「……本当に久しぶりになったわね」
冬の学院に訪れたテレナは、大広間で懐かしい顔を見て呟いた。
「二年半ぶりか?」
そう言うのは統合王国のアニド。特に役職がないにもかかわらず、卒業生ではなく来賓として扱われている男であった。
「そうね。一昨年はネヴォエリ王国、去年は地元。ひとまず仕事ができる程度には嫁ぎ先の人たちにも顔を知ってもらえたわ」
「それは何よりだ。落ち着いたなら統合王国のほうにでも顔を出しに来いよ」
「嫌ですよ」
「そうか……」
「お久しぶりです先輩方、歓談のところ失礼いたします」
そう言ってテレナとアニドの会話に入ってきたのは総権国出身のエレーリヤだった。
「おお、エレーリヤ嬢。調子は?」
「統合王国の問題を毛皮売りを使って片っ端から潰して回っているところです。学院のような場所でなかったら落ち着いてこんな事もできませんでしたよ」
第四学年になっていたエレーリヤは、有能な後輩たちを用いてテレナやアニドのように統合王国への介入を続けていた。ただ、それは燃え上がろうとしてる火種を踏みつけて消し続けるような作業だった。
「……手紙は定期的に受け取っているが」
アニドは呟く。
「正直に総権国の外交官の娘が統合王国の大臣の腐敗を活用して全国民会の一翼を切り崩しました、なんて書けると思いますか?」
「無理だな」
「無理でしょうね」
アニドとテレナはそう言って息を吐いた。
「……エレーリヤ嬢。統合王国の過激派の情勢は?」
テレナはエレーリヤに尋ねる。
「武器を持ってないからいいですが、軍隊があれについたらまずいですね。徐々に勢力を切り取りつつ、ひとまず貴族の些細な利益の切り崩しで満足させておかないと……」
「おかないと?」
「……あいつら、平気で毛皮売りを殴り倒すんですよ」
そう言ってエレーリヤは息を吐いた。彼女は社交界で育っていた。そこにおいて暴力は表向き禁止されていたし、そのようなことをした人物は多くの場合冷遇されることになった。もちろんそれを武勇や名誉の話に素早くすり替える事ができれば話は別であるが、そううまくいくことは少なかった。
「ああ、異国の商人はこの手の話では面倒になるからな……」
アニドは慣れてきた頭痛のためにこめかみを揉むようにした。もし総権国の商人に死者が出れば、統合王国としてはきちんと説明を果たす必要が出てくる。法が機能していることを示すためには犯人を捕らえなければならないし、しかし同時にあくまで法の範囲内で裁く必要がある。そしてこれらを統制するのは司法議会であり、全国民会は間接的にしか影響力を与えられない。
「正直新聞を読んでいる限りではかなり大変そうだという印象ね」
テレナが言う。
「ところでテレナ嬢……じゃなかったテレナ夫人。なに読んでいるんだ?」
「蔓草党のやつよ、あれは発行者の立場を差し引けばそれなりにわかりやすい」
「あー、ほどほどにしておけよ?」
「もちろん。ラストゥイルの新聞会社が出しているやつも読んでいるから」
テレナはアニドにそう言った。作られては消えていく新聞たちは、それでもいくつか有力なものが生まれつつあった。一つはかつてテレナたちが破壊閥と呼んでいた勢力を中心とした蔓草党の出版するもの。そしてもう一つはかつてテレナたちが固守閥と呼んでいたラストゥイル公爵家の影響を受けるものだった。
「ならいいな、長い手っていうのも最近は複雑になってきてな。あくまで統合王国全体のために動くべきだって奴らとラストゥイル公爵のために動くって立場が内部でちょっとな」
「それ、私たちが聞いていいの?」
テレナはアニドに尋ねる。
「別に構わないだろ、結局は統合王国は統合王国の人々が必要だと思ったことをやるんだ。その前提が少数によって歪められようって言うなら、もっと多くの噂でそれを流してしまえばいい」
「そうするとわかりやすくて派手な意見が中心になるのでは?」
「だからルメン・デリロスが誰からも人気でいられるんだよ」
アニドの言葉に、テレナは頭の中で情勢を考えていた。両方の新聞がルメン・デリロスを否定してはいない。それは他の分野についての攻撃、あるいは擁護とはまた違った微妙な言及であった。少なくとも、彼を引きずり下ろすことは今の時点ではどの陣営でも望んでいない。
「……ただ、あそこまで器用に立ち回るというのは私も想定外だったのよね」
「裏で相当準備してこっちが動いた上で全部見栄のいいところを持っていくわけだからな。彼にしかできない仕事とはいえ、嫌われはする」
「そうね……」
テレナはそう言って大広間を見渡す。そこで踊り、話す人々は社交界の中でも比較的冷たくて単調で、そして責任のある仕事をしている人が多かった。学生時代でさえそうだったのである。立場ある若手となった彼らは、今はそれぞれ背負うものがあった。
「ところでテレナ先輩は一人ですか?」
エレーリヤがテレナに尋ねる。
「ええ。夫は息子と一緒にハゼウ伯爵領に」
「……めでたいな」
アニドは呟くように言った。
「ひとまず妻としての仕事の一つは終わったところね。もちろんいつ何が起こるかわからないから、期待はしないようにしているし、覚悟は常にしたいところではあるけど」
「やっぱり出産があると仕事は大変ですか?」
小声でエレーリヤが聞く。
「人によりけりだと思うわよ。私は前後合わせて半年はろくに動けなかった。それまでの間に準備しておいたのと、去年の冬が始まってすぐ戻ることができたからいいけど。だから時期とか考えたほうがいいわよ」
「……俺を見て言うな。それに相手がいないんだよ相手が」
「アニド卿なら色仕掛けの一つや二つ押し付けられていると思いましたが」
「あー、アレリアのやつに蔓草党の噂と引き換えに色々と……」
「……そう」
テレナはアニドの口調から問題がそこまで深刻ではないと思っていたが、そもそも彼がその程度の嘘をつけないような生ぬるい社交をしているわけがないとも考えていた。ただわからない以上、本人が真剣に言っていないのであればどうしようもないのもあるしわざわざ口を挟む必要もないと考えていた。
「まあ、同君地域の軍も少なくなってはいるからな。互いに警戒しているのには変わりはないが、総権国はこっちの味方をするつもりらしい」
「それに対抗して騎士団領と共和王冠国と大君侯国がシェプルスキアの下で集まりつつあるとかいうわよ、大宗派戦争の再来が来るんじゃない?」
「……そうならないことを祈るしかないな。ひとまずその地域の外交官に融和方向に持っていけないかは尋ねてみる」
「お願い」
「あの先輩がた、総権国の話なら私を通せば……」
そう呟いたエレーリヤだったが、アニドとテレナは意図的に無視をした。ここで彼女を頼ることができるほど、二人は総権国を甘く見てはいなかった。