冬の社交界は学院にのみあるわけではない。むしろ学院における社交はかなり実務寄りのものであり、主流とは言いがたかった。そして学院の学生の多くは、その主流となる場所で冬を過ごす。
「カロネさん、あちらはどうでしたか?」
テレナは寮の部屋に荷物を置いたカロネに声をかけた。
「……リュクバーン猊下からあなたの名前が出ていたそうね」
「何で?」
カロネから意外なことを言われてテレナは思わず声を出してしまった。
「私だって聞きたいわよ、冬にシェプルスキアの付き添いで残るとは聞いてたけど大丈夫?第一学年が踏み込んでいい範囲にちゃんといる?」
「正直怪しい、ツィノド女領主の付き人でもないと……」
「そちらの方向なのね」
そう言ってカロネは深く息を吐いた。
「というより、カロネさんはなんで私の名前が出たことを知っているの?」
「学院から聖座領への帰りにネヴォエリ王国を通ったのよ。その時にしてくださった祈祷の時に、私の父である副公爵もいたわけ」
「ああ、旅の枢要僧が立ち寄って祈りをしてくれるのはいいわよね……」
テレナは抗議派の家で育ったが、聖座の影響力については理解していた。そして枢要僧という聖座における重要人物がわざわざ領地を訪れ、祈りをしてくれることは少なくとも出席者には感銘を与えるだろうというのは理解できた。
その上、説教をするのはかのリュクバーン枢要僧である。旅の疲れの中で見つかった安らぎの地のような話を人々のもてなしや大きな目的を持った旅路などという形で聖典と絡めつつ説けば、相当な威力があるだろうとテレナは考えた。
「その後に私の父に話しかけて、あなたのことを聞いたらしいの」
「私の?」
「あなたの娘と同い年ではありませんでしたか、みたいな」
「よくまあ調べてあるわね……」
たまたま立ち寄ったところの貴族の娘の年齢と彼女が学院に通っているということを理解した上で動いているのはほぼ間違いないと言ってよかった。
「それで、テレナさんは何をしたのよ」
「何もしてないよ、家名を名乗ってすらいない」
おそらくテレナという名前しか得られなかった少女について調べたか、あるいはその背景を知った上で確認のためにカロネの父に確認を取ったのだろう、とテレナは考えていた。
そしてそれがテレナに伝わるということも、彼の計画のうちに違いない。目的は読めなかったが、そもそも目的がどこまであるのかもわからない以上考えすぎるのも良くないな、とテレナは思考を切り替えた。
「……ところで、リュクバーン猊下が学院にお越しになったのって学院帰り?」
「そうね」
「……婚約破棄?」
「口約束が一旦保留されたらしいという噂を友達から聞いたわ」
「あなたの友達も大変ね、こんな形で使われるなんて」
そう言ってカロネは小さく笑った後に息を吐いた。これはつまりシェプルスキアがそのあたりに一枚噛んでいたことを意味している。少なくとも、カロネはシェプルスキア以外にテレナが冗談めかしてでも友達と言えるような人物があまりいないことを理解していた。
「……少なくとも、夏が終わるまでは大丈夫そう」
「それは何より」
カロネは自分の向いにいる相手が冬の間に遠くに行ってしまったと感じていた。卒業後にカロネは社交界入りを控えていたが、その先に待つ貴族の世界はそこまで輝いて見えなかった。縛られて、退屈で、それでいて辛いものだと考えていた。
眼の前の少女は違った。世間話をするように聖座の重要人物と統合王国の混乱を話し、第一学年という謙遜の上で重要人物の隣に立っている。それが彼女に神が与えたものだ、とカロネは考えようとして、それができない自分の嫉妬に気がついた。
「……ねえ、テレナさん」
話が終わったので荷物を確認しよう、としていたテレナの後ろからカロネは声をかけた。
「どうしたの?」
「テレナさんは、抗議派の家よね」
「うん。とはいえ別に聖典をちゃんと読んでいるわけでもないし、館には普遍派や正統派の人も少ないけどいたよ。私の家庭教師は……あいつ、どっちだ?」
「あいつって」
「それぐらいの色々なことをした仲なのよ、あの人とは。少なくとも聖座からしたら普遍派ではないと言うような信仰の持ち主ね」
「抗議派のほうでもそう言われるような人なのね」
「そういうこと。まあ、私は同意しているわけではないけど」
テレナの家庭教師は神に頼らない良心の存在を信じる人であった。その道徳観は素朴であるがゆえに万人の心の奥底に見いだせるようなものだった。ただ、それはあくまで市民が持つべき魂であった。
テレナは統治者の娘である。そして、統治者の妻となるべく育てられた。師の思惑を超えて、テレナはその価値観を理解した上で、それを否定した。良心と道徳は身につけるべき鎧であるが、それは実利という刃を鈍らせる理由にはならないとテレナは考えていた。この点について、テレナは彼女の家庭教師と決定的とも言える断絶をしていた。
「……そんなテレナさんに、少し宗教的質問をしたいの」
「……どういう?」
「自分の届かないものに、妬みを抱いてしまう人が赦される方法はあると思う?」
「思い通りにならない世を妬むものもいるのよ」
「聖典の言葉はそういう意味ではないと思うけど、まあ確かに神ですらそういう風に言うものね」
カロネはそれが聖典の一節であるとすぐに理解できた。主を信じるものたちは主の花嫁であり、ゆえに背教は姦淫であり、主はそれを妬む、と。
「なら、愛の裏返しなのかもしれないと考えるのはどう?相手を想い、自分を理解し、だからこそ生まれてしまう避けられないものだと」
「己を学べ、という言葉を突き詰めた先にある感情だというの?」
もしそうだとしたら、カロネの持つ気持ちは少し楽になるかもしれない。それがたとえ自らの信仰とは少し異なったところから来たものであるとしても、寛容の精神をもって学ぶことは悪ではないだろう、と自己弁護ができる程度にはカロネは神学的知識を持っていた。
「そう。結果として自分を嫌うことになるかもしれない。友情だと思っていたものがまやかしで、本当は共にいるべきではない人だと明らかになるかもしれない。でも、そうだとしても、私達は笑顔で相手を赦さなければならないの。誰しもが人に向けて姦淫の眼差しを向けるという罪を負っているのだし」
「言葉通りに読むのは、さすがね」
「信ずるは聖典のみ、だから」
少し危ない冗談を言いつつ、テレナは会話の楽しさに口角を上げた。