冬の学院において、直接顔を合わせて会合を行う時間は決して長いものではない。もちろん他の社交界に比べれば面白くないほど実務的とされる冬の学院であったが、それでも息抜きとしての娯楽以上のものがそこにはあった。
「……談話室とか娯楽室にいろいろな卓上遊戯があるなって思ってたけど、そういう理由だったんだ」
シェプルスキアは人の多い、いつもは共用の娯楽室として使われている部屋に入って言った。紳士淑女が気楽に見える様子で手札を見せ、駒を動かし、あるいは牌を並べていたが、シェプルスキアはそこに下手な決闘以上の雰囲気が満ちていることに気がついていた。
「というより、学院に新作を置いていくことも多いのよ。格好の宣伝の場になるし」
棚に並べられた箱の中に同君地域の中でも木細工に長けた同業者組合の焼印があった見慣れないものがあるのを確認しながらテレナは言った。
「卓上遊戯が?」
「
「そんなことがあるんだ……」
シェプルスキアにとって、この種の卓上遊戯はすでに完成形が存在しているものだった。そもそも規則から変えていいのか、と思ったがよく考えればシェプルスキアの好む戦略は
「時間つぶしにもいいしね。会合に興味がないけれども連れてこられた人が数ヶ月を潰すとなると、図書室の本を読むか遊戯にふけるかぐらいしかないから」
「……なんか賭けとかされている気がするけど」
シェプルスキアは遊んでいる卓の一つの上にある紙を見て小さな声で言った。そこには黒鉛筆で試合の結果が数字としてあり、誰が誰に支払ったかが書かれていた。
「そりゃするでしょう、金のかかった賭け事ほど楽しいものはないらしいわよ」
「……こっちでは禁止されていなかったっけ」
「ええと、ちょっと待って。ケラフェツの規則だと確か酒場とかでは禁止されていたはず。統合王国の外交官はみだりに賭け事で身を持ち崩すことなかれと言われているけど、逆に言えば破産しない程度なら特に何も言わないよってことだよね」
特定の分野の法律はしばしばまとめられ、地域ごとの比較も交えながら解説される本が出版されることもあった。テレナが少し前に読んだ地域横断的な商業法関連の付録として書かれていた賭博関連の法について整理した論文では、具体的な事件の解説が思わずテレナが笑うほど精緻に書かれていたので記憶に残っていたのだ。
「学院ではやっちゃいけないって」
「それは学生向きの話でしょう、それに禁止されているのは金銭や物品を賭けることだし、敗者に何らかの行動を依頼することは問題ないわ」
「そ、そんな……」
シェプルスキアは真面目な学生であろうとそのような誘いを断ってきたことを少し後悔していた。なお、シェプルスキアはそれなりに賭け好きである。かつてイヴェリャン団で行われた弓当てにおいては相手に酒をたらふく飲ませた後で賭けを持ちかけて勝利し、戦利品として賭けの相手を自分の中隊に引き込んだこともあった。
「とはいえやらないほうがいいわよ、賭けで破滅する話なんていくらでもあるし、今どきは評判も良くはならないから」
「そうなの?」
「上流階級は常に見られているのよ。ここだってそう」
テレナはあくまで小声で言った。娯楽室にいる人々のうち、爵位を持つ人や貴族は少数派だろうというのがテレナの読みだった。この二つについての違いは地域によって大きく異なるし、その微妙な解釈を巡って面倒な外交的争いが行われているのを知っていたため、テレナはあえてシェプルスキアに説明する必要はないな、と思っていた。
ただ、現代においては平民と貴族の境界が曖昧になっていた。なによりシェプルスキアが貴族に成り上がった人間である。テレナは別に貴族であることがなにか生来的に優れているとは思っていなかったが、与えられた権利にふさわしい働きをする責務があるとは考えていた。
「あら、そこのお二人のお嬢さん。お暇ですか?」
声をかけられて、シェプルスキアとテレナはその相手に顔を向けた。
「ネア先輩!」
シェプルスキアが言うと、ネアは小さく首を振った。
「ネアとお呼びください、シェプルスキア嬢。私はただの小娘ですから」
「……何やっているんですか、ネア嬢。あとここで嬢っていいんですか?」
テレナはそう言ってネアを見た。商業関係の会合に来る商人の使用人のような落ち着いた服装であったが、近づけば見える刺繍織りは手間を感じさせるものだった。彼女を単なる小娘と侮る相手は、少なくとも服飾分野の知識を持っていないとわかるだろう。
「何って、ほら。私の父がティツン商会の総経理やってて、その関連の取引の手伝いよ。あと女卿って呼ぶことまずないし、未婚なら嬢でもいいかなって……」
統合王国語の微妙な宮廷流単語選択は宮廷内ですら理解している人がおらず誰もがその場の流れでそれらしく振る舞っている、と揶揄されるほどに面倒なものだった。確かにシェプルスキアには嬢とつけておけば問題ないものだったが、女性形の尊称でも間違っているとは言えなかった。
「なるほど。そうすると、ネア嬢は学院の立地に詳しい案内人役ですか?」
「実家が退屈でお父様に頼み込んだのよ、とでも言えば満足?」
「……はいはい」
いつもの先輩と後輩の間柄ではなく、上流階級の従者同士として二人は話していた。シェプルスキアはテレナがいつもの丁寧さを出していないことはわかったが、その理由を理解するよりも二人の会話を観察する方を優先していた。
「あとはあれね、ティツン商会の若いやつがヨルワ教授に呼ばれたから」
「……どういうことですか?」
テレナがネアに聞くと、ネアは悪巧みをするような笑みを浮かべた。
「数学者よ。もともとは利息表の計算手法を編み出して名を上げたんだけど、ティツン商会が資金を提供してちょっと面白いことができないか計算させたのよね」
「……面白い?」
シェプルスキアは首をひねった。学院で行われていてシェプルスキアが授業で受けた数学は基本的なものが中心でシェプルスキアはなんとか追いつくことができていたが、そこまで面白いことができるようには思えずある種の思考訓練と捉えていたのだ。
「父さんもあまり期待はせずに帳簿のある部屋に閉じ込めていたんだけど、会計不正を見つける方法を編み出した」
「……なんですって?」
テレナは声を少し小さくして、ネアに聞いた。一般的に帳簿は機密性が高く、外部の人間に読ませることは少ない。しかし、そこから単純な数字以上のことを読み取れるなら話は別になってくる。
「利益が規則的すぎるのを見つけたのよ。実際は二階差分の数字が切りの良いもの過ぎたというお粗末な話らしいけど……シェプルスキア嬢はこの種の解析学についてご存知でしょうか?」
ネアは口調を丁寧なものとして、シェプルスキアの方を見た。
「あれ第二学年の選択授業でしょう?たぶんシェプルスキアは取らないわよ」
テレナが小声で口を挟んだ。
「いやでも不正見つけられるのはいいよな……あたしの団でもその手のやつは絶えなかったし」
「基本的にあらゆる資金の動きを帳簿にまとめていることが前提だから、地方だと厳しいかも」
ネアが言うと、シェプルスキアは少し悲しそうな顔をした。
「……もし気になるなら、明後日あたりに小さな公開講演があるはずよ。別に人が来ても構わないと思うし、必要なら私が招待するから」
「……後で解析学の本、目を通しておこうかな」
そう呟いたテレナが隣を見ると、ちょっと興味を持ったらしいシェプルスキアがいた。