シェプルスキアは、夕方に教授室に来るようヨルワから頼まれていた。テレナもアニドもその話を知らないことから、まずは自分が抱えておくべきような秘密が話されると考えていた。
「……あれ、エレーリヤさん」
先客にシェプルスキアは少し驚いた。総権国から来た彼女と、シェプルスキアはそこまで顔を合わせているというわけではなかったからだ。
「……それで、エレーリヤ嬢。シェプルスキア嬢は来たわよ。伝えたいことというのは?」
部屋の主のヨルワは言う。ただでさえ冬の学院が今までにない形で面倒になりそうな予感がしているところに、何かが来るのはほぼ確実と言えた。
「父からの伝言です。総権国の女官であるフェナテリアという人が、出身地である学院を訪れるそうです」
ヨルワはすぐに、それが誰のことかを理解した。シェプルスキアも同様だ。
「……できるの?」
ヨルワは驚く。それをするためには、本来は膨大な事前折衝が必要だ。それをなしで一国の統治者が他国に向かうというのは、暴挙と言ってもいい。国内における統治の制御、あるいは旅先の立場。それはいくら身分を偽装する建前を要したところで、なくなるわけではないのだ。
「私たちの女総権者は、やると決めればやる人です。とはいえ学院における特別な立場は望まない、とのことです」
「……面倒だから、本気にするわよ?」
何事にも格式というものがある。学院は皇帝や王が泊まることができるように作られているわけではない。もし本当に女総権者が公的に来るのであれば、専用の宿泊施設を用意せねばならないだろう。しかしもし、卒業生である女官として来るのであれば、その言葉が実質的に総権国の発するものであったとしても、ただの使節として扱うことができる。本人が違うと言っているのならば、相手の本来の立場に合わせることはむしろ野暮なのだ。
「そうしてください。フェナテリアの紹介役は私の父のガロテーエン卿になります」
「……本気ね。理由は?」
「……これは、言ったら面倒になりそうなんですが」
「ああわかったわ。特別な統合王国からの来賓ね」
エレーリヤはそれに答えることはなかったが、微妙な反応は熟練の社交界の受任であったヨルワにとってはわかりやすいほどのものであった。微妙な目の動きは動揺を示し、そしてわずかな安堵がある。感情を表に出さないことは難しい。完全に閉じるのではなく、その場に応じた偽りの感情を混ぜることがこの種の微妙な機微を読み取る相手への対抗策として有用だったのだが、ヨルワでさえそれを使いこなせるわけではなかった。
「……二人とも、あたしはちゃんと理解したいから、馬鹿かもしれないけど確認するね」
シェプルスキアの小さくした声に、二人は頷く。
「……エフナチェルカ一世が、ルメン・デリロスと会いに来るの?」
「そう、です」
エレーリヤはシェプルスキアの問いかけに肯定した。
「……冬の学院の担当者は狂いそうね」
ヨルワは言う。既に彼女の頭の中ではどうやって彼らの会合を偶然に作り出すかの案がいくつか浮かんでいたが、それらを実現させるためには丁寧な下準備が必要であった。少なくとも、学院側が主導権を握ることはほぼ不可能だろう。
「ヨルワ教授、私に手伝えることはありますか?」
エレーリヤが尋ねる。それはここで恩を売ろうという魂胆もあったが、それ以上に自分の行動のせいで教授に迷惑がかかれば総権国の学生としての立場がないというのもあった。
「色々あるわ。ともかく、冬の学院にあなたは出ること。詳しいことは今年もシェプルスキア嬢に頼むから彼女から聞いて」
「わかりましたけど、いいんですか?」
「……どういうこと?」
ヨルワはシェプルスキアの意図が読めなかった。断られるなら仕方がないとしても、わざわざそう言われる心当たりがなかったからだ。
「あたしは銃を持っています」
「……そういうことね。テレナ嬢はなにか言っていた?」
シェプルスキアの立場をヨルワは理解する。重要人物が集まる学院の中で狙撃があれば、犯人がいようがいまいが大変なことになる。そしてシェプルスキアが冬の学院の学生を管理するなら、来賓の一人や二人を狙いやすい場所に誘導することはわけないのだ。
「いえ、別に」
「なら構わないわ。銃以外にも人を殺す方法は多くあるし、銃よりはっきりしないものもある。それに、シェプルスキア嬢がやろうと思えば兵の侵入を手引してここを乗っ取るぐらいのことはできるでしょう?」
「まずは部隊が近づいているって噂を流して学生を最小限にしてから、実際に戦える人を丁寧に一人ひとり潰していって、そして指揮官を消した上で混乱させてその隙に奪います」
「……やけに具体的ね」
「ヴィンサート教授に色々頼まれたんですよ」
シェプルスキアはヴィンサートとは異なる戦場の香りを知っていた。彼女は訓練された行進を知らなかったが、されている側からは奇抜に見える騎兵の突撃と直前での反転を見事に行うことができた。必要であれば銃も弓も剣も短刀も使えるように学んだ彼女の様々な攻撃計画は、その多くがヴィンサートには防げなかったが同時にどこまでなら耐えられるかを明らかにしていた。
「エレーリヤ嬢。その女官と、あなたの父への手紙をあなたに渡せば、彼らに届きますか?」
「はい」
背筋を伸ばしたエレーリヤは自信に満ちた声で言う。
「明日中に手紙を書く。女官の名前はさすがに伏せるけれども……」
「覗き見をされることはありません、ヨルワ教授。私たちを信用なさっていないのですか?」
ヨルワは頷く。それを見て、エレーリヤは悲しそうな顔をした。
「信用というのは積み上げるために長い時間が必要なの。だからこそ、それを積んでいる時にはあまりそういった事を言うべきではないわ」
「……わかりました」
「それに、他人の手紙を覗き見るような人は、他人から手紙を覗き見られても何も言えないでしょう?」
ヨルワは笑い、エレーリヤも少しぎこちないながらも笑みを返す。それを見て、シェプルスキアはヨルワが統合王国へと送った手紙を総権国が覗き見をしたからこそそういう決定ができたのだな、と気がついて、テレナのようにそういう発想がすぐに浮かばない自分を恨めしんだ。