「同君地域の学生からの聞き取りがようやく終わりましたよ」
レイルグはそう言って、椅子に深く腰掛けた。鍵のかかった部屋の中には、珍しく全員が揃っている。
「それでレイルグ君、ハッヘンヴルト家の動きはどうだ?」
そう尋ねるのはアニド。
「学生たちが戻るぎりぎりで噂は到着しています。フュルシーア嬢が学院に新聞を持ってきたのからおよそ二ヶ月。噂の速度と考えればそんなものでしょうが、実際のこの手の担当者にはもう少し早く回っているでしょう」
そう言いながら、レイルグが大まかに描かれた同君地域の地図の上に
「同時に、何人かの議場学者の知り合いから不穏な手紙が届いています」
そう言って、レイルグは手紙を取り出す。その差出人はレイルグを学院に推薦した人々であり、同君地域において実務を担う人々であった。
「読んでいい?」
尋ねたテレナに、レイルグは頷く。その後ろから顔を出したフュルシーアは、テレナの手の中で広げられた手紙を覗き込むように眺めていく。
「
そう言いながらテレナは文章に目を通していく。前にレイルグが求めていた資料が見つかったので送付する、最近また娘が生まれてかわいい、今度遊びに来いなどという世間話の合間に、領主に呼ばれてハッヘンヴルト家の家族会議に行くことになったという一文がさり気なく挟まれている。
「私はちょっとつらいです、そういえばシェプルスキア先輩って聖語わかるんですか?」
フュルシーアが顔を遠ざけながら言った。
「あたしはよくわかんない、テレナが読んでくれるなら行けるけど」
シェプルスキアは答える。最近は忙しいテレナに本を読んでもらう機会も少なくなっていたし、シェプルスキアが自分で読むのには限界があった。十年以上の読書経験というのは、決して生半可な努力で追いつけるものではないのである。
「……で、ハッヘンヴルト家はどのくらい急いでそう?」
テレナが聞くと、レイルグは少し唸った。
「ガルース・デラ・ハッヘンヴルトという人物をまず考える必要があります。彼は先代の家長の頃から同君地域の外交においてかなり重要な役目を担ってきました。彼が学院に来るのはもちろん招聘されたからというのもありますが、最も間近でかつ同君地域内という場所で観察できるから、というのが大きいでしょう」
「ハッヘンヴルト家に対する人質として彼が置かれていることを、理解していると思うか?」
アニドが尋ねる。
「はい。もちろん彼らはガルース卿をもしもの時には死んでいい人物として送り込んできています」
レイルグの言葉にテレナはは頭を抱え、アニドは天井を見上げ、フュルシーアは小さく笑った。
「……つまり、覚悟の決まっていて、そこを死に場所と定めた老兵か」
シェプルスキアは呟く。それは恐るべき敵の形の一つであり、かつてイヴェリャン団において犠牲となった、しかし今なお覚えられている戦士たちのあり方だった。
「商売の業界でもいるわよそういうの。排除はまず無理。こちらが下手に出て、教わるぐらいの態度でやらないと飲まれる」
黙って部屋の隅に立っていたネアが口を開いた。
「ネア先輩の方は、どう見ます?」
レイルグが言う。
「私はあくまで商人の娘に過ぎないわよ。それでもいいなら私見を語らせてもらうけど」
ネアはそう言いながら、地図の上に指を置いた。
「シェプルスキアさんにとっては言うまでもないことだけど、基本的に戦争というのは膨大な人と馬によって行われる。そして地上の人間はパンを裂いて魚を配り、五連隊規模の集団の腹を満たす万軍の主ではないの」
指が動いていくのは、穀倉地帯として知られる場所。自然とそこには人口が集まり、街ができている。
「夏から秋にかけて、現地で収穫されたばかりの穀物があるならそれをすぐさま糧食に回すのがいい。でも、必要はそれを超えてくる。故に商人の出番よ。あらゆる場所で買い付けて、それを軍に売りさばく。ティツン商会は直接はやっていないけれども、それでも布は軍事物資の中でもそれなりに重要なものだから知識はある」
ネアの言葉に、シェプルスキアは頷いた。清潔な乾いた布があるだけで、兵の強さが大きく変わる。何かを我慢し続けるということは、指揮を削ってくるのだ。
「シェプルスキア女領主、いえ連隊長と呼ぶべきかしら?冬の行軍について言えることはある?」
「するな」
シェプルスキアはネアに向かってはっきりと言いきった。
「では、それが必要であれば?」
「会戦はできるだけ速く、一瞬で戦いを終わらせること。一日でも長いぐらい。そしてそのための準備には、時間をいくらかけてもいいぐらい。輸送の天幕隊と念入りに打ち合わせをして、相手がのろのろと進んでいるところを狙う。地形を知っている場所がいいから、防御側でそれをやるなら有利かな」
「……ねえ、シェプ。それはつまり、戦史に残るような戦いをしろってことだよね?」
テレナは言う。
「そう。テレナが読んでくれた、英雄たちの物語みたいなことを繰り返さないといけない。冬っていうのはそういうものだから」
シェプルスキアの言葉に、ネアは満足そうに頷いた。
「さて、話を戻すわよ。そんな無茶をしないなら、ハッヘンヴルト家は今から準備を始めないといけない。収穫を調整し、各地に倉庫を増やしておき、事前に摘発の話を通しておく。そしてその噂は、商人の耳にも入るのよ」
「麦の値上がり……」
レイルグは呟く。それは議場学の中で、買い付ける側の意見として知られているものだった。商人というものは、相手が求めているとわかればその値を吊り上げてくる。ゆえに相手には戦争の支度をしているとさそられてはならない、というのがレイルグの知る戦争技巧の一つであった。
「そう。他にも債券の発行であったり、法の布告であったり、兵の移動であったりというのは起こる。でもそれは、あいにくながら私の専門外。だからもし私が見るとしたら、商人の動きを確かめる。自分たちで調べるよりも、知っている人に頼ったほうがいいから。そこに手間を惜しむべきじゃない」
ネアはそう言いながら、自分が間もなく去ることになるだろう学院の後輩たちを見ていた。ティツン商会に入ってしまえば、こういったことは難しくなる。彼女はいかなる他国の犠牲をも無視して、自分たちの利益を上げねばならない立場になるのだった。