「さて、お二人にはお初にお目にかかります。テレナ・ノイーズ・イルデネと申します」
流暢な統合王国で彼女は名乗った。エフナチェルカはいきなり盤上に現れた駒にほんの一瞬表情を変えた。
もちろん、彼女はその名前を知っていた。学院における彼女の付き人であるガロテーエンが、あるいは彼女が信頼する学生であるエレーリヤから名前は聞いていた。ただ、彼女はあくまでアニドの支援者に過ぎないはずだった。
その人物が、そのアニドに椅子を引かれ、そこに座る。すなわち、アニドよりも彼女のほうが上なのだ。知性であれ、指揮であれ。そしておそらく、彼女の上はいない。
もしいるのであれば、どうにかしてこの場所につれてくるだろう。忙しく、余裕があったわけではなかったが、不可能ではなかった。なにせ後手に回ったはずのエフナチェルカでさえ、学院に来る余裕があったほどなのだ。
「……エルンツィンガー伯爵が長女にして、ウィルトールに学んだ乙女です。名乗りはこのぐらいでよろしいでしょうか?」
ルメン・デリロスは彼女を知っていた。師であるリュクバーンが、あるいは特別な関係にある修女のエネトが、テレナについて語っていた。少なくともこの部屋の中で彼女が椅子に座ることを予期していなかったのは、総権国側の人々だけであった。
「ああ。だが、ここに貴女が座るだけの資格があるのかね?ウィルトールの弟子とは言うが」
「全国民会の案を立てたのは私です」
テレナは言い切る。もちろん、その発想が「墜ちる灯火」にあったのは事実だ。しかしそれを発展させ、地方民会をもとにルメン・デリロスを座らせる椅子を作るためだけに構築したのは、間違いなくテレナの仕事だった。
「……なるほど。では、具体的に貴女はどこまで外側を考えていた?」
「あらゆる点で、です。最も危惧すべきは同君地域、より正確に言えばハッヘンヴルト家が兵を挙げ、統合王国と衝突することです。……シェプルスキア嬢」
テレナが言うと、シェプルスキアは置いてあった地図を彼らの囲む机の上に静かに広げた。それは学院が冬の会合で見せる地図のような精緻なものではなかったが、それでも今の北側世界を一瞥するには十分なものが書き込まれていた。
「……ほう、これはいいな」
エフナチェルカはその利点にすぐに気がついた。それは一度わかってしまえば、真似ができるものだ。エフナチェルカが今まで頭の中で、あるいは地図を見ながらやっていたことでもあるが、直接そのための地図を作り、書き込めるようにしてしまうというところまではエフナチェルカも届いていなかった。
「冷海同盟において有力な複数の商会が統合王国の債券を引き受けることを決めています。彼らはその債権をより細分化し、自社の株式などとしての形で流すでしょう。冷海同盟はまずこの時点で統合王国の崩壊への積極的な介入を嫌うことになります」
テレナはそう言いながら、冷海同盟の地域にあるいくつかの小さく描き込んだ紋章を指差す。その中には繊維取引で知られるティツン商会もあった。
「同君地域はどうだ?」
エフナチェルカが尋ねる。
「少なくとも統合王国の全国民会が終わるまでは静観するそうです」
「……教主国」
「地方派の軍隊が崩壊しなければ、山脈を超えてまでわざわざ来ることもないでしょう。それに彼らは統合王国が諦めた植民地を掠め取る機会を見ています。おそらく土地の売却や使用権の譲渡などで問題は解決するでしょう。力尽くで取れるなら、もう取っているはずです」
「なるほどな。共和王冠国はその手の野心を持つ余裕はないだろうし、距離を考えれば総権国が直接手を出すこともない、と」
テレナは頷く。エフナチェルカはこの僅かな時間で、統合王国の対外政策がある程度用意されていることを確認した。もちろんそれは盤石なものではない。冷海同盟の内部争いを引き起こすことができれば、騎士団領の兵が統合王国に向かうことはあるだろう。
あるいは、同君地域において統合王国への恐怖を煽ってもいい。ハッヘンヴルト家は緩やかにまとまっているが、それはある程度の妥協があってこそだ。妥協ができないほどの恐怖を感じれば、彼らは動かざるを得ない。
ただ、それらは例外的な手だった。よく準備したところで、うまくいくとは限らない。
「それではテレナ嬢、次の問いだ。フェルヴァジュの地は王をどうするだろうか?」
「さぁ。人気がなければ選挙で選ばれた代議士長が王冠を戴くことになるでしょう。共和王冠国はそれをやってのけました」
「ルメンの血筋が途絶えてあれだけの国が保つか?」
「逆ですよ、ルメンの血筋を途絶えさせるほどの支援と狂気があるということです」
「ふむ……」
それはエフナチェルカが治める総権国にはないものだった。宮廷の言葉を変え、平民から人材を登用し、様々な物語で我々は総権国の民なのだと広めた。それでもなお、ルウォロドの民は一体とは言えなかった。
「……どうでしょうか、フェナテリア女卿」
「これは君の案じゃないな、デリロス兄」
エフナチェルカの言葉に、デリロスは頷いた。
「はい。僕一人ではこれを成すことができませんでした。しかし僕がいなければ、統合王国がこのように変わることもできませんでした」
「思い上がりではないかね」
「いいえ。普通の父の治世では地方民会の復活も、植民地からの撤退も成し得たなったでしょう」
「そうかね?ならなぜ今それができている?熱狂に頼った改革は、恐怖による統治と同じぐらい楽だ。それは問題を未来に押し付けているに過ぎない」
「統合王国はそうやってずっと押し付けてきたんです。それを受け入れるだけの力はもうない。だから新しい国家を作って、それが今までのものを受け止め直すしかないんです」
そう言うデリロスに、テレナは溜息を吐いていた。それは成功するかもしれない。ルメン・デリロスなら、もしかすればやってのける可能性もある。ただ、彼は具体的に国家がどう動くかを考えていない。
そう考えながらも、テレナは自分が国家が実際にどう指示されているのかを知らないなと気がついた。少なくとも民衆を動かすことについては自分より上であるルメン・デリロスに対して敬意を払わないのは、テレナのやり方ではなかった。
「……では、どうやって今後のフェルヴァジュを回していくつもりですか?毎回誰かを敵に回し、そして自分を正義であると言い続けるのですか?」
だからこれは、テレナなりの敬意だった。これに答えられないようであれば、おそらくは周囲の人がそれを用意するだろう。それはそれで悪いことではなかった。