角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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日常の学びは不穏を隠す 4

「ふうむ」

 

テレナが持っていた紙を、ガルドーはざっと見た。

 

「なるほど、なるほど。これだけで言えることは少ないな」

 

「……何を読んだのですか?」

 

テレナは言った。時間を考えれば、数字に目を通す程度の時間しか経っていない。その上で関係性を読み取り、その背後にある事件や流れを読み取ることは少なくともテレナにはできなかった。

 

「増加と減少、全体に対しての割合、そして個別の項目を見る。夏に大きな投資が造船分野にされているだろう。ネア嬢、何があったか知っているか?」

 

「海戦だと思いますよ、三年前といえばこの表のもとになった貿易都市群が大君侯国と争っていたあたりですし」

 

「なるほど、増強か、あるいは復興か?」

 

「あいにく結果は覚えていませんね。冷海同盟と違ってあのあたりの情報は流れてきにくい」

 

貿易都市群の影響範囲は、大君侯国の事実上の支配下にある諸島と重なっていた。そして地元の海賊がその重なった地域で跋扈していたのもあって、情勢は複雑になっていた。

 

そしてその地域の情報が、西側に伝わってくるまでには時間がかかる。公式に公開されていないものをまとめたり、あるいは学院と繋がりのある関係者が秘密裏に伝えることで授業で使う資料となるのだ。学院の情報収集能力は特定分野については北側世界で追随を許すものがなかったと言える。

 

「他のものにも変動はあるが、明確に読めるのはこのぐらいだな。十年分の表でもあれば話は違うのだろうが」

 

「……後で図書室で海戦のあたりを調べておきます。ありがとうございます」

 

テレナはそう言ってガルドーに頭を下げた。

 

「ところで、これは何だ?」

 

「今週の午後の集中講義です」

 

「ああ、なるほど。春期はそれのせいで予定が狂うから好かん」

 

不機嫌そうにガルドーは鼻を鳴らした。

 

「でも学生としては助かりますよ、そういうことを学びたくなった時にきっかけがあるのはよいものです」

 

ネアはそう言って返す。

 

「まあ、貴族たちはそういうものが必要だろうがな。数学者は一つの問題を解いていればいい」

 

「ガルドー教授が言うと本気でそう聞こえるのが困るわね……」

 

「どういうこと?」

 

テレナにシェプルスキアが聞いた。

 

「整数学と解析学の統合とか、幾何原理学みたいな分野とか、そういうものでガルドー教授はいろいろな分野の数学をつなげているのよ」

 

「数学って一つじゃないの?」

 

「数を扱わない数学だってあるでしょう。図面を引く時に直角を作るのって数を使う?」

 

「角度の数字があるけど……それがなくてもいい、ってこと?」

 

「その通り」

 

テレナの説明に、ガルドーは悪くないという表情を浮かべた。

 

「数学の良いところはな、嬢ちゃんたち。正解への道が一つではないところだ。統治に必要なものを知るときには、多くの場合手法が限られている。信頼できる人物に聞く、あるいは確実な本を読む、はたまた自分の経験を信じる。そしてそのいずれが正解かを知ることはできない」

 

「結構ありますね」

 

弟子のメルジュの言葉を、ガルドーは無視した。

 

「しかし、数学にはかなり正解と呼ぶべきものがある。ある問いが正しいか間違っているかは、かなり明確に言える。そしてその正解に至るために、特定の道は必要ない」

 

「級数の問題を幾何学で解いてもいいし、幾何学の問題を単純な足し算で解いてもいい」

 

「そうだ、テレナ嬢。色々と読んでいるようだな」

 

「……基本的なところだけですよ、実際の計算の知識と経験ではネア先輩にはかないません」

 

テレナはそれらの知識を教養として触っただけに過ぎなかった。ネアはある種の家業への知識としてこれらの分野を専門の家庭教師をつけて学んでいたが、テレナは本で読んだに過ぎない。

 

そして、それらはあくまで表面的なものだった。ある定理が存在することは知っているが、導出の過程は理解していない。

 

「まあ、それでいい。二人は貴族だ。貴族が数学を理解しているということは、ありがたいからな」

 

「私達がそれをやっているのは、ほとんどが実利のためですよ」

 

「絵画は栄光を残し、音楽は武勇を称え、彫刻は美を刻む。そのように残るには、数学は弱い。だから無為な数学をできる余地を残すためには、有用な数学が存在しなければならないし、そのために数学を知るものが必要なのだよ。だから学院に来た」

 

「……ガルドー教授、質問があります」

 

シェプルスキアが言った。

 

「何だね、シェプルスキア嬢」

 

「あたしは計算が下手です。正直なとこ、ネア先輩やテレナには追いつけません。それでもやったほうがいいですか?」

 

「計算が下手、か。それを言うなら、私は戦が下手だ。この肉体ではまともに戦場を走れない。それに、私は他人より計算が上手いが、数学をやるために十分な計算の力を持っているとは言えないぞ」

 

「……それだけ、数学が難しいってことですか?」

 

「そうだ。あと千年ほどは生きて解き続けたいぐらいだ。叶わないがな」

 

そう言って、ガルドーは笑った。

 

「人類の数学の先端に追いつきたいのであれば、才覚と鍛錬が必要だ。しかし、数学の恩恵を受けるためにそこまでの能力は必要ない。だからこそ先頭を征くものは書き残す必要があるし、恩恵を受けたのであれば感謝をしてほしいものだな」

 

「毎週のように論文を出しているガルドー教授がそういう事を言うと、世の大抵の数学者が怠け者になってしまいますよ」

 

ネアは少し呆れたように言った。事実、ガルドーの論文は掲載までに確認と評価を行う時間がかかるために複数の地域の学術協会に分散して送られていた。ある程度分野は揃えられていたし、依頼があれば学術協会は論文の配送をしたが、それでも求める論文をまとめて読むために異国に旅をする学者も珍しくなかったのである。

 

「実際、そうだろう。それだけの力があるのに貢献をなさないのは怠け者だ。別に死ぬべきであるとは言わないが、相応の扱いをされることを感受すべきだろう?」

 

そう言うガルドーを見て、シェプルスキアは貴族らしさを感じていた。彼の才能は運命に寄って与えられたもので、彼に何かをする義務があるわけでもない。ただ、それでも彼は数学をやっている。

 

それに対しては敬意を払うべきだろうし、未知に挑むある種の戦士として学ぶべき点もあるのだろうが、それはそれとして嫌な性格をしているな、というのがシェプルスキアの印象だった。

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