角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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白雪の中で議論は始まる 8

授業を行っている間の学院もそうだが、多くの人と情報が行き交う場所においては待ち合わせをするだけでも一苦労である。もちろんやり取りにかかる時間を優雅に待つだけの余裕を見せることは上流階級にとって不可欠の技能だったが、それはそれとして時間を無駄にできない切羽詰まった状況というのは存在する。

 

「シェプ、掲示板にエルガーツさんが来ているってあったよ」

 

木箱に入った筆記用具を持ったテレナは、すれ違ったシェプルスキアにそう声をかけた。学院でどこにいるかわからない誰かに何かを伝えたい時は、紙に書いて布張りの柔らかい木の掲示板に針で止めるのが一般的なやり方の一つとなっていた。もちろん許可が必要で学生が誰でも使えるほどではなかったが、今の学院に残されている学生にはきちんと使い方が説明されていた。

 

掲示板には誰が来てどこで待機しているか、準備がどこまで終わっていて何を運ぶ必要があるか、あるいは添えられたちょっとした詩などが張り出されており、使い終わったものは素早く剥がして古紙箱に放り込めるようになっていた。

 

「えっもう?」

 

シェプルスキアは驚いて言った。確かにエルガーツが来るとは知っていたが、もう少し遅くだと考えていたのである。

 

「一応はあなたの付添人なんだから、ちゃんと挨拶しないと」

 

一応、シェプルスキアは学院の学生ではなくポジェチニャ共和王冠国のツィノド女領主として正式なヨルワ教授からの招待状を用意されていた。もちろん、これは招待状を持っていることに価値があるためである。そして、かつてシェプルスキアがイプルカとしてイヴェリャン団を率いていた時の総参謀、あるいは今率いていることになっているイウェラ連隊の連隊長補佐としてのエルガーツは家令として招待されていた。

 

「……ところで、家令って何?」

 

そう言いながら、シェプルスキアはテレナの持っていたいくつかの箱のうち半分と少しを持ってテレナの隣を歩いた。

 

「家の中の何でもやる人ね、シェプの……家?の場合はたぶん秘書とかのほうが近い気がするけど、そもそも共和王冠国に定着した傭兵団の役職名なんて統合王国語に適切な訳語なんてないんだから嘘にならない範囲で適当に言っておけばいいのよ」

 

一般的に、社交界での立場はその肩書によって決定する。特に異なる文化圏の場合だと用語の翻訳が統一されていないこともあり、どちらが上の立場であるべきかがわかりにくいことも珍しくはなかった。更に面倒なのは、この時に相手に上の立場を譲ること自体が余裕の現れであると見なされて傲慢であると噂されかねないという作法の存在であった。

 

「……よくテレナはさ、あたしに名誉がないって言うよね」

 

「まあ、名誉があるって見なされたほうが色々とやりやすいからね」

 

「テレナも案外、名誉とか信じていないよね?」

 

「必要だとは思っているけど、それに自分の心を縛られる必要はないと思っている、ぐらいでいいかしら」

 

領主や貴族はいかにあるべきか、という考え方は古くから存在していた。信頼と忠誠、清貧、施しと寛容という基本的な価値観はかつては教会によって、今では角灯主義者によって千年以上も唱え続けられている。もちろん、テレナはそれが千年以上唱え続けられている事自体が人間の本質的特徴が変わらないことの証であることを理解していた。

 

「……なるほど、でもそれって言ったら意味なくない?」

 

「学院という場所で、あなたという相手だから言えているのよ。そうでない場所では口を閉ざすぐらいの理性はあるわ」

 

「本当かなぁ……」

 

シェプルスキアはテレナのことをあまり信じていなかった。シェプルスキアは自分が日頃から油断をしないことを心がけているのになぜテレナはここまで、と思ったが自分もテレナの前では案外気を抜いている事に気がついたのでこれ以上面倒なことになる前に口を閉ざした。

 

「荷物ってここに運ぶやつ?」

 

「そう。記録とかするのよね」

 

テレナとシェプルスキアが運んだ箱の中には様々な道具が入っていた。書きやすく切り揃えられた羽ペン、簡素の飾りが入れられたインク瓶、羽ペンの先端を整えるための小さな刃物などは控えめな装飾とともに、一定の格式を持っていた。

 

こういったところにも、面倒な外交的意味がこもることがある。羽ペンの切り方一つでどのような派閥に属しているかの意味が付与されることもあれば、飾りの文様が地域や文化と紐づいていることもある。テレナが見た限りではよくあるものばかりだと思われたが、それこそがきちんとこれらの道具が計画のもとで用意されていたことを示していた。

 

「……よし、じゃあエル爺を迎えに行こっか」

 

そう言って、シェプルスキアは会合に使われる教室を後にした。

 

「ところで、そのエルガーツという方はどういう人なの?」

 

テレナが聞くと、シェプルスキアは少し考え込んだ。

 

「……西側の人、かな」

 

「エルガーツという名前は確かに東方らしくないけど、確か地理的には騎士団領のあたりの言葉の響きっぽいわよね」

 

「名付け親の人がそこ出身だからかな」

 

「……今、エルガーツさんって何歳?」

 

「五十……ぐらい?イヴェリャン族がかつて住んでいた場所を離れてすぐ生まれたって聞いたことがあるから」

 

「放浪の遊牧民が仇討ちで敵将を倒す、綺麗な話よね」

 

そう言いながら、テレナはシェプルスキアがここに来ている理由を思い出していた。名誉の体現者として傭兵団を引き継ぐと同時に、共和王冠国からの定住の申し出があったのだ。もちろんその時の領主が若い女性であったことはその領主としての正当性に疑義を挟むには十分なものであったが、イヴェリャン団と同じように定着を選んだかつての騎兵たちは共和王冠国内でそれなりの影響力を持っていたが、彼らにとってそのような些細なことで仇討ちという名誉を成し遂げた人間を排除するのは恥だという意見があり、そのために彼女は領主として認められた。

 

もちろん、これは単なる実力の評価を意味しているわけではない。一般的には若い女性が権力を直接握ることはなく、その周囲の人物が差配を行うことが一般的だ。その時に付け入る隙がある、と考えられたのだろう。しかし、当時のシェプルスキアは共和王冠国の戴冠者と同じぐらいにイヴェリャン団の行動に対して何かを差配する能力を持っていなかった。

 

「ここで待っているはずだって、掲示板にはあった」

 

そう言って、テレナはシェプルスキアを扉の前に案内し、彼女の客人としてふさわしい一歩下がった場所に立った。

 

長がいなくとも機能する高度な組織を持った東方有数の傭兵団の参謀が、この扉の先にいるのだと思うとさすがのテレナでも少し緊張を覚えた。

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