手紙に書かれていた時間より少し前に、テレナとシェプルスキアはその場所にいた。学院の会合に使われる予定の小さな一室であるが、予定表にはそこで該当する時間に行われる会合については何も書かれていない。ただ、その時間にその場所は埋まっている、という情報だけがあった。
「……ちょうどいいところね、二人とも」
部屋ではヨルワ教授が待っていた。会合に出ている貴婦人ほど飾っているわけではないが、それでも貫禄と地位を想像させるのには十分だった。
ただ、テレナはヨルワ教授の服装の中に本来の規範であれば存在するはずの自己表現がないことを読み取った。それは学院の制服のように、ただの機能だけを強調するような意匠をしていた。逆に言えば、それこそが中立の立場を固守する、西側世界の教育機関にして調停者としての彼女の立ち位置を示していた。
「……私達が着るのは、制服で問題ありませんよね?」
テレナは確認するように言った。
「ええ。襟のスカーフも必要ありません」
「私達は、なぜこの部屋にいるんでしたっけ」
「私が手伝いに呼んだのよ、たまたま集まる人を考えると、中立な立場の人がいると助かるから」
ヨルワ教授とテレナは笑顔を交わしているのを見て、シェプルスキアは深く息を吐いた。集中をしなくてはいけないが、緊張してはいけない。狩りの時に獲物をじっと狙うときのような、身体から適度に力が抜けつつ、何かあれば指を動かすことのできるような姿勢。その気配を気取られないようにするため、シェプルスキアは少しだけ口角を上げた。
「お茶でも出すのですか?」
「ええ、菓子も含めて共和王冠国風にしてみるつもり。シェプルスキアさんに合わせたのよ」
「別に、あたしはそんなに共和王冠国にいた時期が長いわけじゃないけど」
ヨルワ教授に言われたシェプルスキアが不思議そうに言うと、テレナがシェプルスキアの脇腹を肘でつついた。
「シェプ、これは西方流じゃないってことに意味があるの」
「わかった」
ようやく、シェプルスキアはその意味が飲み込めた。大抵の行動は文化の中心地である統合王国と何らかの繋がりを持ち、政治的意味を含んでしまう。それならばいっそのこと、完全な第三者に合わせる形で揃えたほうがいいのだ。
「ここの会合の参加者を教えて下さい」
テレナはヨルワ教授の目を見て言った。
「まずはエアーク・ファルティク、テワドレーム公爵」
「
「大宗派戦争より前の古い地名ね。家名のようになっていて、テワドレーム公爵家が代々引き継いでいる。テワドレーム公爵かエアーク卿と呼べば基本的には問題ない……ですよね、教授?」
テレナの確認に、ヨルワ教授は頷いた。
「次に統合王国宮廷侍従長、ルゼイフ卿」
「……ええと待ってください、宮廷侍従長って何番目でしたっけ」
「六番目にあたるけど、国王の私的な相談役という側面が強いから財務大臣や陸軍大臣よりもこういう場所には適しているわね、ルゼイフ卿は宮廷侍従長になるに当たって息子に爵位を継いだから、ルゼイフ侍従長と呼べばいいはず」
テレナの質問に、ヨルワ教授は淀みなく答えた。宮廷の財政確保のために、あるいは貴族の序列付のために様々な官職は肉屋の店頭にある塊の肉から切り取られるようにして配られていった。そのため、定期的に職業の名前と序列が変化し、かつ王の個人的な時間と尊厳も切り取られていった。
テレナはある文筆家が最終的に王は自分の肉体を臣下に切り刻んで与えなければならなくなるだろうと言っていたのを思い出していた。なお、彼は国内では神聖性侮辱の罪によって指名手配されて現在は冷海同盟内の都市に亡命していた。
「……テワドレーム公爵と、ルゼイフ侍従長。うん」
シェプルスキアはその統合王国語の響きを口の中で転がした。
「二人はそれぞれ地方派と王室派の代表。そして、聖座からは枢要僧がやってくる」
「聖座の顧問団からわざわざ?」
「修女エネトの誓願証人であり、学院への推薦者。リュクバーン猊下が来る」
「……私でも名前を知る、大物ですよ」
テレナは少しだけ表情を引きつらせながら言った。
「ええ。私も驚いている。直前になるまで誰が来るかの連絡がなかった」
ヨルワ教授も、テレナの反応を認めるように深く頷いた。
「あれ、テレナって抗議派だったよね?」
シェプルスキアは横から小さく質問をした。
「そう。でもリュクバーンは宗教的にはかなり聖座でも特殊な立ち位置よ。聖俗分離に賛成派で、本人が一流の博物学者でもある」
「ああ、だからテレナでも名前を知っているんだ」
「それ以上に、外交官として優秀という噂が大きいわね。ここしばらくの聖座の対外戦略を一任されているという話を聞いたことがある。というか私の実家のほうに改宗の誘いをしてきたことがあるから名前ぐらいはね……」
「なるほど……」
「正直なところ、私は彼が一番わからないわ」
ヨルワ教授はそう言って、二人を見た。
「エネト嬢から具体的に婚約破棄に関する話は聞けていない。個人的なことだからと言われれば、教授側も手を出せないのよ」
「学生に拷問する教授なんていうのは、反学院の人々にとって都合のいい話ですからね」
そう言ったテレナはヨルワ教授のほうを見ながら頷いた。学院は百年をかけて北側世界で重要な位置に食い込んでいる。嫡子の卒業生こそ多いわけでは無いが、逆に言えば国家を支える実務家としての次男や三男、あるいは外交戦略において重要となる娘たちは学院の薫陶を受けている。
それは単なる統合王国語の知識や儀礼作法の習得だけではない。彼らは同じ言葉で話すことができ、同じ視点を共有しているのだ。領主と臣下の関係がかつての騎士たちのような恭順と報奨の形ではなく、より実利と交渉の混じった形態になりつつある今、彼らのような人々は独自の繋がりを持っていた。
だからこそ、学院の卒業生は表舞台から追いやられることも少なくなかった。しかしながら、彼らはそれよりも見えない力を選んだのである。
「この婚約破棄自体が学院に対する攻撃の可能性もある。私はあくまで、学院の代表として動く必要がある」
「だから中立な、しかし無力な第三者が必要だったと……」
「少なくとも、表向きにはね」
ヨルワ教授はそう言って、社交界仕込みの笑顔を二人に向けた。