革命は去り何者かが語る 1
「……肉をくれ、肉を」
天井に火事の焼け跡がある酒場で、一人の客が老店主に言う。
「ありやしませんよ。あれは有産者のものだ」
「なら酒でいい」
「瓶の多くは割れてしまいました」
「……そうか」
そう言って、客は外套を漁って取り出した数枚の硬貨を置く。
「払ってなかった勘定だ、取っておけ」
「……秘蔵の瓶であれば、一つ」
そう言って店主は煤けたカップを二つ取り出し、瓶から葡萄酒を注いだ。
「おい、こんなもの」
客はその瓶に書かれた文字を読んで怯えすら混じった声で言った。その時代はかつての戦争、市民皇帝デリロスと女総権者エフナチェルカ一世が起こした北側世界を巻き込んだものの直後だった。そしてそれは、「学院」で作られたものだった。
「……私の父はここの卒業生でした。革命混乱期には統合王国の官僚でしたが、戦争に幻滅してここに渡ってきたのです」
「こっちもそう変わりはないだろ、貴族はいないが金持ちはいるし、議会だって最近まではいい加減だった」
「……そうですね。あなたは若いのにお詳しい」
「……この店を焼いた責任が、少しはあるような立場だからな」
「私は直接火をつけた人しか恨まないことにしています。そうでもしなければ、私が彼らと同じになってしまう」
下手に開けてしまったな、と葡萄酒の匂いを感じながら店主は言った。ただでさえこの酒場は経営が安定しているわけではなかった。今回の混乱でどちらが勝つにしろ、天井を塞げるような保証金が払われるとは考えにくい。
「……どうなるんだろうな、この街は」
「ティツン商会が報復に動けば、騎士団領の兵士がやって来ますよ。とはいえ彼らもかつての優位を失っていますが」
「総権国に負けたから、か」
「ええ。もちろん彼らはまだ強い。
「だが、統合共和国や総権国と正面切って戦えるほどじゃない」
「その通りです。彼らはここに介入した場合に自分たちの背後が危なくなることを理解するでしょう。それなら新しくできる無産者の議会と手を組み、支配下に置いたほうがいいと考えるかもしれない」
「……うまく行きますかね」
「そうでなければ流血でしょう。統合民主国は実にうまくやり遂げた。連邦で少なくない人が裏切り者として処刑された時代を知らないわけではあるまい」
店主はそう言いながらも、その処刑が計画されたものであることを知っていた。彼の父は統合王国時代にとある公爵に忠誠を誓っていた。国外に行ったのも、それを通して見えるものを探るためだった。
連邦の初期において、重要な監視対象が動いていることは明白だった。彼女はそれからしばらくして亡くなったが、少量の血によって内部の安定を得ることができていた。その後の内戦や混乱の可能性を考えれば、最小限の犠牲で済んだと言えるだろう。
「大変だったと噂には聞くが、そんなにか」
「ええ。結局は皇帝デリロスの死後には統合共和国は止まりましたが、かわりにかつての冷海同盟と同君地域と呼ばれた部分は混乱に陥りました。その結果がこれですよ」
店主は穴の空いた天井を見て言った。特に冷海同盟に参加していたような都市においては、民主運動は持つものと持たざるものの対立へと変化した。既に王も貴族もいない以上、そこから引きずり下ろす対象は限定されなかった。
「同胞たちが一つになる、なんていう日が来るのだろうかね」
「そもそも神聖連邦の時代ですら、誰一人同胞だと思っている人はいなかったでしょう」
それを聞いて客はしばらく笑って、そして黙った。
「……なあ、店主さん」
「なんでしょうか」
「俺の妹はな、工場で働いていたんだよ。朝から晩までずっと、煤けた空気の中で布を作っていた。確かにそれのお陰でだれでも服を買えるようにはなったんだろうよ。妹だって給料で買ったっていう綺麗な服を俺に見せびらかしていた」
「……ええ」
「でもな、昔は布を作って倒れたりなんてしなかったわけじゃないか。数カ月かけて刺繍を入れた服があったわけだろ?それなのに今は……」
「布がなくて死にましたよ。昔は」
店主は呟くように言った。
「……そうか?」
「ええ。布がなければ服が作れない。そうすれば冬の間に身体から熱が消え失せ、魂の火がちょっとした風でも消えやすくなります」
「……そうか」
「もちろん、昔のような服は少なくなりました。統合王国の時代には、宮廷の貴族たちは一度の舞会のために一着の衣装を新調したと言います」
「その頃って、工場はあったのか?」
「ありませんよ」
それを聞いて、客はどうにか頭の中でそれがどれぐらいの額になるのかを考えようとした。一夜のために苦労して働いた一年の稼ぎを使えるかと言われれば、彼は首を振るしかなかった。
「……怖い話だな」
「ええ。今は誰もが安い布で作った、ありふれたものを着るようになりつつあります。それは間違いなく豊かさです」
「その豊かさで満足できないのが俺達、か」
暴動によって街は大きな被害を受けていた。銃や砲が持ち出され、多くの人が理由もわからず逃げ惑った。おそらく事情を理解している方であるはずの客の男でさえ、ほとんど何もわかっていなかったのだ。
きっかけは街の議会において、議長がずっとティツン商会から選ばれた人間であることに対する反感だった。それを誰が言い出したのかはもはやわからない。もしやすると、ティツン商会の内部の揉め事がきっかけだった可能性すらある。
「革命混乱期のせいで、多くの国が兵を集めるようになりました。軍に入れば飯が食えるし、うまく行けば英雄となって故郷に戻れる。そういった生き方が選べるようになったことも豊かさかもしれませんが、かわりに銃どころか砲ですら操れる人が街にいるようになった」
「文字を読めるっていうのはそういうことだからな。俺も昔は代官から言われて学校に通わされたが、それがどういう意味なのかはあとからわかった」
「……世界はそういうものです。遅くなりすぎた、後からでないとわからないものがある」
店主がそう言うと、小さな音が響いてきた。灰色の空から落ちた雨が、抜けている天井から降り込み始めてきていた。