「シェプルスキア女卿、娘が世話になった」
ガロテーエンに頭を下げられたシェプルスキアは、思わず身構えた。
「……はい、どうも」
素直にシェプルスキアも小さく頭を下げた。
「手紙で聞いたときは驚いたが、学院というのはそういう訓練もするものなのだな」
「うーん、あれはヴィンサート教授の趣味みたいなところもある気がしますけど、でもやっぱり戦うってことを知っていたほうがわかることも多いと思います」
シェプルスキアの言葉にガロテーエンは頷いた。
「しかし、娘はかなり苦しかったらしいぞ」
ガロテーエンは軽く笑顔を浮かべながら言った。少なくとも彼はこの点についてシェプルスキアを恨むつもりはなかった。
「そうでなければ学びになりませんから」
「それもそうだ。それに、あの傭兵団の長に傷をつけることができたというのは大きい。しばしば娘自慢に使わせてもらっている」
そう言ってガロテーエンは笑った。できるだけの笑顔は、シェプルスキアとの間に誤解を生まないための彼の努力だった。
「……彼女は、まだ学んでいる最中です。あまりエレーリヤ嬢に無理なことを言わないであげてください」
シェプルスキアのその言葉は、かつて自分がしていた勘違いに由来していた。
彼女はもしテレナがいなければ、責任に押しつぶされていただろう。彼女の隣にいたから、シェプルスキアはゆっくりと学ぶことができたのだ。なにせどれだけシェプルスキアが努力をしても、テレナには勝てない。なら今すぐすごい人物になる必要はない。ゆっくりと、時間をかければ良いとシェプルスキアは考えることができた。
そして、彼女は第四学年になった。シェプルスキアの知性はテレナやアニドほど鋭いわけではないが、それでも十分鍛えられていた。そして特に戦場についての理解は、学生としてであれば誰よりも上となっていた。
ヴィンサートという成功して、そして失敗もした良い教師に出会えたことも彼女にとって幸運だった。シェプルスキアが求められている軍事改革のいくつかは、ヴィンサートが実行し、そして失敗したものだ。
「……わかっているとも、シェプルスキア女卿。酷なことを言うようだが、我々は娘に今すぐ何かを成すことを期待してはいない。ただ、彼女は……我々の言葉を、そう聞いていないのかもしれないのだ」
「悪い指揮官の予兆ですね。参謀との信頼がなければ、彼らはつねに自分が裏切られ、見捨てられるのではないかと考えます。それがたとえ戦果を挙げたいという意欲から来たものであったとしても、そのような人物が軍に一人いれば全体の統制が崩れます」
「……わかっているとも。ただ、それをたった十六歳の乙女に求めるべきではないだろう?」
「なら、純粋に好きに学んでこいって言えばよかったんですよ」
そう言って、シェプルスキアはテレナを真似した笑い方をした。
「……四年、だ」
「短い時間でしたが、過ごしている間は案外長いものでしたよ」
「そう娘の友人に言われては、親としては何も言えないな」
「あれ、あたしってエレーリヤの友達なんですか?」
シェプルスキアは首を傾げた。少なくとも、彼女はあまりエレーリヤによくした記憶がない。確かに挨拶はしているし、少し話したし、そしてちょっと酷い目に合わせたが、その程度だ。
「手紙にはそう書いてあったぞ」
「ならそうなんでしょう。でも困ったな、友達から頼まれたところであたしは領主として攻め込んできた軍隊には立ち向かわなくちゃいけないし……」
そう言いながら、シェプルスキアはガロテーエンの目をちらりと見た。彼の目には驚きも、落胆もなかった。
「わかっておりますとも」
「……そっか」
「無理にこちらにつけ、とは言いません。ただ、もしあなたが講和の席につくなら、あるいはそこに送る人に何かを言えるのであれば、我々のことを思い出してほしい」
それはガロテーエンが言うことを許可されているぎりぎりの内容だった。彼は総権国が持っている共和王冠国への侵攻計画を知らされている。それはいくつかの場合が想定されていたが、いずれであってもイウェラ連隊と戦うことは前提とされていた。
もちろん、それはガロテーエンを含む総権国がイウェラ連隊があくまで対大君侯国のための領主であることを理解していないことを意味しない。必要であれば共和王冠国が国境地帯から彼らを引き抜くだろうという予測と、ツィノドで領主代行をしているエルガーツが行っている大君侯国とのやり取りの事実から察知できる内容を組み合わせたものだった。
「まあ、わかったよ。でも別に手は抜かないから」
「……互いに信ずるものがあるのです。それでもなお手を取れるということは、先の会談で明らかになったでしょう」
「あたいはあれができるほどの人間じゃないよ、あそこにいる人を倒すぐらいはできたけど」
シェプルスキアはそう言って、軽く手を握りしめた。もし総権国が不安定な状態であれば、ここで女総権者が死んでしまえば全てが崩壊するだろう。そうすれば共和王冠国は東の警戒をする必要がなくなる。
もしそれを、新任の領主一人で成せるのであれば、それは悪くないのかもしれないとシェプルスキアは考えていた。自分を犠牲にして団を救えるならば、彼女は傭兵団の団長としてそれを成す必要があった。なら自分を犠牲にして共和王冠国を救えるならば、そうするのが正しいのだろうか。
「恐ろしいですな。しかし、それをすれば我々も黙ってはいない」
「声を出せますか?誰もいない玉座に誰を座らせるかで忙しくなるのでは?」
「……我々が忠誠を誓っているのはエフナチェルカ一世ではありません」
「へぇ、じゃあ誰?」
「総権国ですよ」
そう告げるガロテーエンの目に、シェプルスキアは見覚えがあった。団長が死んで、そして娘がその後継者となった時のイヴェリャン団の人々の目だ。それは最初は個人への敬意と憧れだったかもしれない。しかしそういった集団の中で過ごしていれば、それは自分の一部となるのだ。
忠誠を誓うに足る指揮官とともに死を望む兵がいる。友の名誉のために復讐をするものがいる。ならば、もっと大きいものに、人によらずに命を捧げることもできるのではないか。そしてそれは自分でもやろうとしていたことではないか。
シェプルスキアは曖昧に頷くしかできなかった。シェプルスキアにとて、総権国は自分が多くの悩みを重ねながらもっと先で手に入れるようなものを、多くの人が持っているように見える地域だった。