テレナを見て、楽器の音に合わせて舞っていた学生二人が部屋の隅に寄った。
「先輩、どうでしたか?」
そう尋ねるレイルグの腕の中には、少しふらついているフュルシーアがいた。
「大変だったけどまあ成功。ところで二人とも、距離が近いのでは?」
「そうですか?踊っていた男女が気にするほどのものではないと思いますが」
「……うっ」
口からあまり良くない声が漏れるフュルシーアは見るからに目を回しているようだった。
「……あれ、確か粗布教団って踊らなかったっけ?」
「うちのとこは踊らないやつです。とはいえ、別に踊る方と敵というわけじゃなくてですね、解釈のちょっとした違いで済んでいると言うか、注膏教で言うと、修道院で隠れたような生活をするのと、街の教会で奉仕に身を捧げるのと、どっちが偉いかはない、みたいなところです」
息切れ混じりにフュルシーアは言う。少しずつだが、彼女は回復していた。
「……どれぐらい踊ったの」
「ほんの二、三曲ですよ。頭に布を巻いている娘がなんでここにいるんだって言った客がいたので、少し腹が立ちまして」
「私のために腹を立てるのは良いけどさ、そのせいで私がぐるぐるするんだけど……」
「……仲良しね」
テレナはそう言って息を吐いた。
「それでテレナ先輩。ルメン・デリロスはどうでした?」
フュルシーアは小声で尋ねる。
「思っていた範囲を超えることはなかった、かな。想定よりも理想主義者で、想定よりも頑固で、想定よりも手強かったけど」
「悪いけど最悪じゃない、ですか」
レイルグに言われて、テレナは頷いた。
「そういうこと。というわけで私が鍵のかかる部屋でやることはだいたい終わったから、二人にあの部屋を任せることになるよ」
「……エレーリヤ嬢を、入れますか?」
レイルグが聞く。彼はエレーリヤをある程度評価していた。少なくとも人間関係の構築においては、鍵のかかる部屋に入ることのできる誰よりも得意だと言っても良かった。フュルシーアは頭に布を被ることで明確な異邦人としての立場を出し、安易に人が近づくことを静止していた。ただ、エレーリヤはそうではない。
彼女は社交好きだった。友だちと話して笑い、友達に応援されて勇気をもらい、友達と遊んで負けて悔しがるのだ。それは若者らしさともいえたが、レイルグから見ればそれは相当に難しいことのはずだった。
もちろん、レイルグに友人は多い方ではない。彼は真面目で、本を読むのが好きで、授業で学んだ国家のあり方を分解して比較するのが好きだった。だからこそレイルグは、エレーリヤを解体しようとする。
エレーリヤの中にあったのは、自分は愛されているという確固たる信仰にも似た自信と、打算ではなく本心で動ける魂だった。それは貴族のものではない。だが、統合王国で動いている市民のものでもない。臣民に近いのかもしれないが、そこにはうっすらと熱狂の雰囲気があった。
「必要でしょう。それにあの部屋でできたことは、所詮は数人の学生でもできたこと。総権国にあの場所を渡して彼らがなにか全てを壊せるようなら、統合王国なんていうのははそれまでなのよ」
テレナにとって、統合王国は危ない国家であったが、それは今すぐに崩れ落ちるからではなかった。それは安定していて、複雑で、外側からの知識と誰が何を求めているかという噂の手助けがあればうまく回るものだった。
だからこそ、テレナたちは統合王国を止めることができたのだ。もともとルメン・デリロスがやらかさなければ、最初から安定とまでは行かないまでも続いていたかもしれない。もちろん財政の問題はある。もし彼らが破産を宣告すれば、デリロスの避けたかったような混乱が起こるだろう。
「……わかりました。ただ、見張ってはおきます。総権国があれこれしてきて困るのは僕達もなので」
「よろしくね。あとはちゃんと資料は整理しておくこと。あまり他の人に見せるつもりはないけれども、引き継ぎなしに後輩が入って、残されたものを見てそこで誰が何をやっていたかは理解できるようにね」
「いいですね、それ」
フュルシーアは呟くように言った。
「いい、って?」
レイルグは不思議そうに尋ねる。
「もしエレーリヤ嬢の下にしばらく才能が現れなければ、そして彼女が卒業してしまえば、あの部屋はずっと鍵のかかったままになるでしょう。そしてまた誰か、学院の教授が認めるよな人が来た時に、その扉は開かれるのです」
「虫に食われていないといいけど」
レイルグにとって紙魚は馴染みのあり、そして憎むべき存在だった。できるだけ光の入るように作れば、湿った外気を取り入れてしまう。香草を置いても、それは一時的なものにしかならない。定期的に本を外に取り出し、あるいは燻すことで図書館のような場所では対策をしていたが、個人の蔵書では限界もあった。
「じゃあ二人にはまず整理と片付けをやってもらおうかしら」
「えーやだ、全部火にくべたい……」
フュルシーアの言葉は、テレナにはわからないでもなかった。積み上げた手紙というのものは、意外なところで意外な誰かの武器となる。おそらく学院にある本を集めた人も、あるいはアニドに手紙を送った人も、自分が統合王国を変えるための助けとなったことを自覚してはいない。
そしてもし、テレナやアニドが逆の方向に、つまり統合王国を崩壊させるように動いていたとしても、同じようにそれらを使うことはできるのだ。ただ単にルメン・デリロスを後援すればいい。そうすれば裏付けのない市民の意思が暴動を引き起こし、貴族や軍との全面衝突に至るだろう。
現代の貴族という体制は、中流階級に蝕まれた残滓となっている。主役の交代の時代が来ているといえばそれまでだが、今まで舞台に立ったことのない素人役者の劇が始まろうとしているのだ。その点では、ルメン・デリロスという役者にして演出家はそれなりにやってくれそうだった。脚本の才能は薄いが、それでも周囲には悪くない古参たちがいる。
「変なことを言わないの。あと、ああいうことは続けておかないとそろそろ学院の価値も失われるわよ」
「……わかってはいますけど。南方街は今更になって私を送り込んだって言いたくもなりますよ」
「エレーリヤ嬢も、あと数年早ければ私たちのような指し手になれたのだけれどもね。たぶんこれからは、異なる種類の遊戯が始まるわよ」
テレナはそう言って周囲を見渡した。疲れた学生たちが隅で会話しているのを見咎める人はいないようだったが、誰か面白い話をしてくれる人を捕まえて一曲ぐらい踊れるほどにはテレナにも余裕が出てきていた。