「学生諸君。君たちの知るように、まず第一に、外交官とは嘘吐きである」
上級生向けの外交の授業で、教授であるガルースは口を開いた。
シェプルスキアは周囲に視線を走らせる。当然だろうという顔と、ハッヘンヴルト家を代表していたような外交官がそれを言ってしまうのかというのと、ああ古い教養だなと考える人と、様々ではあった。しかし誰一人として、それを非難するものであるとは考えていなかった。公的に認めるかどうかはともかく、それはただの事実であった。
「しかし嘘吐きは信用されない。ましてや現代において、あらゆる取引と貿易が境界なしに行われている。そのような時代にかつて支払いをしなかった、約束を守らなかった、あるいは手続きなしに戦争したとなれば、誹りを免れることはできないだろう」
これには頷く学生は多い。ただ、誠実であることと誠実に振る舞うことの違いをきちんと理解した人はどこまでいるのかは怪しかった。
シェプルスキアは、今ならそれがわかる。かつてただ単に参謀天幕に従っていたシェプルスキアは、今ならきちんと判断した上で参謀天幕の提案に頷くだろう。たとえそれが完全に理解できなくとも、参謀天幕がどのようにその決定をしたかは理解している。
「では、具体的な話をしよう。まずは私が統合王国に派遣されて公使をしていた時の話だ……」
そう言って、ガルースは当時の街の様子を話していく。それはルメン七世の治世の最後、恐怖が満ちていた頃だ。
「まあ、その頃は同君地域は嫌われていてね。何度か口論したような仲の相手がハッヘンヴルト家との内通者ではないかと疑われ、宮廷の職を追われたこともあった。あれは残念なことだった。もちろん、今ではそのようなことはない」
「どうなのさ、アニド卿」
シェプルスキアの隣りに座っていたテレナが、更に隣のアニドに声をかける。
「知らん。ただガルース卿にとって不都合な人間を長い手の力を借りて消したとかのほうがありそうだがな」
「そんな上手くいくものかしらね」
「失敗しても大きな損はない、ということだろう」
そういうテレナとアニドの会話を聞きながら、悪どいことはできるものなのだなぁとシェプルスキアは考えていた。
そうしながら、ガルースの話は進んでいく。いかに有力者を見つけ、そしてその周囲の人と仲良くなるか。相手を完全に知っておくことよりも、相手の知らないところを見つけるほうが覚えてもらいがちであるということ。
「……そして、これらの技能はけっして短期間で身につくものではない。良い家で育ったものは、良い素振りを知っている」
そう言って、ガルースの目はある少女の方を向いた。彼は、当然のことながら彼女のことも調べていた。
第一学年でありながら、彼女が上級生向けの外交の授業に出ていた。既に基本的な知識では第一学年の水準を超えていた。そして、彼女は学院に来る目的をはっきりと持っていた。
「……とはいえ、外交官に向いている人々はほとんどいない。だからこそ、これからはそういった人物を育てる必要がある。それは社交界から力を削ぐかもしれないが……それは、よくあることだ」
ガルースはそう言って、一旦教室を見渡した。
「この中に弓を引いて戦うものは……」
ガルースの声に、シェプルスキアは手を挙げる。
「……すまなかった。忘れてくれ」
教室には小さなざわめきが漏れる。とはいえ、それはガルースを責めるものではない。ある種当然の、そして自分たちと同じような西方の人々の共通理解を覆す異物がそばにいることへの小さな面白さを反映したものだ。
「戦場において弓は去った。剣と槍はまだ生きているが、銃の勢力の拡大を考えれば廃れる日も来るだろう」
「それはないよ、結局は直接斬らないといけないんだから」
「黙ってなさい、シェプ」
テレナの言葉に不満そうにシェプルスキアは唇を尖らせたが、それだけだった。
「百年前、大宗派戦争が終わった時と今を比較してみよう。もちろん、それは廃墟だった街の復興から始まった。具体的に何が変わったか、言える学生はいるかね?」
そう言って、ガルースは視線を向ける。これだけで、教室の中の力関係のあらましを知ることができた。
考え込んでいる学生がいる。彼らはきっと良い官僚になるだろう。口を開かないことは、素早く答えるのと同じぐらい重要だ。そしてさらに重要なのはそれを使い分けることであったが、それを学生に求めるのは酷であるとガルースは理解していた。
「……はい」
手を挙げた学生がいた。
「ではそこのお嬢さん」
「はい。建築が変わりました。おそらく百年前の建物は、重厚な装飾と対称性、そして荘厳さが求められました。しかし今ではより細く、薄く、繊細で、そして蔦や波に喩えられるような彫刻が求められます」
「よろしい。……名前を伺っても?」
「テアリアです。統合王国の」
「ふむ、ありがとう」
テアリアが小さく礼をすると、彼女に眼差しを向ける学生が何人かいた。おそらく統合王国の地方派の人だろう、とテレナは考える。ファーネスタ閥は崩壊したが、それでもなお人間の繋がりというのは残る。テアリアがエレーリヤの様子を知ることができたのも、幅広い学年にいる知り合いのためだった。
「もちろん、そのような文化も不可欠だ。そしてその文化を生み出した彼女の故郷である統合王国の装飾の切り替わりは、ルメン七世の即位からしばらくして起こる。彼らは新しいものを求めたのだ」
その理由には、あえてガルースは触れなかった。蔦の館が生み出した新しい潮流を評価することが文化人であり、王室のやり方に従うということであり、それがルメン七世への忠誠を示すものとなったという背景を理解できるものはいるだろうが、それをこの場所でハッヘンヴルト家に連なるかつての外交官が多くの学生の前で言うのは危ないものだった。
「銃の普及。大西海を超えて、あるいは南方から運ばれた品物。書店に並ぶ本と、近頃は新聞もある。人々は街に集まり、農村で作られるものも変化した。同君地域では農学によって、各地で独自の品物が作られるようになり、貿易が進んだ。そうすれば道の整備が必要となり、同時に行き交う商人が噂を運ぶ」
それらの一つ一つは、多くの学生が学院で学んできたことだった。それを繋げることができる学生はそれなりにいた。ただ、そこからさらに応用するとなるとまだ学生には難しい課題だった。
「そのような背景を、自国と相手国について知らなければならない。それが外交官としての基礎知識であり、実際の技法はそのような土台なしには成り立たないのだ」
そう語りながら、ガルースは自分の教えられるだろう技法が時代遅れになりつつあることを理解していた。土台が変われば、上の家も変えねばならない。彼の知る古き宮廷での作法と礼は、おそらく書類の並ぶ部屋での握手に変わるのだろうと彼はその経験から感じていた。