ゆったりとした三拍子の舞曲を聞きながら、テレナはイヴェリャン族の衣装を纏って踊るシェプルスキアを横目で見ていた。今踊っている相手の男性は冷海同盟の若い商人だろうが、その所属する商会名を読み取れるほどテレナには知識も視力もなかった。
部屋に響くのは鍵盤弦楽器や木管楽器の和音。部屋の隅で音楽を奏でるのは、作曲家としても名の知れたような人物。テレナが手元にある曲の目録を見ると、わかりやすいほどの曲名が並んでいた。
普遍派と正統派の分裂前の聖座から引き継がれる聖歌から、打楽器を中心としたトゥカハト大君侯国風のものまで、様々な地域と文化からの題材引用。それらを舞踏用に編曲しなおし、踊る邪魔にならない程度に技巧を入れている。
統合王国の主流の曲を少しだけ外し、地方の民謡を用いたものを入れている。統合王国の宮廷に繋がりを持つ人にはそこが世界の中心ではないと注意するようにしつつ、他の地域には学院は統合王国流の、つまり北側世界の規範的な社交を行っていると表現している。
曲選一つでここまでの意味をもたせることができるのは、それだけの外交的な意味を知っている人物の存在を意味している。すなわち、学院を軽んじることは外交的に大きな敵を作るのだという警告でもある。
「……ええ、しかし飾り気がないことはある意味では美徳を象徴しているのではないですか?」
ただ、その警告を読めない人もいる。確かに外観上は地味な会場の中、テレナは統合王国の貴婦人と会話をしていた。おそらく地方伯爵の愛人。社交界の細かい作法を読み取れないところからすると専門的な外交教育を受けていないと見える。その上で例えば話し方に深い理解や知識を感じるわけでもなし、おそらく美貌によってのし上がったのだろうとテレナは見ていた。
「そうなの?つまらないわね」
そう言う対話相手とテレナは微妙な距離感を保っていた。つまらない会話をしたくはなかったが、ここでそういう表情を出さないぐらいのことは軽くできるのがテレナであった。
「とはいえ、覆いの下には美しい貌があることもあります。この焼き菓子は絶品ですよ」
南側世界から輸入された上等の砂糖。品種から考えられた新小麦。そして付近の村落からかき集めたバター。この一口にどれだけの値段がかかっているのか考えたくなくなるような焼き菓子の入った銀の盆を、テレナは相手に示した。
「そうなの?では、一口」
味わっている貴婦人から少し距離を取って、テレナはまだ踊っているシェプルスキアを見ていた。先程からするとずっと足の動きが良くなっているのがわかった。テレナが知らない足さばきが含まれているあたり、相手の若い紳士はおそらくこの種の舞会に慣れているのだろうと読み取ることができた。
しかしもう三曲目になっているのに相手を変えていないということは相当に相手から学ぶことがあるということなのだろうか、とテレナは考えていた。事前にテレナは最低限の手ほどきをシェプルスキアにしたつもりだったが、そもそもテレナが舞踏に不慣れなことや本を見ても理解には限界があることもあってどうしても詳しく教えることができなかった。ならばもういっそのこと不慣れな東方の領主として踊りを盗んでこいとして送り出したのであるが、この計画がそれなりに成功しているようでテレナは安堵していた。
今のところ、テレナに踊ろうと声をかけようとかける人はいなかった。学院の制服と東方風のスカーフをつけていると、その意味を読み取れる人はおそらくシェプルスキアの付き人なのだろうと理解してくれるのだった。なお、このスカーフはシェプルスキアから借りたものである。
シェプルスキアが踊っている間、テレナはそれなりに壁際の人々と会話をしつつ情報を集めていた。本来ここにいる人は様々な会合に個別に参加する人であり、この舞会はあくまでたまたま人が集まっていたから突発的に開かれたヨルワ教授、パステリアス伯爵夫人主催のものということになっている。
だからこそ、この場ではこの冬に行われる会合の役者たちが集まっていた。学院の制服を纏っていることは多少の階級差を新参者として許してもらえる立場であったが、それでも学生が高度な政治的情勢の会話や商取引に割って入ることは難しかった。
曲の速度が下がり、主題となっている旋律が何回か繰り返されたのを聞いてテレナはシェプルスキアの方に歩き出した。終曲の合図を教えていただろうか、とテレナは思いながら緩やかに小さくなっていく音楽とともにシェプルスキアの隣に立つ。
「こんばんは、お嬢様と踊って頂き、ありがとうございます」
そう言ってシェプルスキアに近づけば、相手の胸に輝く紋章をテレナは読み取れた。冷海の更に北、ルウォロド総権国の北にある白氷海を通じた貿易において最大手の老舗である白氷海貿易社である。確かに総権国まわりの問題が起これば影響を受けるところだ、と思いながらその顔を見るとシェプルスキアにそれなりの時間と付き合ったことによる疲れが微妙に現れていた。
「いえ、シェプルスキア嬢に教えるのは実に楽しいものでした。しかしこちらも他の人を待たせているのです。申し訳ないシェプルスキア嬢、またの教授は次の機会に」
「ええ、お待ちしておりますわ」
その柔らかい言葉遣いにテレナは恐怖すら覚えた。少なくとも短時間であれば、聞いた文章を組み合わせることでシェプルスキアは纏う空気すら変えるほどの演技ができる。もちろん念入りな準備は必要であるが、少なくない社交界の参加者は多くの時間を費やしてもそれができないのだ。
「ねえ、テレナ?」
紳士の後ろ姿を見送ったシェプルスキアがそう言い終わるか終わらないかの時に、テレナは半歩詰めて手首でシェプルスキアの胸を叩いた。
「ここは舞会だから、きちんと名前を呼びましょうか、シェプルスキア嬢」
「……テレナ・ノイーズ・イルデネ、エルンツィンガー伯爵令嬢。もしよろしければ、何曲か踊っていただけないでしょうか」
落ち着いた綺麗な発音で言ったシェプルスキアに、テレナは息を吐いた。もちろん、このように話すことはシェプルスキアにかなりの疲労をもたらす。一方で舞踏についてはシェプルスキアの体力を持ってすれば一晩中でも踊っていられるほどだった。
「テレナ嬢でいいのよ、ここは。それと領主が話をしなくてどうするの、踊っている間は会話できないのよ」
「さっきの人は私に色々聞いてきたよ、全部微笑んで誤魔化したけど」
「あのね……」
そう言ってテレナが次の言葉を紡ごうとした時、演奏隊の弦楽器の音が何回か響いた。次の曲の開始の合図だ。楽しそうなシェプルスキアを見ながら、今更手を離すわけにはいかないテレナはシェプルスキアの手に引かれるように足を動かした。