角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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日常の学びは不穏を隠す
日常の学びは不穏を隠す 1


「……難しいわね」

 

今日は座学だった午後の授業が終わり、テレナは眼の前の紙に印刷された表を見て言った。大内海にある諸国家の一つ、とある貿易都市群の財政収支書の概略である。

 

「教授も明日説明するからわからなくていいって言ってたでしょ」

 

シェプルスキアは無駄に頭を悩ませる友人に少し呆れて言った。

 

「それでは遅いのよ。学びを最も有効活用するためには、教えられる問題に対して自分で答えを持っておかないと」

 

「それができる人には教師なんていらないんじゃない?」

 

「既にその問題に挑んだことがある人からの言葉っていうのは重要よ、たとえその問題が私が将来立ち向かうものと外れていたとしても、あるいは挑んで勝利を得ることがなかったとしても」

 

「……勝ち戦でなくとも学べるものがある、みたいな?」

 

「そういうこと。イヴェリャン団とて常勝無敗とは行かなかったわけでしょう?」

 

「できるだけ頑張っていたけどね。それに、勝ったところで死人はできる。そういう人達の妻や子供からすれば、その戦いは敗北だよ」

 

シェプルスキアは西側の制度化されつつある軍とはまた別の形で強力な傭兵団を率いていた。それを支えていたのは信頼であり、かつては彼女の父アズドの武勇、今ではシェプルスキアという伝説のような、物語であった。

 

もちろん、物語は多くの人をまとめ上げる。しかし、それ以上に強い個人的な物語が時折存在するのだ。勝利の暁にはたとえ死せども称えられると口で言っていても、馬の前で槍を構え続けられる人はいない。

 

「……指揮官というのは、大変ね」

 

「顔を覚えているから。頼りにしていた人が死ぬのは、辛いよ」

 

シェプルスキアは、そう言いながらも表情を変えなかった。彼女にとって人の死ぬ辛さは、テレナにとっての朝起きる辛さのようなものだった。耐えられないわけではない。翌日になればそれは過去となる。ただ、その時を超える必要があるもの。

 

「それで、どうするのさ。テレナがわからないなら第一学年でわかる人いないんじゃない?」

 

「たまたま私には知り合いがいてね、この手の数字を読むのが得意な先輩が」

 

「……ネア先輩?」

 

シェプルスキアの言った古典好きの商家の娘の名前に、テレナは頷いた。

 

「今の時間なら捕まえられると思うから、少し探すか」

 

そう言って立ち上がったテレナとシェプルスキアであったが、あちこちをうろついても、一つ上の先輩たちに居場所を聞いても、ネアを見つけることはできなかった。

 

「おかしいわね」

 

「もう寮に戻ったとか?」

 

悩むテレナに、シェプルスキアは言った。時間を無駄にした形であるが、久しぶりにゆったりとテレナと学院を回る時間は嫌なものではなかった。最近は婚約破棄事件の処理のためにテレナが動き回って体力がなかったせいで、このような時間がなかったのである。

 

「夕食とかもあるでしょうし、そこで見つけるのがいいかしら」

 

「それもそうね」

 

食堂のための予鈴が鳴ったのを聞いて、二人は歩く向きを変えた。

 

「ええと、ネア先輩は……」

 

シェプルスキアがその少し高い上背で他人を探していると、席を挟んで会話をする男女を見つけた。少し遅れて、背を向けている女性側の肩の形がネアのものだと気がついた。ただ、向かいの人物は制服を着ていなかった。

 

「いたよ、誰かと何か話しているけど」

 

「どこ?」

 

そう聞くテレナの隣にシェプルスキアは半歩寄って、照準を合わせるように腕を伸ばした。

 

「よくわかるわね。ところで誰?」

 

「聞いてみたら?周りの席は空いているし」

 

「そうね」

 

慣習的にどの学年がどこに座るかは決まっていたが、それは抜けた学年のために空いた席に新入生が座るために場所が決まっている、というもの以上ではなかった。少なくとも、先輩や後輩に混じって食事をすることは珍しいものではなかったし、教授の中にはそのような交流を推奨するものもいた。

 

「ですからねネア嬢、あなたの力を借りたいんですよ」

 

二人が近づいた時に騒いでいたのは、二人より年下だろう少年というべき年齢の人物だった。その向かいにいたネアは、あからさまに不機嫌な表情を浮かべている。

 

「お隣、よろしいですか?」

 

テレナは少年の隣の椅子を引き、答えが出る前に座った。一拍遅れて少年は口を閉じ、頷いた。

 

「ええと……こんばんは?」

 

テレナはその訛りが統合王国北西部のものだな、となんとなくではあるが察しを付けた。それを学んだにしては流暢であるし、そもそも風貌からして彼は学生ではない。

 

学院においてそのような少年あるいは少女がいることはないわけではなかった。例えば教授の子女がそのぐらいの齢であれば食堂で食べることもあるし、旅の外交団についていった若い人物がいることもあった。

 

「お話を邪魔してしまい、すみません」

 

「いいわよ、私もこいつの会話に辟易していたもの」

 

ネアはいつもの商家の娘としての落ち着きと冷静さを捨てていた。そのような正当な貴族に属さない人物は、戦略としてあえて貴族以上に貴族らしく振る舞うことがある。それは暗に既存の階級に対しての皮肉でもあった。もちろん、そうでない場合も少なくない。粗野な金貸しのような傲慢さこそが身を助けることもあるのだった。

 

「……ご紹介いただいても?」

 

「メルジュです!よろしくお願いします、学生の皆様」

 

言葉は丁寧といえば丁寧だったが、明らかに少年は貴族としての教育を受けていなかった。面倒な人物が現れたな、とテレナは息を吐いた。

 

「ティツン商会が見つけ出した天才よ、今は学院のガルドー教授の下で学んでいる」

 

ネアの言った聞き慣れない名前に、シェプルスキアは首を傾けた。学院にいる教授の全員の顔と名前を覚えている学生は案外少ない。例えば軍事学の教授であるヴィンサート教授は、令嬢としての教育を受ける場合には顔を合わせないこともある。学院は実務的な教育を提供できるが、そうではないものを求める人もいるのだ。もちろん、それはそれで難しい道であるのだが。

 

「有名な数学者よ、まともに授業をしないことで有名だけど」

 

「そうなの?」

 

テレナの説明に、シェプルスキアは訝しげに言った。学院の教授たちの授業は丁寧であり、様々な学びを得ることができると満足しているからこそであった。

 

「問題を出してそれが解けたら合格、みたいなね。学院が彼を教授としているのは教えるためと言うよりも彼を教授として擁しているという価値のためよ」

 

「師匠のことを悪く言うのはやめてください!あれでも頑張って週に一度は講義をしているんですよ」

 

メルジュの反論を聞いて、シェプルスキアは師匠と弟子は同じような方向性なのではないかと嫌な予感を抱いていた。

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