「王室としては、これ以上特定の貴族家に対して特別な対応を取ることは致しかねます。国王陛下についても今回の件は穏便な解決を望んでおりますし、あくまで学生同士の問題ではないでしょうか?」
そう言ったルゼイフ侍従長を、テワドレーム公爵は睨みつけた。
王室と国王という言葉の使い分けの意味を、テワドレーム公爵は理解していた。ルゼイフ侍従長として王室という組織の内部分裂を引き起こしかねないテワドレーム公爵に対しての有形の譲歩はできない。しかしながら、国王による個人的な便宜であれば可能性がある、という形の意思表明だ。
「我々は名誉を傷つけられたのだぞ?そのような侮辱を与えたのであれば、その報いも理解しているのだろうな?」
これに対して、テワドレーム公爵は問題は対外的な名誉だと主張しつつ、軍事的な行動もほのめかす。ただ、テワドレーム公爵自体は実際に武力を行使するような事態になることは避けたいと考えていた。
テワドレーム公爵は地方派の中でも話ができるということで王室派と繋がりを作り、ついに娘を第三王子と結婚させるという大成功を勝ち取った人物だ。たとえそれが失われても、それ自体は我慢ができるものだ。
一方で、婚約破棄を受け入れた場合に王室派とは決定的に対立することになることも理解していた。地方派はより過激な貴族が主導権を握り、今までのような対立の中で行われていた共存の取り組みも難しくなるだろう。地方の税収と軍なしには王室はやっていけないが、王室の権力と制度なしには地方もやっていけないのだった。
テレナはこのようなやり取りの意味を理解していた。言葉の強弱、本来であればあまり用いないような言葉の使い方、あるいは社交界で知られる性格との差異。テレナの知る限り、テワドレーム公爵はこのようなあからさまな行動は取らない人物であった。それが追い詰められた上でのあがきにしろ、あるいは派閥を背負っての行動にしろ、個人の本心と集団の意思が異なっているのだろうなということは読み取ることができた。
テレナの半歩前のシェプルスキアも、二人が明確に嘘を吐いていることを理解していた。わざとらしい口調の変化にかかわらず、言葉の調子は冷静だった。もし怒りで動いているのであれば、ここまでにはならない。攻撃性を演じながらそれに飲まれない力は、戦場においても有用な技能だった。
ヨルワ教授は、二人のさらに先を読んでいた。今の状態では、決着をつけるべき点が存在しない。婚約の破棄を既成事実とするにしても、あるいは破棄などなかったことにするとしても問題がある。前者であれば王室派と地方派の関係は崩れ去るし、後者の場合には王室の権威が失われる。ヨルワ教授の今では細くなった王宮との繋がりを通して婚約破棄事件の噂が流れる程度には、社交界で学院で起こったことの話は知られているようだった。
「聖座の、俺の娘への弁解はあるか?」
テワドレーム公爵から視線を向けられ、リュクバーン枢要僧は小さく息を吸った。
「……修女エネトを学院に推薦したのは僕です。もし責任があるとすれば、それは僕と聖座にあるでしょう」
個人の問題ではないし、もしやるのであれば聖座が丸ごと敵に回るぞ、という脅しであった。もちろん、リュクバーン枢要僧にそこまでの力があるわけではない。聖座にリュクバーン枢要僧の支援者は少なくないが、絶対的なものではない。必要であれば、彼らでもリュクバーン枢要僧を切り捨てることも考えるだろう。
「ほう、そこまで言うか。お前のことだ、策謀をあの娘に仕込んだんだろう」
「学院という場において良き学びをするための社交の手ほどきはいたしました。僕が彼女に教えることはできたのは、それと敬虔に生きろ、ということぐらいです」
「ほう、敬虔か」
「ええ、罪を見過ごすなかれ。己の心と主に恥じぬ行動を成せ。地区の僧でも述べるような、簡単なことですよ」
リュクバーン枢要僧の発言はかなり攻撃的だな、と聞いていたテレナは考えていた。テワドレーム公爵の娘が婚約を破棄されたのは罪を犯したからであり、エネトが選ばれたのは敬虔さを発揮したからに過ぎないという主張だ。
「……俺の娘にも、きちんと教えていたつもりだ。己の立場を理解せよ。学院での振る舞いは学生のみに見られているわけではないと思え、と。教育といえば、王室は王子たちにどのような教育をされていたのかな?」
テワドレーム公爵は口調を少し柔らかくして、ルゼイフ侍従長に問いかけた。
「……いやはや、お二人に比べて国王陛下はお忙しい。彼には時間を割くことができなかった」
王室にとって、地方派閥との関係改善はやるべき多くのことの一つに過ぎなかった。王子の一人という対価は決して小さいものではなかったが、それ以上に嫡子である第一王子の教育と彼の治世のための地盤を固めるほうが重要であった。
公爵家にとっての一大事であっても、王室にとっては些事に過ぎなかった。その認識の差異が問題であったのかもしれないと考えても、今となっては遅い。それにもし第三王子の教育に気を配っていたとしたら、他のより大きな問題に対応できなくなっていた可能性もあったのだ。ルゼイフ侍従長は眼の前の問題を解決するしかない、と覚悟をしていた。
「それでも基本的なことぐらいは教えられただろう。約束を違えるべきではない、というような」
「一般論ではありますが、婚約はあくまで婚約。成婚のような祝福される儀式ではありませんよな、リュクバーン枢要僧」
話を振られたリュクバーン枢要僧は、小さく頷いた。テワドレーム公爵としてはそのような聖座の力を否定し、かつ婚約破棄の問題を覆しうる発言にリュクバーン枢要僧が同意したことは意外なものであった。
「聖座の見解であれば、そうなりますな。くわしい神学と法学の論争を述べてもいいのですが、この場ではふさわしくないようだ」
「そうだな、そういうことは学院の講義でやるといい。きっと人気が出る」
学院派のような言い方をするのだなというテワドレーム公爵の皮肉を、リュクバーン枢要僧は笑顔で流していた。それを聞いていたテレナは実際にそういう講義が開かれるのであればぜひ聞いて見たいと思っていたが、それを顔に出すことはなかった。