「評議会共和国、だってな」
かつての総権国の、かつての宮廷で、かつての貴族であった官僚が囁く。彼は官等表を使ってかなりの高みまで上り詰め、世襲貴族の一代目としての地位を手に入れたまでの人物だった。ただ、彼の夢は潰えた。
「官等表も相当腐ってしまったからな、かの偉大なる女総権者エフナチェルカ一世の時代ではないのさ」
そう言いながら彼の友人の男の外交官は白い息を吐く。彼らは革命に敗北したのだ。
きっかけは統合民主国と
その結果、
万人は平等であるという考え方は、統合民主国が革命混乱期を正当化するために使い始めた概念だ。そしてそれは時間をかけて北側世界全体に浸透した。あくまで革命混乱期の思想の根幹にあったのは市民による政治への参加である。その次に平等、そして地域の権利や圧政に対する反抗権、女性の権利拡大や反戦運動など様々な概念が生まれては広まり、そのたびに国家は揺らいできた。
そしてついに、北側世界東端の総権国にもそれは届いた。結果としてしばらく空位になっていた総権者の椅子は壊され、
「俺達の出世は何だったんだろうな。少なくとも地位は十年間保証されるそうだが、それが終わったらかつて総権者に忠誠を誓い、貴族であろうとしたものから順番に首を跳ねられていくだろう」
官僚はそう言いながら遠くを見た。
「おいおい、悲観的だな。統合民主国も、
「殺されたやつにとっては一緒に地獄に行くやつがいなかろうが一万人いようが変わりはないさ」
「……地獄、か」
外交官は宝座の教会に通ったときに見せられた絵を思い出していた。白と青で描かれた天国と、黒と赤で彩られた地獄。幼いときの彼は、地獄の絵のほうに心が惹かれていたものだった。
「俺達が行ける場所が他にあるか?宝座の教えを丁寧に守った俺達は、無神論者のあいつらと違って死後を神の作られた世界で過ごせるんだ」
「そいつはいいな」
そう言って二人は小さく、乾いた声で笑った。
「……さて、十年間が俺達に与えられたわけだ。仕事をするぞ」
「お前がやるべきは省の再編、人材登用制度の確立、それに年金の調整もあるか?俺の方はひとまず周辺の国家に別に今まで通りだから心配するなと言って回る必要がある。もし彼らが戦争をしだしたいなんて言い出したときに、俺達のせいで警戒されていたなんて言われたら恥だからな」
「官等表と似たような制度は官僚がいる国家である以上導入する必要があるだろうから、そこを調整しなくちゃな。今のこれは金で買う事ができるようになってしまったが」
そう言って官僚の彼は胸についていた徽章を指で弾いた。
「昔は金ですら買えなかったんだ、貴族の血もエフナチェルカ一世の時代から総権国が丁寧に消し去ったものだろう」
そう言う外交官の彼は、総権国の真の歴史を知っていた。総権国において貴族とは官等表で上位になった人物のことであり、生まれながらに貴族である人は徐々に少なくなっていた。一代貴族を一家で取っている例もあれば、不祥事や資産不足により爵位を子に継がせることのできない例もあった。もちろんエフナチェルカ一世の時代にはそれらは例外的であったが、例外も積み重ねれば前例となるのだ。
「ただ、これで最後の王族が消えたわけか」
「総権者が西側の王に相当するかどうかとか、ハッヘンヴルト家は十分王族とみなされる資格があるぞとか、北側世界にはまだ小国として白氷海に面する王国が残っているぞとか、あとはそうだな、極東方には王政とも言える国家が残っているぞとか、そういう話をするべきか?」
「おっとまずい、学院育ちの人間の前で安易に変なことを言うべきではなかったな」
「冗談だ。というより学院も今はもうかなりの割合が留学生だからな……」
「そうなのか?」
「今更貴族はいないし、大抵の実力者は選挙で選ばれる代議士だ。そうではない、ずっとそこに務め続ける官僚を相手につながりを作る必要があるのは外交関係者だけで、そのために必要な投資は高すぎるのさ。かつての総権国はそのための基金があったが」
「ああ、エレーリヤ奨学金か」
「そうだ。まあ彼女についての小論文を何度も書かされたのは良い思い出だ」
外交官はそう言いながら、英雄となった彼女のことを思い出していた。エフナチェルカ一世の女官として、彼女はデリロス帝と協力した挟撃戦争において戦果を挙げた。共和王冠国が英雄としているシェプルスキア将軍でさえ、彼女の署名には勝てなかったのだ。
ただ、ちょっと奇遇なことが歴史にはあった。二人は学院で一年だけ同じ時間を過ごしていたし、おそらく二人は知り合いだった。
「……どういうことを書くんだよ」
「彼女が学院を通して何を学んだか、それがいかに変わったか、そして今の自分が学院を通してどのような貢献ができるか……まあ、そういったものだ」
「登用試験のときにも似たようなものをやらされたな」
「きっと俺達の後を継ぐ人も書かされるぜ、階級を超えた人民の団結と諸地域の融和を実現する評議会の素晴らしさとかな」
「……今のうちに書いておけるようになったほうがいいだろうな」
官僚はそう言いながら、文面を組み立てていた。なにせ総権国をこれから評議会共和国に変えるのは彼らなのである。多くの困難があるだろう。かつてのフェルヴァジュが辿ったように、また総権国に戻るかもしれない。
ただ、彼らはそれを無駄だと思っていなかった。彼らは祖国を愛していた。そこに住む人々を愛していた。そうでなければ、なぜこのような辛く、責任のある仕事ができるだろうか。
かつてそのような仕事は、血に縛られた貴族によってなされていた。今はそれを、責任を自覚した市民が成すことができるようになっていた。