角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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来客を伴って脚本は進む 9

「……これは?」

 

アニドは秘密の会合に何度か使われた図書室で、テレナから紙束を受け取った。

 

「亡命の具体的手順と失敗例。参考になればと思って」

 

テレナはあくまで知的興味の範疇で政治的理由による統合王国からの脱出についてまとめていた。それはアニドへの対価という側面もあったし、もし何かあった時のための下調べでもあった。

 

「……俺が逃げなくちゃならないような案件があるってことか?」

 

「全くわからないから、前に言っていた話をやるなら参考になればと」

 

手渡された紙をめくり、あらましを頭に入れたアニドはすぐにテレナに戻した。さすがにこれを持っているのを見られた場合、言い逃れができない代物だったからだ。

 

「まあ、具体的な話を知れたのはよかったな」

 

「それはなにより」

 

庶子とはいえ王家にいるアニドにとって、逃げるという選択肢は常に存在した。しかしながら、それを取らねければならなくなった時点で彼はある意味詰んでいる状態になることも理解していた。

 

「……で、リュクバーンか」

 

アニドが言うと、テレナは頷いた。

 

「エネトが裏にいた……けど、事態を決定的に拡大させたのは第三王子だとリュクバーンは言っている」

 

「そりゃそう言うしかないだろう、聖座の外交官としては。むしろエネト経由で動いていたことを認めるのは、一歩下がる譲歩のように見せかけて特に責任も取らなくていいちょっかいの話をしているだけだ」

 

「とはいえ、最初から婚約破棄に至るようなことを計画していたのなら聖座はもっと準備しているはずよ、影響が大きすぎる」

 

「とすると、やっぱり聖座の過ちか?」

 

「私はそう見ている。不確定要素に第三王子がいるけど」

 

「デリロスの兄貴は……なんていうか、わからん」

 

「そういうもの?」

 

「別にそんな会ったことあるわけじゃないんだよ、そりゃ子供の頃は遊び相手になったがそれでも弟分みたいな役割だ。虐められたりとかひどい目に遭ったりとかはないし、真っ当なやつだと思うがどうにも素直で……馬鹿なんだよな」

 

「馬鹿、ね」

 

アニドの口にするその響きには、侮蔑よりも呆れや同情が混じっていた。

 

「まあ、俺みたいに割り切らなくちゃいけない立場に比べれば自由があるんだろうがな」

 

「その自由で北側世界を混乱に巻き込まれたらたまったものじゃないのよ……」

 

ため息を吐くテレナを見たアニドは、少し違和感を持った。

 

「そういえばテレナ嬢はなんで統合王国の問題に積極的に絡んでいるんだ?」

 

「今ここで抜けたら大変なことになる、というのとは別の理由としてはそうね……、ハッヘンヴルト家が暴れたりしかねないから、と言えばいいかしら」

 

統合王国とハッヘンヴルト家が事実上支配する同君地域の対立は昔から続いていた。微妙な領地を巡って争い、どちらが普遍派の守護者にふさわしいかで揉め、その隙に冷海同盟が勢力を伸ばしたなどと冗談交じりに語られるほどである。

 

ハッヘンヴルト家が統合王国の混乱を見て攻撃を選んだ場合、テレナの生まれたエルンツィンガー伯爵家も間違いなく巻き込まれる。そして得られるものは些細な名誉以外にはないだろう。

 

「正直あの一族もよくわかっていないんだよな、俺の親戚筋にもいるにはいるんだが」

 

「どこにでもいるからね、歴史的に見ればなんでまともな軍事力も政争に耐えるだけの背景もない家があれだけ拡大できたのかは不思議としか思えないけど」

 

「もし婚約破棄して繋がった相手がハッヘンヴルト家だったらよくまあやるなと思ったんだがな、聖座なのが意外だったよ」

 

「とはいえ第三王子と釣り合うような格となるとハッヘンヴルトの本家でしょう?いたっけ?」

 

「いないはずだな、一応分家であれば二人ぐらいいるし、運が良ければ俺に充てがわれるはずだ」

 

アニドは社交界で会った年下の少女たちを思い出していた。拙い統合王国語で懸命に話す彼女たちは健気で可愛らしいものであったが、それすら戦略ではないかと思わせるほどハッヘンヴルト家の悪名は北側世界に轟いていた。

 

「難しいわね、領地の民だと普通に同じ村だったり、あるいは近隣の地域だったりで恋に落ちて普通に結婚して、なんて比較的気楽な話も多いけど」

 

「おいおい、恋が気楽だって?」

 

アニドは小さく笑った。アニドの母は王弟の情婦であったが、しかし正妻よりも愛されていた。執着と言ってもいい。そのような感情を自分が他の人に向けることを今のアニドは考えられなかったが、しかし受け継いだ血を考えればそうなることもあるのかもしれないとは考えていた。

 

「せめて愛するに足るだけの相手だといいのだけれども」

 

「そういえば、テレナ嬢の婚約者はどういうやつなんだ?」

 

「私の三つ上で、尊敬される領主よ。結構悪どいことを普通にするけど、同時に見栄えというものも知っている」

 

テレナの小さな自慢の一つは、自身の婚約者の強さであった。それはテレナには持ち得ないものをいくつか持っていたし、その上でテレナの強みを受け入れるだけの謙虚さもあった。そしてそれ以上にテレナが気に入っていたのは、妻の功績を自分のものだと言い張る程度の欺瞞をしっかりとできるところだった。

 

「普通の領主だな」

 

「その普通をやるのがどれだけ辛いか」

 

伝統的に貴族というものは、その席に座るための第一の条件としてまず血を求められる。逆に言えば、いかに素晴らしい人材がいようとも直接領主にすることは難しいのだ。もしそのようなことをすれば、俺もそこにいていいはずだと勘違いした輩がのさばることになる。

 

しかしそれは、血の中からしかその席に座るものを選べないということでもあった。そして長子の権利を奪うためには、相応の準備が必要になる。聖典にあるように簡単な騙しで得られるものではないのだ。

 

「まあ、先王のやらかしの後で普通の領主を探すのが大変だったなんて話は色々と聞いたがな」

 

「相当消されたらしいからね」

 

「俺も詳しいわけじゃないが、血さえ繋がっていれば無理にでも領主に仕立てたなんて話は聞く。お陰で軍が酷いことになったともな」

 

「次男や三男の居場所だものね、それでも今の軍をしっかりと維持しているのは恐ろしいわ」

 

統合王国の軍は、規模の点では北側世界でも有数であった。質の面では騎士団領に劣るというのが一般的な理解であったが、とはいえ統合王国と騎士団領が直接ぶつかり合う機会はしばらく来そうになかった。来なくていい、と思いながら、テレナはあとアニドに共有しておくべきものはあっただろうかと考えていた。

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