「……テレナ嬢。あとで簡便でいいので文書としてまとめておいてもらえるかね?模範となる解答となることを期待するものである」
「はぁい」
テレナは教室の前方にいる講師へ気の抜けた声で言って着席した。つまりは授業の水準が上がってしまったのである。
シェプルスキアはその様子を隣から見ていた。テレナの手元にある資料は昨晩の間にまとめられたものである。もはやテレナは夜の図書室の常連となっていたし、司書も鍵を預けるまでになっていた。そこまで信頼された、あるいは面倒だと思われた学生は学院でもそう多くはない。
「……よかったね、テレナ」
「よくないわよ」
そう言って、テレナは息を吐いた。これは第一学年と第二学年を対象とした合同授業である。ネアの方を見ると、小さく微笑んでいた。
そのような中で、テレナは授業の続きを聞く。帳面の数字からどこまで読み取れるか、というのは領地経営においても重要な問題だ。もちろん、各地で帳面を作れるだけの人材を必要とするという前提があるのだが。
「では、テレナ嬢の説明を噛み砕いていこう。彼女の説明にはいくつかわかりにくい単語があったからな」
シェプルスキアは講師に頷いた。教壇に立っている男性は学院の教授ではなく、外部から招かれた講師である。このあたりの定義はかつて学院が大学のような教育機関と並ぶために役職の名称を設定した時の名残であった。事実、一般的な大学であれば教授に求める学術的貢献について、学院は要求していなかった。
説明していく講師の話を聞きながら、テレナは彼の弁舌を見事なものだと評価していた。本来であれば、彼女は講師の用意していた授業の題材をかなり破壊した人物である。しかし、講師は冒頭の質問を解説することを授業の形にまとめ直していた。ただ、その優秀さはあくまで彼の出身である統合王国の執務室であれば、という条件がつくだろうなというのがテレナの感想だった。
それはそうと、授業で変なことをした報いは取らねばならない。テレナはペンを取り、紙に急いで書き始めた。授業を半分聞き飛ばしながらでも、テレナであれば十分要約を作ることができる。
一方のシェプルスキアはかなり集中しなければ講義についていけなかった。事前にテレナから解説のあらましを聞いていなければわからない程度には滑らかな統合王国語だったためである。
そのような学生は少なくなかったらしく、シェプルスキアが見渡せば三人に一人程度が既に授業への興味を失っていた。せっかく有用な授業なのに、とシェプルスキアは息を吐いた。ただ、その途端に切れた集中のせいですぐに講師の言葉はわからない音の連なりへと変化してしまった。
もちろん、この授業が直接シェプルスキアの領地に活かせるわけではない。ただ、何ができるかを知っておけば、導入に必要な問題を割り出すことができる。そうでなくとも官僚となる学生にとって、手元にある数字だけで大まかにでも状況を掴む力は不可欠なはずなのだ。
「ねえ、テレナ」
授業が休憩に入ったときに、シェプルスキアはテレナに声をかけた。
「もう少し待って」
テレナはそう言ってから一文を書き切り、シェプルスキアの方を見て静かに頷いた。
「これって、もっと多くの数字を集めたらもっと色々なことが言えるのかな」
「まずは全ての地域にまともな報告を公開するように言う必要があるわね。統合王国は財政の問題で、冷海同盟の商業都市は収支報告の側面からこういった数字を出しているけど、同君地域だとこんなものがある方が少ないはずよ」
「テレナのところは?」
「私の家庭教師が苦労してなんとか一部に導入させた。あとは数年かけて浸透させる」
「……どうやってやったの?」
シェプルスキアは、何も無いところに新しい習慣を生み出すのは容易ではないことを知っていた。彼女の率いていた傭兵団が定着を選ぶにあたっても、多くの揉め事があったのだ。結果として異なる道を進むことになった人々もいる。彼らは傭兵として生き続けることを決めたのだ。
「色々よ。それができると利益になると示したこともあった。文字と計算ができる若者を取り立てて、学ぶことの重要性を示したこともあった。きちんとした税収報告をした領地に対して、不適切な税の取り立てがあったと認めて数年間の免税をしたこともあった」
「……あからさまだね」
「それを読める人は少ないのよ。わかりやすいぐらいでないと。届けたい人にとって理解できる程度でなければ意味がない。……実際にいろいろな人達を見て、私は少しは学んだつもりだけど、未だあの人のように上手くできる気がしない」
テレナは息を吐いた。シェプルスキアでさえ読めるのにと言おうとして、それは文化を超えた理解力がシェプルスキアにあるだけだったな、とまた息を吐いた。理解できないことは罪でも悪でもない。ただ、面倒なことが増えるだけだ。そしてテレナはその面倒なことをしなければならない側だった。
「疲れてるの?」
「そうかもね。さて、そろそろ授業の続きが始まるわよ」
「そうだね」
姿勢を正したシェプルスキアから視線を外し、テレナは紙に書かれた自分の癖のある文字を上から読み直し始めた。今の時点で、それなりの考察が書けている。授業終わりまでに講師に渡すとなればちゃんと出典と照らし合わせる時間はないが、これを読んで理解できるような人物ならそれを自分で探せるだろう。
そして、講師の目的もテレナはあらかた察していた。学院というのは学生に教わる場でもあるし、同時に学生から学ぶことのできる場でもある。テレナは自分が珍しい側であることを理解していたが、全ての分野で優秀であるとは思っていなかった。
特定分野に絞れば、テレナが勝てない相手はいくらでもいる。複雑な勢力関係の中で自らの立場を手に入れる術という点においては、テアリアはテレナよりかなり上を行く。それはある意味では彼女の知識の無さが生む蛮勇のせいであったが、自分の信じるものを突き通せる勇気でもあった。
そのあたりを考えつつ、それでもこの講師が求めたのは自分の解答なのだとテレナは思考を切り替える。具体例をそろそろ書き入れたほうがいいだろうな、と軽く今まで書いた分を読みながらテレナはペンを走らせた。