角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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「リュクバーンと言います。短い間になるけれども、よろしく頼むよ」

 

優しそうな目。よく通る声。服は僧衣ではなく、簡素なもの。聖座の誇る博物学者が教室の前に立っていた。

 

基本的に第四学年あるいは第三学年向けの授業であるが、志望した上で講師が許可をすれば履修が可能となる。その場合の自分の学年に相当する授業の補完については自力となるため結局は忙しくなるのだが、彼の授業を聞いてみたいと思う下級生はいないわけではなかった。

 

「君たちは、きっと基本的なことはしっかりと学んでいるだろうね。生物と鉱物の分類、それらから人間がいかに様々なものを生み出せるか。ここにあるもの全ては、かつて自然にあったものだ」

 

気取らない話し方は、彼の枢要僧という立場を感じさせないものだった。学者らしい神経質さや集中力を思わせず、老人のような柔らかさすら持っている。

 

品定めをされているな、とリュクバーンは考えながらさらに目を細めた。事前に渡されていた履修者の名簿には、狙っていた人物名がいくつかあった。彼から見える範囲では彼らの家名や一族の爵位を示すものが完全に読み取れたわけではなかったが、特に今回の婚約破棄にかかわることになる学生については冬の時に確認していた。

 

冬の学院に残るということは、学院からそれだけ期待されているということでもある。わずか一年か二年、社交界を先取りするだけだと考えられることもあるが、そうではないことをリュクバーンは知っていた。

 

冬の学院の会合に参加者として出るためには、多くの条件が必要となる。それを社交界に入りたての人物に求めるのは酷だ。そして失敗をしでかせば、数年間は呼ばれることがなくなる。

 

だからこそ、学院にいた生徒の顔と名前だけは集中して覚えた。そして特に注目すべき二人は、きちんと座っていた。しかし、後ろの方に。

 

「さて、では博物学は無用な学問なのか、という話に移ろう。例えば農村の薬師をやっている人たちは、僕たちが覚えている以上の植物を知っている。どの草が毒で、どの花を煎じると痛みに効くか。それは本に載ってないことも珍しくない」

 

その話を後ろで聞いていたテレナは、小さく笑っていた。そのような薬師を潰してきたのが聖座ではないか。教室にざわめきが起こらなかったところを見ると、テレナのような皮肉屋は少なかったようだ。

 

ただ、リュクバーンの方からは何人かが表情を歪めているのがわかった。不信心者め、とリュクバーンも小さく笑う。確かに聖座はそのような薬師たちを古き神々に仕え、怪しい術を用いたとして告発し、しばしば処刑した。しかし、リュクバーンの知る限りでは抗議派のほうが熱心にそのような人物を迫害していた。

 

そしてこのような迫害の話を枢要僧である自分がしていること、さらに彼らを正当となりつつある学問分野の先駆者、あるいは上を行くものと語ることの意味を理解できるとなれば、聖典を読み込んだ上で軽蔑しているような層だろうな、とリュクバーンは考えていた。

 

リュクバーンとて、全能の主を心から信じていると言えば怪しい。彼は多くの惨劇を見てきた。若い頃には神のために身を捧げることを至上と思い、小さな己であっても全てを尽くして召命に応じることを考えていた。

 

今の立場になれば、それが甘い考えだったとよくわかる。聖座は混沌とした政治組織であり、多くの献身に支えられているが、それがきちんと反映されているとは言えない。彼らが報われたと考えるだけの行いを果たすようにせねばならない。そのためには、彼らが接する一番身近な人々に接することが必要だというのがリュクバーンの結論だった。

 

もちろん、もっと率直な実務者としての意見もある。複雑になり、先の読めない政治情勢などからはできるだけ早く手を引き、今の統合王国の問題から距離を取るべきだ、というのが彼の立場であった。

 

そのためのエネトの派遣であった。彼女は実に優秀だった。そして、その優秀さを丁寧に隠すことを知っていた。驕ることによって生まれる隙を知っていた。ただ、まだ彼女は若かった。

 

だから、加減を誤った。先輩である標的に接近し、後輩として振る舞いながら、同級生からの攻撃を意に介さぬ強さを見せてしまった。それは第三王子にとって眩しく映りすぎた。

 

教室の中の学生を見渡すようにして、視点を特定の学生に向けていく。隅の方に、離れるように今回の事件の中核の三人がいる。エネトはじっとこちらを見ていたが、表情一つ変えることはなかった。

 

「麦一つ取ってみても、多くのことがわかる。小麦、大麦、黒麦については君たちも知っているね?」

 

学生たちは頷いていった。

 

「いずれもよく似ている。多くの穀物が持つ節のある中空の幹、細長くて並行する脈、そして小さな花だ。君たちは麦の花をきちんと見たことはあるかい?」

 

緑の穂に小さな花ができることは知っている学生がほとんどだったが、きちんと見たことがあるかと言われると誰も手を挙げることはなかった。

 

「詳しく見るためには顕微鏡が必要になる。細い針で解体するようにしてじっくりと観察すると、大麦だけは三個一組に並ぶんだ。普通に考えたら小麦と大麦のほうが似ているように思うかもしれないけれども、花を見るとそうではないことがわかる。こういうことは、今までの授業ではやったかな?」

 

学生たちは顔を見合わせ、小さく首を振った。それを見たリュクバーンは、優しい笑みの表情を浮かべた。実践的な知識と結びつけることができれば、こういった学問の価値が深まっていく。それは同時に、収量増加のためには地域への教育が必要となることにほかならない。そしてそのような教育は、特に普遍派の地域であれば聖座が担うことになる。

 

「あるいは、どのようにして麦が育つかでもいい。植物はほとんどを水によって成長するが、土の重要性も無視できない。適切な肥料は、収穫量を大きく変える。それと、最近は空気にも影響を与えている可能性がある。まだまだ僕でも知らないことばかりだ」

 

「へぇ」

 

テレナの隣でシェプルスキアは驚いたように小さく呟いた。

 

「テレナ、知ってた?」

 

「空気の話は初耳。どこで話されていたのか後で聞こう」

 

「テレナが知らないことがある授業なんて、楽しみだね」

 

「ええ」

 

そう答えたテレナは指を曲げ伸ばしして、記録のためにペンを構えた。

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