心臓の音がシェプルスキアの胸から響いていた。心臓が送り出す血が身体を巡っているというのはシェプルスキアからすれば普通の感覚だったが、西方では長らく議論があったらしいと聞いて案外文明というものも恐れるに足らずだな、とテレナの話を聞いて考えたのをシェプルスキアは思い出していた。
緊張と興奮が混ざった中で、シェプルスキアは口角を上げていた。戦場の高揚と同じだ。それに飲まれてはならず、かといって乗らないのも良くない。恐怖と同じように、湧き上がるものを自制することが必要なのだと指揮官として動いてきた中でシェプルスキアはあまり言語化できないまでも理解していた。
「……失礼いたします、ツィノド女領主にして学院の第一学年である、シェプルスキアです」
部屋に入ってから、シェプルスキアは目線をほぼ動かさずに部屋の中の人の顔を見た。誰が誰だかはわからなかったが、微妙な力関係の争いがありながらも全体的に落ち着いた雰囲気が漂っていることがわかった。
「ツィノド女領主殿!お会いできて光栄ですわ」
座ったシェプルスキアの隣の老婦人は、楽しそうにシェプルスキアに声をかけた。
「いえ、シェプルスキアとお呼びください。ここでは学生ですから」
「いいのよそんな事気にしなくて、ヨルワに色々言われたりしてない?気にしなくていいからね?」
シェプルスキアは笑顔を浮かべたまま小さく頷き、テレナの言った人の中から誰だろうなと思考を回していた。
ヨルワ教授の名前を出したから統合王国の方の人だろう、おそらく社交界の人だ、とまではわかったがそれ以上を決めることはできなかった。何人かいる女性の中には確か統合王国の人が二人おり、そのどちらかがわからないこと、そして隣の人が統合王国出身であるとも断定できないために紹介されるまでは学生として振る舞うことにシェプルスキアは決めた。
「さて、シェプルスキア嬢。学院に過ごしてまだ短いと思うが、ここはどうかね?」
そう言って質問者の男性は手元の紙を見た。視線からして事前にまとめてある質問を読み上げるのだろうな、と思いつつ事前にその紙を貰えればテレナに答えを作ってもらえたのに、と考えながらシェプルスキアは口を開いた。
「はい、とてもいいところです」
「なるほど。東方とは作法も異なると思うが、そのあたりについては大丈夫かね?」
「テレナ……指導役の同級生がよくしてくれています。言葉も彼女に学びました」
シェプルスキアの回答に、何人かが小声で会話をしていた。僅かな響きと口の動きからすると、テレナの父の領地について話しているのだろうとシェプルスキアには読み取れた。テレナの知り合いや推薦者かもしれないな、と思いつつシェプルスキアは質問者に意識を戻した。
「うむ。いくつか学院での生活について確認したいことがある。別に罰するつもりも問い詰めるつもりもない、世間話だと思って気軽に答えてくれたまえ」
「わかりました」
シェプルスキアは緊張を抜かずに、しかし素振りが固くはならないようにしながら質問に答えていった。食堂の味。寮の空間。教授陣の教え方。
「馬は定期的に乗っています」
「ほう……連れてきたものかね?」
「はい。世話をしてくださる馬丁の方も良い仕事をしています」
シェプルスキアの知っているやり方とは違ったが、学院で働く人の馬の扱い方は丁寧なものだった。貴族にとっては手間のかかる一財産であったし、馬を持ち込んだ学生に変わって世話をするというのがどれだけ大変かをシェプルスキアは良く理解していた。
一族で馬の世話をやっていた時の経験からすると、慣れない馬を扱うのは容易いことではない。それぞれの気性を見極め、舐められることのないように、そして怯えられることのないように振る舞う学院の馬丁に対して、シェプルスキアは教授陣や料理人に対してと同じような敬意を払っていた。
「……学生たちの間で、諍いなどは起きていないかね?」
質問者は冷静に言ったが、それがむしろわざとらしいとシェプルスキアには感じられた。そして質問の内容を思い返して、初めてそれが本題であることが理解できた。
「噂には聞きます。後輩への態度が……良くない先輩もいます」
うまく濁そうと思って、それができるだけの力がないと悟ったシェプルスキアは正面から言うことにした。もしここで失敗があってもそれはシェプルスキアの責任にはならない、と理解したうえでの行動でもあった。
「でも、それ以上に学院にはいい人がいっぱいいます。それを見つけられる人にとっては、学院はいい場所です」
「そうか。……では、そうでない人にとってはどうだろうか?」
切り替えされたシェプルスキアは、ここからが本番だと覚悟を決めた。
「……辛いかもしれません。慣れない場所で、慣れない言葉で、友もなく過ごす四年間は、大変なものでしょう」
シェプルスキアもそうなった可能性はあった。もし学院がテレナを指導役としてつけてくれなければ、もし誰かに悪口を言われて間違った対応をした時に謝ってくれる人がいなければ、シェプルスキアは学院で過ごすことを辛く思っていただろうし、学ぶ意欲も生まれなかっただろう。
「だから、少なくともあたしは、そういう学生がいないようにしたいです」
「……若いというのはいいことだね、信じる力がある」
「疑うことを疎かにする若者の言葉です、あまり買いかぶらないでください」
テレナらしい言葉遣いを、と少し意識してシェプルスキアは言った。
「そうか。上級生になるほど学院では相違う問題も増えるからな。そういう噂は聞くかね?」
「大変なことがあるとは聞いています。卒業したら立場のある人たちにとって、最後の落ち着いた場所なのかもしれませんし、なんていうか……仕方がないところもあるのかな、と」
シェプルスキアは別に婚約破棄の関係者をかばうつもりも責めるつもりもなかった。親友のテレナが情報を集めるのは手伝うが、自分から積極的に関与して学びを疎かにするつもりもなかった。
ただ、テレナに関わったことでどういうわけかこのような場所に立って質問をされているということは、学院の中にはあるが想定はされていない学びだろうなとシェプルスキアは考えていた。そしてそういう機会は逃さないことが戦いには必要なことなのであった。