「……すなわち、統合王国において税制度を再編することは、貴族には打撃を与えない可能性があります。なぜなら既に貴族は税制度から利益を得ていないからです」
ガルースの教授室で、レイルグが手元の統合王国財務大臣の名義で出された報告書の数字を見せながら二人の学生に言う。少なくとも、この場所での二人は学ぶ側であった。
「……数字、数字、数字。理屈はわかるとも」
そう言ったガルースは深く息を吐き、手元の計算を見る。ただ、その事実はあまり認めたくないものであった。統合王国という、明確に国王を頂点としている国家でさえ、貴族制度は経済的な面から見ればここまで形骸化している。それを別の地域に当てはめるという発想は、当然のように出てくる。
では、ハッヘンヴルト家の統治下の地域で、それができるだろうか?まずは誰のもとにそれを行うかで一つ問題が起こる議場学者はハッヘンヴルト家と微妙な確執がある。その代表を決めるだけで数年がかかるだろう。
それは統合王国のほうが優れた統治体制を持っていることを示しているわけではない。むしろただの学生がそこまで統合王国を動かせてしまった事自体が体制の危うさを示していると言ってもいい。
城を子供が揺らすことができたのなら、疑うべきは子供の腕力ではなく柱が土台に据わっているかどうかである。そして同君地域では、それらの柱はある程度固定されてしまっていた。外部からの手紙からの介入はよくあることであるし、様々な議会と多様な法が統合を阻みながらも、かろうじてハッヘンヴルト家という象徴によってまとまっている状態であった。
ガルースは考える。もし彼らが自らの持っている力に気がつけばどうなるか。彼らは自治を求めるだろう。統合王国で起こっている動きをその流れで考えるのであれば、起ころうとしていることは歴史的に見て決して珍しくないことだ。すなわち、新しく生まれた富める層が、古い階級を打破するべく、自分たちに都合のいい代表者を過去の歴史から持ってきて、祭り上げる。
「なにかご質問は、ありますか」
レイルグの言葉を聞いて、ガルースは思考を止めた。
「この報告書の書かれた目的について説明してくれ。敵を作るにしては数字だらけで、意図がないにしては早すぎる」
「……僕だって正確に知るわけではありません。そのあたりはテレナ先輩か、今日はいませんがアニド先輩のほうが詳しいかと」
そう言ってレイルグは椅子に座っていたテレナの方を見た。
「……テレナ嬢」
「少なくとも、統合王国の実務者たちはある種の危機感を抱いていました」
そう言いながら、テレナは立ち上がってガルースの方に踏み出す。
「貧しい農民からは、かなりの税を取っている。貴族の贅沢や年金はあるが、それは決して莫大というわけではない。しかし、何かがおかしいと考える人はそれなりにいました。彼らは彼らの方法で手元の帳簿をまとめ、どこに金が流れているのかをまとめました。これ自体はセラベールがいなくても、多くの組織で年間の収支をまとめる過程で得られていたものです」
「だが、セラベールがそれをまとめるように指示した」
「……ええ、そんなところですね」
テレナは具体的な言及をあえて避けた。もしハッヘンヴルト家がセラベールを恐れてくれるならそれに越したことはない。実際の彼は臆病で、「贈り物」による関係が生まれることを避ける怠惰な男であり、そして統合王国の社交界に姿を見せない人物だ。彼は追い込み狩りの時の犬の吠える声のようなものだ。それに気を取られた時に、本当の狩人がやってくる。
「……その結果が、これか」
ガルースは決して帳簿を得意としているわけではなかった。彼はむしろその帳簿を書いている人と話し、食事をし、その意味を聞くようにしてきていた。ただ、それでも最低限の能力はあったし、レイルグの説明は実にわかりやすいものだった。
「つまり、統合王国の貴族に対して何かを働きかけるというのはもはや遅すぎる可能性があります。社交界でどうにかできる問題ではない」
「……なら、彼らはどこにいる?」
「あらゆるところに。南方街の絨毯の上で新聞を広げ、街角の書店で読んだ本の噂話をし、大学で、職場で、あるいは家庭で何が起こっているのかをそれぞれが考えている。アニド卿は彼らを中流階級と呼びました。上流というほど目立つわけでもなく、下流というほど無力でもない、という意味で」
「一番良い立場だな。かつてのハッヘンヴルト家もそのようにして力を蓄えた」
「三百年ぐらい前の話ですね」
レイルグが言う。かつてのハッヘンヴルト家は神聖連邦の皇帝の座の選定人ですらなかった。しかし、その頃から既に血は北側世界にゆっくりと張り巡らされていた。
「そして目立ってしまって大宗派戦争で崩壊、聖冠継承戦争で守護者になったと」
テレナが追い打ちをするように呟く。ただ、この程度の言葉はガルースにとっては馴染んだものだった。
「よしわかった。彼らはもやは貴族の考えでは動かないわけだ。統合王国がどうなるとしても、それは今までのものとは異なる」
「変化自体は前からあったでしょう、ルメン七世の時代とか」
テレナが言う。その時代の爪痕は、国内ではなく国外にも残っていた。良好な関係とは言えなかった統合王国と同君地域の間でも、間接的な部隊の衝突や外交的な攻撃が行われた。それを止めれたかもしれない経験豊富な外交官はしばしば排除され、あるいは追放されていた。
「あの種の変化は基本的に内側に向いていた。今回のそれは違う。中流階級とやらは、王を倒して満足すると思うか?」
この点において、ガルースはそれなりに統合王国の気風とでも呼ぶべきものを知っているという自負があった。油断している時に先に向こうが手を出してくれば、ハッヘンヴルト家は小さくない被害を受ける。もちろん長期的には膠着にまで持っていくことはできるだろうが、切り取られた領地というのはただでさえあまりない内部の結束を乱すことになるのだ。
「でしたら、満足させるか、あるいは軍を動かせないようにすればいいのですよ。それが全国民会というものです」
テレナはそう言って微笑み、ガルースに少し前の新聞を渡した。それは複数の新聞が報じた内容で、ルメン・デリロスの告発によって熱を持った人々が進むべき方向を指し示したものだった。