に翻訳された共和王冠国の政治事情の話は皆無と言ってよく、それが今のテレナたちの行動における優位性を生み出しているところがあった。
「金の流れを見るのよ。船の数、毛皮の量、商会の株価。そういったものはここにはある程度まとまっているし、ティツン商会の図書室にも調査を依頼している」
「家が家だとやることが違う……」
「これはティツン商会から私という個人が請け負った仕事という側面もあるからね。実際のところ、増えた利益を正当化できないと放任主義者がうるさくなるのよ」
「規制がなくなるのはいいことでは……っと、統合王国相手ですか」
「そう。ちょっとした優先的立場の話。ティツン商会以外にもこの手の取引に絡む会社はあるし、彼らはもともと私たちが手を出していなかった統合王国の方面に気を配っていたのだけど」
そう言ってネアは笑顔を浮かべる。彼女にとって、競合は吸収の対象であった。取引上、ティツン商会の傘下であれば優先権を回すことができる。事実、ティツン商会の傘下にある多くの企業や組織はそのようにして集めた特権と知識をやり取りすることによって拡大してきたのだ。
「……で、どう思います?」
「少なくとも放任主義者の言うようなものではないわね、あるがままに任せたら、おそらく総権国に流れた金は乾いた土が水を吸い込むようにどこかに消えていく」
「……腐敗、ですか」
「そこまでじゃないわよ、どこにでもある汚職。総権国では、少なくとも十年ぐらい前まではそれがはっきりと残っていた。今の女総権者になって厳しく取り締まられるようになっているし、あとはそういうことをしない人が地位を得られるように官等表とか用意されたわけで」
「ああ、あれってそこそこの立場の人にちゃんと給与を出すって意味もあるのか」
テレナの言葉にネアは頷く。事実、官等表は下級官吏がちょっとした贅沢品を家族に買うだけの給与をもたらしていた。それはティツン商会側と繋がりのある刺繍工房への依頼から読むことができる。
「官等表自体は初代総権者のものだけどね。……それにしても二代目の話が一切ないのよね」
「何やったんですか?」
テレナもその人物についてはよく知らなかった。流れてくる噂を不適当に集める限り、妻に権力を奪われて殺された人物である。とはいえ、もし操れるなら操っていたほうが今の女総権者にとっても良かったはずだ。
誰かを操るのは大変だが、自分が表に出るよりも楽なことが多い。とはいえテレナはより怠惰であったため、故郷の伯爵領と嫁ぎ先の伯爵領で将来領主になるだろう二人を信頼して仕事をある程度は任せるつもりでいた。
「それが特にないのよ。もちろん即位はしているんだけど、関係者の動きが記録にないし、財政的な流れを見ると今までの政策を中途半端に止めようとして止めきれていない気配が見えるのよね……」
「それは殺されても文句言えないのでは?」
テレナは呟く。前任者のやったことを否定して今まで不満を持っていた層からの指示を集めるというのは重要だ。一方で、それはそれまで貢献してくれてきた人々を蔑ろにする形ではやらないほうがいい。もしそうするなら、一定の覚悟が必要だ。
とはいえ、急激に方向を変えて全てを作り直すのは中途半端にするよりはまだ良かった。変えようとして変えられなかった場合、適切な理由がなければ新しい就任者の実力不足が目に見えて両陣営に明らかになってしまう。
「そうなのよ。おそらくそのままなら、初代総権者の功績をかなり崩していた。少なくとも領地は削られていたと思う。でも、そうはなっていない」
「エフナチェルカ一世……」
テレナの言葉にネアは頷く。
「私は金銭と商売の話しかわからないけど、その点では彼女はかなり着実にやっている。いや、着実というのも違うわね。少し危ないことをやっているように見えるときもあるけど、それはあとから見ると成功している」
「最初から成功すると思ってやっていたのか、それとも危ないところを落ち着けることができるのか、どちらだと思う?」
「……正直、どちらとも言えない」
ネアはそう言って、書いている最中の論文に使うための表を取り出した。
「軍事費は明確にはわからないけど、行った遠征と敵の規模、そして統合王国の派遣武官が残した記録を見る限り、かなり抑えられているように見える。本来なら数で押し潰すようなところを、もう少し迂遠な手を使っている」
「……それができるだけの将軍がちゃんといた、わけだよね」
「まあイプルカって人に殺されてるんだけど」
「東方のイヴェリャン団の長を潰したあとなら会計上は釣り合いが取れていない?」
「そうかもね」
ネアは少し笑ったが、ここまで調べても女総権者が何を見て国家を運営しているのかが掴めない不気味さを感じていた。それが西側とは違う野蛮さだと言うことができれば良かったのだが、ネアからすれば西側の失敗を知り、それよりも進んだ何かを考えた上で、それを総権国で実現しようとしているようにも見えたのだ。