焼き菓子は減り、追加の茶がヨルワ教授によって淹れられ、窓からは夕日が差し込んでいた。
「つまり、水力紡績機でしか生産できない強い撚り糸が強みになって……」
「ネアさん、少し待ちなさい」
布について話していたネアの会話を遮って、ヨルワ教授は言った。
「っ……何か、ありましたか?」
「ほら、シェプルスキアさんがわかってなさそうでしょう?」
「……すみません」
そうネアに言われたシェプルスキアは、少し驚いたように首を振った。
「でも、悪いのは勉強してないあたしじゃない?」
「この会話自体も勉強になるのです。そして、不相応な学びは学生にとって害にすらなります」
ヨルワ教授は微笑んで言って、茶を陶器のカップから一口味わった。
「……シェプルスキアさんは、糸の作り方を知っていますか?」
ネアは前提を整理するために、シェプルスキアの方を見て言った。
「うん、羊とかの毛から作る方法だよね。大きなはずみ車を回して、それと繋がった糸巻きにねじりを加えて巻いていく……でいいのかな」
シェプルスキアは羊毛の塊から糸のもとになる繊維を引き出すような仕草をして言った。
「その通り!でも、どうしても時間がかかるし、手と足の両方を動かさないといけない。でも、水車や風車を使って粉挽きをするように、糸紡ぎが今はできるの」
シェプルスキアは傭兵団時代の旅の中で、多くのそういった装置を見てきた。中身を覗いたことは少なかったが、確かにその力があればがっちりと糸を締め上げ、強力な繊維を作ることができることは良くわかった。
「そうした糸って、やっぱり他の糸と違うの?」
「そう。丈夫になるし、見た目も滑らかになる。だから今度の、統合王国の名誉ある連隊の二つの軍服にも採用されたの」
シェプルスキアは、その軍服という言葉に目を光らせた。それは彼女自身の軍事的興味というのもあったが、この教授室での話の前にテレナが言っていたネアの興味についての話を思い出したからでもあった。
「しかしながらネア先輩。軍服となると、相当な量の注文が入るのではないでしょうか?それも同じような質の布でなければ、制服の意味がないでしょうし」
そう訪ねたテレナに、シェプルスキアは大きく頷いた。
「そう。だから……もし統合王国で問題が起きたら、注文がなくなって、この軍服のために作った工場の投資が回収できなくなって、父の商会は危なくなるわ」
さらりとネアは言って、ヨルワ教授のほうを見た。
「……統合王国の軍の話、聞きたい?」
笑みを浮かべながら、しかしどこか挑戦的な口ぶりで、ヨルワ教授は言った。
「ぜひ」
本題だ、とばかりにネアも笑みを浮かべた。テレナは姿勢を整え、シェプルスキアは唾を飲み込んだ。
「今の国王陛下、つまりルメン八世の軍は二百近い連隊を含んでいるの。そのうち、名誉ある連隊と呼ばれるものは七つ。それ以外は傭兵連隊を除いては基本的には小さなものね。小さいと千人行かないこともあるわ」
シェプルスキアはそれを聞いて小さく頷いた。彼女の知っている戦争の手法は統合王国では古いものとなっており、貴族の兵と傭兵ではなく、国王のもとの統一された軍隊が試行錯誤と失敗と不和の中で生まれていた。
特に名誉ある連隊とされる部隊はその連隊旗の色によって呼ばれていた。これは他の連隊が連隊長である大佐の名前で呼ばれていたのとは異なり、永続的な常備軍として整備されていたことを意味する。
「ネアさんのお父上の商会、ティツン商会が制服を受注したのは黒旗連隊と紫旗連隊。特に紫旗連隊は、もともとテワドレーム連隊と呼ばれていたわね」
テワドレーム、という響きにシェプルスキアは覚えがあった。婚約を破棄された令嬢の父親が治める、統合王国南東部にある公爵領の名である。
「今でも公爵家との繋がりは深いものでしたよね、確か連隊長は今のテワドレーム公爵の叔父であると」
ネアが言うと、ヨルワ教授は頷いた。
「そうね。私も何度か会ったことがあるけど、なかなかかっこいい男だったわ」
「じゃあもし、公爵家に何かあれば大変なことになりますね」
「そうだけど、だからといって何かができるとは私には思えないわ」
ネアを諭すように、ヨルワ教授は言った。
「……どういうことでしょうか。私は未だ学生の身でありまして、このような話には疎くて」
そう言ったネアに、聞いていたテレナは内心で大笑いしていた。第二学年においてかなりの情報収集能力を持ち、おそらくはその財力で統合王国の王室すら動かせる商会の娘が、政治教育なしに学院に送られたとは考えられないからだ。そして、彼女もまたテレナと同じように盤面を見ることのできる人物であった。
学院は上流階級の子女が通う、実践的教育機関と思われがちである。もちろん、そのような見方が完全に間違っているわけではない。しかし、その構造を理解している学生や保護者にとっては、その後数十年の北側世界の重要人物と知り合い、関係を持ち、そして友となれる貴重な場であった。
テレナは自分の生家が大きくはないがそれでも伯爵を代々務めており、そして自分の分析能力が他の同級生と比べても頭一つ抜けていることを理解していた。だからこそネアは彼女に目をつけ、少なくとも表向きには可愛い後輩として、あるいは思慮深い友人としてテレナと接していたのだ。
「私もここにいるみなさんも、教授と学生の身です。ネアさんやテレナさんが親御さんに頼るとしても、あるいは私が統合王国の友人たちに話したとしても、もし何かが起こっているなら動かすことは難しいのではないですか?」
「……それでも、知ることは出来ます。それは備えることに繋がるのではないでしょうか?」
ネアの言葉に、ヨルワ教授は首を振った。
「先程も言ったように、不相応な学びは害になります。知ったところで避けられないものを知ってしまうのは、苦しみ以外の何物でもないのですよ」
「……それに耐え、苦しみを受け入れ、それでも毅然とすることが学院の学生として求められる態度ではないのですか?」
ヨルワ教授がネアの反論を頷いて認めたことは、テレナにとっては意外なことだった。
「ええ。しかしそれはあくまで理想です。たとえ王でさえ、そのような勇気を振るうことは難しいでしょう。ですから、私達は知ることができることのみを知り、神に運命を委ねることを学ばねばなりません」
ヨルワ教授は敬虔そうに言ったが、シェプルスキアにはその言葉の裏にある諦めを感じることができていた。