角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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束縛の中で棋譜は交ざる 3

「お嬢さん、少しいいかな」

 

テレナが女給のように動き回っていた会合をしていた部屋から出て息を吐いていると、恰幅の良い毛皮の外套を着た男性が声をかけてきた。

 

「……ええ」

 

「おお、そういえば名乗っていませんでしたな。総権国の外交官をしております、ガロテーエンと申します。以後お見知りおきを」

 

顔つきと名前は総権国、少なくとも東方のものだったが、その口調は非常に洗練された統合王国語のものだった。

 

「ガロテーエン……卿、とお呼びすればよろしいでしょうか?」

 

「はは、卿と呼ばれるのはこそばゆいものがありますな。書記官であるので、官等表の上では一応貴族とはなるのですがね」

 

「貴国のその制度は聞いた時に羨ましいと思いましたよ、ハッヘンヴルト家も導入すればいいのに」

 

「はは、お嬢さんは故郷にも辛辣と見える」

 

ここまでの会話の時点で、テレナは相手について最小限の情報を持っていた。平民上がりの外交官でありながらここまでの流暢さを持ち、かつ東方の雰囲気を顔つきと外套程度しか持たせないほどに洗練されているとなれば、官等を見て判断するのは危険だろうというところは理解できた。

 

同時に彼が自分のことを知っている、とテレナも理解していた。もちろん口ぶりから同君地域の出身者である可能性は読み取れるだろうが、それを故郷と断言するまでの情報ではなかったはずだ、とテレナは考えていた。

 

「学院で学ぶとどうしても問題が目につくようになるのです。まだ勉学が足りないのでしょうね」

 

「ふむ、もしさらに学べばどうなるというのかね?」

 

「なぜ悪いところがあり、そしてそれがどのように良いところと繋がっているのかを理解できるようになる日が来ると信じております。敵からも学ぶものは多くありますし、相手を知れば敵という見方ではなく取引相手や、最終的には同盟を組むことすら可能となりえますので」

 

「さすが学院の学生だ、この浅学な身よりも良い目を持っていらっしゃる。どうです、総権国のほうの外交官などに興味はありませぬか」

 

「いえいえ、婚約相手もいる身です。しかし東方には一度行ってみたいのですよ、私の同級生の故郷があちらの方なので」

 

「シェプルスキア女領主ですな、総権国でも彼女の名は有名だ」

 

「おや、知っていたのですか」

 

驚いたようにテレナは言ったが、流石にわざとらしすぎたかなと表情をすぐに緩めた。つまりテレナへの接近はおそらくシェプルスキア関連だろう、とテレナは当たりをつけていた。

 

テレナ個人としては、総権国について特に利害関係はない。確かに領地に貿易でもたらされる毛皮は総権国由来のものだろうが、運んでくる商人と総権国の間には多くの仲介人がいる。そして外交官に誘われるというのはあくまで社交辞令だろうが、年齢も性別も問わない人材登用の姿勢をこうにも見せられると確かに多くの人があの地に行くのだろうな、とテレナには理解できた。

 

初代総権者の時代から西側の人物が呼ばれることはあったが、それは比較的実務的な側面に寄っていた。しかしながら、ここ数年は様子が変わっていた。

 

同君地域の中にある名門大学の博物学者が組んだ東方探検隊への大規模な金銭的支援。複数の地域からの対立しているような財政関連の専門家の招聘。あるいは領地内の言語についての包括的な分析を行っている総権国の学術協会の部門。そしてかの女総権者は、それらを理解するほどの明敏な女性だという。

 

もちろんそれは多くの欺瞞を含んでいるのだろう、とテレナは読んでいた。一人の人間ができることは限られている。テレナは自分がかなり賢いことを自覚していたが、それでもなお世界には自分の知らないことが多くあり、そしてそれ以上に人間には明かされていない秘密が満ちていることを知っていた。いくら知識の光が闇を照らそうとも、切り開くことができるのはごく一部だけなのである。

 

「シェプルスキア……かつてイプルカと名乗っていた時代のイヴェリャン団は総権国に雇われていた時期もあったのですよ。外交官としてはその陣営を変える手腕に学ぶべきか、あるいは国への善のために彼女を憎むべきかは難しいところですが」

 

「善、ですか」

 

テレナは少し聞き慣れない単語を聞き返した。古典の授業でやった哲学書を思い出す。この文脈の善というと、国家全体のためになる共通の善のような概念だろうか、と思いつつも詳しい文章の内容までは思い出せずにいた。

 

「ええ。いや、これは本題ではありませんでしたな。改めて、ご紹介をいただいてもよろしいかね?」

 

そういえば名乗っていなかったな、とテレナは気がついた。語り口のせいですっかり忘れさせられていることから、テレナはまた警戒を強めつつ、それゆえに笑顔を作った。

 

「テレナと申します。学院の学生をしておりますので、名前のみの名乗りにて失礼をいたします」

 

「はは、そう言うことができるのも学生の強みだ。私の娘も学院に通わせようと思っているのだが、このように聡明になられすぎては父の威厳が怪しくなるな」

 

「娘を持つとはそういうものらしいですよ、私の父も常日頃娘からの尊敬を得るためにはどうすればいいかと側近に相談しておりました」

 

もちろん、半分はテレナの冗談である。とはいえテレナの父は自分の才覚が娘よりないのではないかと思い、嫁いだ先で何をするのか読めないために少し恐れていたのは事実である。

 

「……もし通うことになれば、世代としてはテレナ嬢が第四学年の頃になるはずだ。その時は、よろしく頼む」

 

「わかりました。しかしそうすると今は生意気な年頃ではないですか?」

 

「妻と娘は総権国のほうにいるのでね、顔を合わせたいのだがいかんせん我らが女総権者は部下をこきつかう」

 

「なんとも酷い人物ですこと。しかしその苛烈さあってこその発展と伺います」

 

「ああ。若い頃と比べれば格段に多くのものが変わったよ。故郷でも飢えは減り、市場にはものが並ぶようになった。もちろん初代の力もあるが、ここ数年ではやはり彼女の貢献が大きいだろう」

 

ここ半世紀で一気に力をつけた総権国を更に発展させる女性の影をちらつかせているのを感じながら、テレナはこのまま雑談を続けるべきか、本題に切り込ませるべきかを考えていた。

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