「……やってやったぜ、褒めろよテレナ嬢」
アニドは目を手で覆うようにして、薄笑いを浮かべた。
「ええ、同君地域と総権国を言葉だけで封じ込めるのは二十年後ぐらいになら本に書いてもいい偉業ね」
そう言ってテレナも笑みを浮かべる。ただ、その二人を見ていたシェプルスキアは二人が喜んでいないことをよく理解していた。
戦場でもそうだ。会戦で勝ったことで生まれた油断は、相手の隙を生む。だからこそ、こういった鍵のかかった部屋でさえ彼らは高笑いができないのだ。
「……で、だ。結局は何もできていないよな?」
「彼らに一手の損をさせた。それだけで十分、と言いたいところだけど統合王国の劣勢は変わってないのよね」
二人がやろうとしているのは、複数人の指し手がいる複雑な盤上遊戯で横から駒を動かして誰も勝てないようにするということに近い。それは発覚すれば全ての陣営を敵に回すことになる。
「……まずは全国民会を作る。そうすれば外交方針もまともに定まるだろう」
「今の外務大臣ってどうなの?」
「かなり血筋だ、まあここ百年の平和を考えればそうだが」
「その割には軍備に力を入れているじゃない、統合王国」
「相手より多く、強い軍を揃えておかないと不安なのさ。そうして互いに疑い合っている」
「学院の設立意図を音読してあげたいわね」
「おそらくは学院があるからこそこの程度で済んでいる。歩調を合わせて軍隊を増やしたり減らしたりするのは、そういう繋がりがなければむりだろうさ」
アニドの言葉に、シェプルスキアは手を挙げた。
「お、なんだシェプルスキア嬢」
「軍隊を減らすって、どうやるの?」
シェプルスキアは減ってしまった軍の整理ならともかく、意図的に人数を絞るとなると具体的な方法をあまり知らなかった。
「ああそうか、シェプルスキア嬢のところだと傭兵団の全員が戦うとかになるのか?」
「そんなことはないよ、基本的には後ろに回るだけ。今は定住して農業やったり職人として働いたりとかあるけど、こっちの軍隊だとそうも行かないでしょ?」
「まあそうだな、もちろん多いわけじゃないが、それなりの戦争が終わると民兵たちは戻して、守備隊とかと精鋭はそのままだな。大抵は彼らだけを食わせるわけには行かないから、人の少ない軍とまとめたりする。名誉ある連隊については?」
「七つある、旗の色で呼ばれる統合王国の軍」
シェプルスキアはすらすらと答える。今の彼女はそれらの軍がどの程度の規模の人員と馬匹を持ち、砲を扱えるかを大まかではあるが把握していた。
「そう。あれらのいいところの一つは解体されないし、国からちゃんと給金が出るということだ。つまり余った軍隊で残しておきたいところはあそこに組み入れればいい」
「そういう話はテレナにも読んでもらわなかったな……」
「あまり表に出したくない類の実務だからな、俺もフォルステン卿から植民地軍解体の話を聞いて詳しく知ったところだ」
アニドが言うように、セラベールの改革は確実に進行していた。ただ、それは騒ぎを起こす市民たちや、目に見える成果を求める中流階級が求めるほどの速度ではない。そもそも植民地に手紙を出すだけで半年かかることも珍しいものではなかった。むしろこれから急いで戻ってきた植民地軍の現場の人々との折衝が始まるのだ。
彼らは血を流してきた。それに見合ったものを求める。ルメン・デリロスが反植民地の姿勢を出したからいいものの、そうでなければ植民地のために費やした犠牲を取り戻すためにさらなる資金と軍事力の投入すら正当化することもできただろう。
「基本的には、そこに人がいて、雇う以上は様々なものが動く。金に食料、服に銃に火薬。そういったところはシェプルスキア嬢のほうが専門だろ?」
「……まあ、そうかな。参謀になるなら、そのあたりは知らないと話にならないし」
シェプルスキアはかつて少しだけ隣で見ていた参謀としての視点を学院で鍛えていた。それは指揮官の目とはまた異なり、そして両方の目を持つことで混乱しそうなものでもあった。ただ、それでも彼女はそれを続けていた。
「ともかく、これでたぶんあとは待つだけ。私たちが積極的に動かなくちゃいけないのは終わり」
テレナは言って、地図を見る。それは今までのどこに介入をすればいいのかというものとは違った方向のもとに作られていた。誰が何を知っていて、混乱が起きた時にどこで止められるかというものだ。
この視点は、おそらく統合王国の誰も持っていない。だが、この地図がどこまで実用的かは怪しい。統合王国の中で手紙のやり取りにかかる半月という時間は、何かの行動が反映されるまでの時間より長い。だからこそ、総権国の人物をアニドは取り込んだ。
「……あたしは読めないけど、他の人はこれわかるの?」
シェプルスキアは呟く。
「まあ、難しいとは思うわよ。アニド卿は?」
「半分ぐらいしか読めん」
「ということね。私がここにいることのできる残り一年でフュシーア嬢とレイルグ君に作り方を教えて、同時にエレーリヤ嬢にまとめさせるつもり。共通理性の話じゃないけど、互いにこれを作り合うような陣営の関係だったら多少は話がしやすくなるはず」
「……そういうものかね」
アニドはあまり学院の創設者であるヴェツァーが唱えた共通理性という概念を信用していなかった。それは確かに今までの戦争を抑えてきたかもしれないが、無くしたわけではなかった。もしそれがなかったとしたらより大きな戦争が起こっていたかもしれないが、その分それを避ける方法も発展していたはずだ。
答えを知っているからといって、人間がその通りに動けるわけではない。テレナやアニドは、答えを知っていて、動かなければ大切なものが失われるから嫌でもそうするしかなかった。ただ、落ち着いて考えればそれが本当に正しい答えだったのかどうかという疑問は湧いてくる。
「……テレナ嬢、俺達はどこに行こうとしているんだ?」
「船は沈まなければどこかに着くわよ、そこを目的地だったことにすればいいの。アニド君はそういう方が得意でしょう?」
テレナの言葉にアニドは笑った。冬まではまだあと少しあったが、学院の最終学年というのは悠長にしていればすぐに終わってしまうものだった。