「シェプルスキア嬢からすればあまり面白いことは書いていないんじゃないか?」
騎士団領出身のヤトンは、シェプルスキアの手の中にある卒業試験の論文の草稿を見て言った。
「ううん。後装式の銃が馬にとって脅威っていうのはわかってたけど、こうやって読める形にされるとなんか嫌だっていうか……」
「わからなくはないな、その気持ちは」
ヤトンは呟いた。未だ騎士団領はヴィンサート改革を完全に受け入れることができていない。冬の間に帰って色々と騎士である父を経由して聞いたことをまとめるならば、あらゆる改革の後に起こるそれが定着するまでの中間期はまだ続いているようだった。
そしてなお、様々なものが変化し続けている。統合王国が植民地軍への注力を止めた今、陸軍と海軍がより増強されることが想定される。海軍については冷海同盟の諸都市が合同で作る艦隊が対処するが、陸軍については騎士団領頼りとなっている。
「うーん、でも各地に騎士団領の兵が街を作るっていうのは面白いと思うけど都市が受け入れるかな」
「受け入れてくれないと求められる軍の展開速度に間に合わなくなるんだよな、もちろん相手はそれを加味して攻めてくるだろうが」
「……想定は統合王国と総権国による挟撃?」
「そうだ。総権国が少しずつだが作っている海軍が無視できなくなった時、冷海同盟は軍事的に脆弱になる」
「あーそっか、船でも挟撃ってできるのか」
「難しいらしいがな」
ヤトンの書いた論文は、今後騎士団領がどうあるべきかの試案だった。今のところ、騎士団領は東方に睨みを効かせながら、西方に介入できる余力を持っている。それでも統合王国、同君地域、共和王冠国、そして総権国のうち二つ以上を相手にすれば大きな被害を受けるだろうし、三つ以上から攻め込まれれば大幅に騎士団領の領土は損なわれ、冷海同盟の富が奪われるということはわかっていた。
海軍による人員の移動、あるいは現地での傭兵交渉。それらを加味しても、相手が連携してくれば終わりだ。そして騎士団領はそのような連携を断ち切る外交術を磨いてこなかった。ただ力があれば全てを守ることができるし、必要となる金を手に入れるための遠征を成し遂げられると考えられていたのだ。
「…… 読み終わったよ」
シェプルスキアは冊子を閉じた。それはまだ完成しているわけではなかったが、時期を考えれば良い進捗であるといえた。
「イウェラ連隊の連隊長として見て、これはどうだ?」
「ヴィンサート教授でも、軍を丸ごと変えることはできなかった。それなのに、騎士団領を変えないと今後勝てなくなるっていうのは挑戦的だと思う」
「……わかってはいるさ」
「でも、変わったときのことを考えておいたほうがいいとは思うよ。いつ変わるかなんてわからないから」
シェプルスキアは言う。少なくとも、統合王国は変えることができた。多くの人が変えたいと思っていて、どうすればいいかわからないところにルメン・デリロスとテレナが答えを投げ込んだからであるが、答えを投げ込んだところで簡単に大きな人々の集団が変わらないことをシェプルスキアは知っていた。
イヴェリャン団は、最初から最強ではなかった。最初は故郷を追い出された遊牧民の集団に過ぎなかったし、後に大参謀として絶対的な信頼を得たイメリシュカであっても最初はただの戦利品だった。何十年もかけ、失敗を繰り返しながら参謀天幕は作られたのだ。
そして、イヴェリャン団は変わった。東側最強と呼ばれる傭兵集団となり、そして共和王冠国への定着を果たした。それはすでに準備し、計画されていたからこそうまく行ったのだ。もしどこか落ち着ける土地を見つけるようにというイメリシュカの遺言がなければ、イヴェリャン団は流浪を続け、そしておそらくはアズドの死のときに崩壊していただろうとシェプルスキアは考えていた。
「……そうだよな。ヴィンサート教授からは若者は挑戦的な方が良いと言っていたけど」
「あまり気にしないほうがいいよ、別にあの人だって完璧じゃないし、もう騎士団領とは関係ないんでしょ?」
「そうだといいんだが、彼から頼まれると断れない人も多いんだよ」
「ヤトン君の父親みたいな?」
「まあ、そういうことだ」
そう言ってヤトンは息を吐いた。純粋に騎士団領のことだけを考えるのであれば、もはやヴィンサートととは関係を断つことが正しいように思われた。しかし、彼は学院の教授であり、そして今なおヴィンサート派と呼べるような後継者が多く残っているのも事実だ。
「……あたしはさ、共和王冠国で軍隊を変えるつもりでいる」
シェプルスキアは呟いた。
「ヴィンサートの失敗をしないように、か」
「それもそうなんだけど、まずはその前に教育をやる必要がある。兵が最低限の文字を読めれば、指揮官と参謀が行動に集中できる。そのためにはまずは一年か二年でいいからそういう訓練をさせないといけない」
「徴兵みたいな感じで学校に行かせるのか?」
「基礎学校をもっと強制的にした感じかな。もちろん給料は払うことになると思うよ、そうでもしないとみんな来ないから」
「でもそれ、税金だろ?」
「そうだね」
「税金を取られて、それで教育を受けさせてやるって言われてもな……」
ヤトンにとって税というのはあまり良いものではなかった。騎士というのは地主であるから、当然税金にかかわる仕事も増えてくる。軍人であった父が代書人たちの力を借りながらなんとか収量報告をまとめているのを見るのは子供心ながらに辛いものであったし、自分がそれをしなければならないことを考えると今から憂鬱になっていた。
「道路も軍隊もそういうものだと思うよ、そりゃ旅をしている人にとってはそこの道路に直接金を払っているわけじゃないけど」
「というか税金がそういうものだよな。わかる、わかってはいるんだよ」
「……面倒だよね。学院で学んだところでさ、やっぱり嫌なものは嫌だし、自分がお金を払わないで何かを手に入れたいって思うわけだから」
シェプルスキアの言葉にヤトンは頷いた。ヤトンから見て届きそうもない軍人にして領主のシェプルスキアがそういう事を言うのは少し意外ではあったが、ヤトンにとっては納得できるものだった。