「……なんでシェプがここにいるのよ」
ハゼウ伯爵領の屋敷で、伯爵夫人であるテレナは来客を迎えていた。
「勉強のため、かな」
そう言うのはイウェラ連隊連隊長のシェプルスキアであった。
「向こうの方で上兵学校作っているというのは聞いていたけれども」
「統合王国の軍事とかを知る必要があって、だからあたしが出てきた」
「百名の騎兵を連れて?」
「一応彼らは傭兵だよ、さすがに共和王冠国も自分のところの軍をそうそう派遣はしないから」
シェプルスキアはそう言っていたが、その傭兵の少なくない人数は共和王冠国を退役した軍人であった。残りはかつてイヴェリャン団であったが定着を選ばなかったものたちであったり、あるいは共和王冠国の中の戦いを求める人達であった。
だからこそ、これは非公式の派遣なのである。シェプルスキアは一人でここに来ており、そのまわりに彼女が雇った護衛がたまたまいるだけなのだ。
「それ以上の弁明はある?」
「いまのところない」
「……わかった。六年ぶりかしら?」
「そんなに経つのか……テレナがお母さんになっていたのには驚いたけど」
「シェプのほうが独身なのが驚きよ。後継者どうするの?」
「うちの地域議会を作ったからそこで選出する」
「またうまいことやるわね……」
それが決して容易ではないことをテレナは知っていた。今の統合王国では王政の廃止が議論に上っているほどだというのだ。そのような中でシェプルスキアが自分の立場とかつての傭兵団の組織を残しながら自分の次世代を養成するというのは、理想ではあるかもしれないが理想というのは多くの困難を抱えているから理想と呼ばれることをテレナはよく理解していた。
「そもそもあたしがツィノドのあたりにいれないからそうするしかないんだけどね」
「ともかく、このあたり戦場になりそうなの?私の見る限りではそうではないだけれども」
テレナはハッヘンヴルト家と統合王国の情勢を一応確認していたが、それでも大規模に軍を動かす気配は双方にはなかった。ただ国境付近に軍を並べることは増えてきており、小競り合いがいつ大事に発展してもおかしくない状況ではあった。
「あたしが話聞いて同君地域側で士官派遣ってことで来ているし、顔を合わせても結構仲良くしているらしいって話は聞いた」
「軍隊の風紀も何もあったものじゃないわね……」
「南方系の商人も色々売りに来ているって話も聞いたよ」
「あいつら上手いことやるのよね。ちなみにこのあたりの南方系商人の取りまとめにはフュルシーアって人がついているわよ」
シェプルスキアはテレナが語った懐かしい名前に少し驚いていた。
「じゃあレイルグ君も?」
「愛人として囲われているとかなんとか。そのあたりは小説になっているから読むといいわよ」
「……兵士が文字を読めるっていうのも必ずしもいいことばかりじゃないかもしれないな」
「本で不満を解消できるなら楽だと考えたほうがいいわよ」
「それもそうか」
息を吐くシェプルスキアの前に、テレナは領地周辺の地図を広げた。
「……ねえテレナ」
「なによ、夫からはこれは好きに見せていいって言われているから」
「そうじゃなくて」
「数日あればシェプでもこれぐらい把握できるでしょう?わざわざ隠すほどでもないわ」
「……何かあってもハゼウ伯爵領の軍を助けるとか、そう言う細かいことはできないからね?」
「相手がためらう理由の一つになってくれれば十分よ。それと、あなたがここで死ぬと共和王冠国で進めている改革が止まるでしょう?」
「……どこまで知ってるの?手紙には書かなかったことも多いけれど」
シェプルスキアは定期的にテレナと手紙のやり取りをしていた。それが学院での友人という側面もあったし、直接利害関係がぶつかることのない安全な相談相手というのもあった。
「若い騎士に金を出して諸国漫遊とかさせているのよ」
「物語みたいだ」
「そうやって外の世界を知っている人を何人か用意しておかないと、小さくてだいたいのものがある伯爵領はどんどん小さくなっていくしかない。何かができなくなっても輸入するか我慢すればいいかと考えてしまうから」
「……ツィノドはまだできないこといっぱいあるから、そこまでじゃないかな」
「貿易拠点として整備するっていうのは面白いわよね」
テレナは共和王冠国と大君侯国の間のやり取りを断片的にではあるが知っていた。今まで細々とではあった交易を強め、南方の鉱山の金属を、北方の平原の穀物を、そしてそれぞれが属する世界の産物をやり取りしていた。
それらをしているから戦争が起こらないというほど単純な話ではないが、少なくとも小さな問題が予期せぬ形で大きく発展することを防ぐことはできる。相手が戦争を考えねばならない時に、それをためらう理由が一つか二つあれば、もしかしたら途中で止まることができるかもしれない。
「このあたりもそういう事できないの?」
「無理ではないわよ、このあたりを通る街道を整備できればの話だけど」
「……軍隊を動かす時にさ、このあたりが決戦地になるならそういう方面で交渉できない?」
「同時にその道を敵も使えるのよ」
「守る側だからすっかり忘れていたな……」
シェプルスキアの言葉にテレナは息を吐いた。これは決してシェプルスキアが愚かだというわけではない。むしろテレナが何年間も悩んでいる問題に、数回の会話だけで追いついていることが異常とさえ言えるのだ。
「……相手が奥まで攻め込まないことが前提なのね」
「相手の首都まで狙わないと戦争が続く、なんて時代じゃないはずだから。少なくとも、共和王冠国では議会はそのまえに降伏を選べる」
「総権国は……女総権者がそれを必要だと判断すればできるでしょうね。でも、統合王国は?」
テレナは西にある大国を思い浮かべていた。今の情勢で王室が廃止されれば、かわりに代表者となるのはルメン・デリロスだ。彼の支持はここしばらくで揺るぎないものになっている。教会の改革によって聖座は統合王国への発言力を大幅に減らしたし、目に見える特権を無くしたことで貴族や王室ではなく民衆についた組織とみなされるようになった。
「……恐怖、かな。必要なのは」
「どういうこと?」
テレナはシェプルスキアに問いかける。
「もう血を流したくないって思うぐらいに殺さないと、ああいうものは止められない。狂ってしまった軍隊というのは、撤退できないし犠牲は大きいけれど、だからこそ恐るべきものなんだよ」
シェプルスキアはそれを学ぶために、わざわざ遠くまで来たのだった。そしてかつて学院にいた時にシェプルスキアがおぼろげに持っていた予感は、外れてはくれなさそうだった。