「やあ」
旅人の格好をした三人の人物が学院に現れたのは、さすがのシェプルスキアでも想定外だった。
「……お久しぶりです、リュクバーン先生」
儀礼に則って、シェプルスキアは握手を交わす。彼は一時期学院の講師であり、そして枢要僧という北側世界全体を管轄地として持つ人物であった。すなわち、その彼が弟子たちを連れて旅をして、ちょうど縁故のある場所にしばらく留まることは決しておかしい訳ではない。少なくとも、そういうことになっていた。
「シェプルスキア嬢もお元気そうで何より。テレナ嬢は今どうしている?」
「……テレナならたぶんガルースと一緒に晩餐会の打ち合わせとかしてるんじゃないかな。あと、伝わっているかどうかわからないけどそこの僧にお客さんが来ているよ」
シェプルスキアは外套の覆いを被った青年を見た。ルメン・デリロス。統合王国の第三王子にして、今はしがないフェルヴァジュ管区の僧だ。
「……君も大変だね」
リュクバーンは困ったように笑顔を浮かべる。
「じゃあ案内するよ。歩いてきて疲れてる?なら先に旅荘のほうがいいかな」
「いや、先に学院の中を見せてくれ。どれだけ準備がされているのかが気にかかる」
「……仰せのままに、猊下」
そう言ってシェプルスキアは頭を下げる。
「リュクバーン先生、言わせていいんですか」
後ろからデリロスが呟く。
「我々は世俗の権威に敬意を払わないわけではないよ。彼らなしには地の国は成り立たない。良き人がいるのであれば、我々はそれを救うために神に召されている」
リュクバーンはそう言って、シェプルスキアに連れられて歩く。
「エネト姉は、元気ですか?」
聖職者への呼びかけを、シェプルスキアはずっと黙っていた女性に言う。
「ええ。忙しい日々だけど」
「お疲れ様です。……デリロス兄とはどうですか?」
「私たちは共に信仰に、そして民に身を捧げる仲間よ」
「そうですか」
この敬虔に見えて、どこか儚い彼女をシェプルスキアは嫌いではなかった。そして彼女は、ルメン・デリロスという英雄にとっては守らねばならない姫に見えたのだろう。あるいは、彼女を守ることで自分が英雄だということを示したかったのか。それはシェプルスキアにもまだわからなかった。
「……よく補修されている」
石造りの廊下を歩きながらリュクバーンは呟いた。彼がここで教えていた時にあったひび割れはなくなっており、木の板での補修があちこちに見られる。
「そうとう頑張りましたからね、築城の授業で具体的な補修計画を立てさせて、それを実行するって形でやりました」
「ヴィンサート教授か、懐かしいね。教授たちにも挨拶をしなければ」
「……二人は、どうですか?久しぶりの学院は」
シェプルスキアは微妙な距離を保っている後ろの二人に言う。
「……もう、二年以上にもなるのか」
デリロスは小さく言う。彼にとってここは特別な場所だった。
「色々と思い出す場所ね」
エネトはそう言って微笑んだ。
「さて、聞く人もいなくなっただろう」
シェプルスキアが入った空き教室で、リュクバーンは足を止めた。
「すみません、こんなところで」
「構わないさ。それで、誰が僕の弟子に会いたいんだ?」
「……テレナから、リュクバーンではなくてルメン・デリロスと話せと言われています」
「うん、それもそうだ。なら僕はしばらく黙っているとしよう」
そう言って、リュクバーンは椅子に腰を下ろした。
「……デリロス兄。総権国から女官のフェナテリアが来ております」
その言葉を聞いて、デリロスは僅かな動揺を見せた。エネトはそれ以上に、そしてリュクバーンはエネトと同じ程の驚きを持っていた。しかし、彼らの表情をよく見ていないければそれはわからなかっただろう。
「そうか。会って話す機会がこのように訪れるとは思っていなかったが、ここに来た意味はあったな」
デリロスは自分を落ち着けるように言った。
「……フェナテリアって、どうして?ここは同君地域の西端でしょう?総権国からどれだけ距離が」
エネトがリュクバーンの方を見て言う。だが、彼女の答えを求めるような視線にリュクバーンは小さく首を横に振って返した。
「エネト姉、僕ではなくシェプルスキア女卿を見なさい。ここでは彼女が話している」
「あまり気にしなくていいよ。リュクバーン先生もありがとうね」
「シェプルスキア女卿もその崩した話し方は少し気をつけたほうがいいかもしれない。それをやるなら、もう少し統合王国語に不慣れな感じにするといいぞ。今の発音の良さでは軽蔑か侮りに聞こえるぞ」
「うーん、上手になるのも考えものだな……」
リュクバーンに指摘されたシェプルスキアは少し困ったような顔をした。シェプルスキアはゆっくり、かつ定型文であれば統合王国でもなんとかなる程度の儀礼的な言葉遣いはできた。しかしそれは彼女がいつもから馴染んでいるやり方ではなかったし、そもそも彼女は経験から学ぶ人だ。必然的に、学院で話すような砕けたものによってしまうのであった。
「……それでシェプルスキア女卿。詳しい話をお聞かせ願えますか?」
「総権国は学院に学生を送っている。で、どうにかしてヨルワ教授が送った手紙か何かを覗き見してデリロス兄たちが学院に来るのを知った。そしてただの女官が、かつて学んだ学院に帰ってきた。これでいい?」
「概ね理解したわ。ありがとう」
「まああたしのもテレナが言ってたことをそのまま言っているだけだから気にしなくていいけど」
「そんなことはないわ」
エネトはそう言いながら、必要な情報を適切に伝えてくれたシェプルスキアに感謝していた。彼女が知っているテレナであれば、前提条件の共有から長々とやってくれただろう。
もちろん、それが悪いわけではない。フェルヴァジュ管区の中で仕事をする時にも、エネトにとって学院で学んだことは有意義であった。もちろん全てが役に立った訳ではないが、それでも最初からどれが有用かなどというのはわからない。リュクバーンが地方貴族と交渉する時に、川の使用権の仲裁をするという学院で学んだ発想は間違いなく彼女とリュクバーンの仕事を楽にした。
だからこそ、この計画の裏で動いているテレナの事をよく知っている人物がする要約というのが本人の説明以上に価値があることも理解していた。何度も聞いて、その上で自分の中で作り直した言葉は、元の言葉よりもしばしば輝きを放つのだ。