信仰を解いて対立を探る 1
沈んでいる。生ぬるい液体に浸かったような中で、乳白色のもやがかかった視界の中にテレナはいる。
不意に周囲の何かが鼻と口に詰まって、痛みとともに胸に苦しみが走る。反射的に背筋を反らしてしまう。頭の中が混乱して、本能が空気を求めて腕と脚がばたつく。
「起きて」
目を開けたのを確認して、シェプルスキアはテレナの身体を引き起こすように寝台から持ち上げた。
「えっ……と、何があった?」
テレナは思考をまとめていく。呼吸ができるようになる頃には、着替えの制服がテレナの横に引っ張り出されていた。
「リュクバーンが礼拝堂で話すってカロネから聞いた」
「よし」
テレナは痛む心臓に顔を歪めながらも、服を着てシェプルスキアに支えられつつ立ち上がった。その足取りは少し不安だったが、靴を履いたころにはましにはなっていた。
「いつ聞いたの?」
「乗馬帰りにカロネさんとすれ違って」
テレナはシェプルスキアの日課を思い出していた。確かに時間的には朝の祈りの時間である。
「了解。聖典はなくていいか」
「ところでテレナって抗議派だったよね」
「叩き起こしておいて今更気がついたの?まあ気にしなくていいわよ、寛容の精神ってやつはどちらも持っているはずだから」
城塞趾までテレナにとっての全速力で、シェプルスキアにとっての小走りで移動しながらなんとか二人は会話をし、少し汗ばんで息を切らしたテレナと緊張しているシェプルスキアは礼拝堂の後ろの方の席にこっそりと座ることができた。
「ここに集まっている人々は、もちろん多くの点で異なります。しかし、そのような差異は神の前では決して大きなものではありません」
リュクバーンのちらりと向けた視線を返すように、テレナは話しているリュクバーンを見た。服は身体にあったものではなく、おそらくはいつもここで話す主僧から借りたものだと思われた。
しかし、ここにいる人の中にリュクバーンが枢要僧であることを知らないものはいないだろう。気さくな態度は近寄りがたい権威ではなく、学院の学生にも手の届くものに見えるだろう。それが演出であれ、あるいは実際に距離を詰めているのかはともかく、一つ間違えば立場を危うくする演出をここまで綺麗に操るのは流石だというのがテレナの分析だった。
「話す言葉も違います。どのような家庭で育ち、どのような聖典を使っているかも異なるでしょう。しかし、それでも信じる神という共通点を持ちます」
リュクバーンの話を聞いて、テレナは少し苦い表情をした。聖座として言える精一杯の言葉であるが、現状の角灯主義者の中でも過激なものから言わせれば権威的だとなるのだろう。
南側の帰伏教は、信仰ではなく文化として捉えられていた。都合よく見えないようにされた隣人として。あるいは、理性を信じる無神論のようなものもあった。もちろん、神学的議論に耐えるだけの無神論への信仰を確立している人はほとんどいなかったのであるが。
それゆえに、神という共通点を持ち出すのはどうしても既存の宗教的権威にすがった議論になるという批判は生まれるのであった。もちろんテレナはそのようなことをおいそれと口にしない程度には理性的であったが。
リュクバーンの説教は、そこまで堅苦しいものではなかった。時折挟まれる彼の旅の中での話は神聖な朝の場にも小さな笑いをもたらした。もともと学院は必要な時以外には厳粛さを求めない傾向があったが、それでも枢要僧がこれをすることの意味は重かった。
リュクバーンは学院を取り込もうとしている、というのがテレナの結論だった。取り込む、と言っても完全な支配下に置くということではない。将来的に聖座がリュクバーンの意図する方向に動こうとする時、それを止めない、あるいは支えてくれるような学院の卒業生がいてくれればいいのだ。
「少し別の箇所を読んでみましょう。もしお手持ちに聖典をお持ちであれば、先ほど読んだ場所の前の章を見てください」
その後にゆっくりと、聞き取りやすい言葉の聖語で語られた一節はテレナがすぐに思い出せない場所であった。普遍派以上に聖典を読み込む抗議派で生まれたテレナであっても、である。そしてその後の説教はリュクバーン自身の体験の話とも相まって、隣人と手を取ることがいかに神の望みである知識を深めることに繋がるかを上手く説明していた。
ある意味では、普遍派の一般的な朝の祈りや説教とは違っていた。しかし、それを誰もができるわけではなかった。聖語についての深い知識があった上で聖典を読み込み、様々な批判を議論の中で乗り越えながら、自身の信念を持って、聖典の言葉を解説していく。それができる聖職者は、ほとんどいないとテレナは考えていた。
もし学問に精通した学生だったら、リュクバーンの話から多くのことを読み取れただろう。そして、同時にいくつかの疑問も浮かんだはずだ。その中には、今の聖座についてのちょっとした改善案のようなものも含まれるかもしれない。
もちろん、それは決して批判という形は取られないだろう。より深い歩み寄りであったり、あるいは新しい視点として捉えられるはずだ。そうして、聖座はより有るべき姿にという名目で変容していく。そのような変容自体はテレナも必要なものだと理解していたが、説教一つにここまでのことを込めることができるとは思えなかった。
「……さすが、リュクバーン」
テレナの呟きを聞いて、シェプルスキアはきっと色々な読み取り方ができる説教だったのだろうなと自身を納得させた。シェプルスキアの理解はどうしても表面的に過ぎない。しかし、旅人であるリュクバーンの経験は傭兵時代の自分と重なるところがどうしてもあった。
もちろん、シェプルスキアはこの礼拝堂の中にいる一人に過ぎない。だが、リュクバーンは話をする時に特定の人に響きやすい言葉を散りばめるという方法を自然に取っていた。集まった人々を見渡し、その性別と年齢、つけているものから読み取れる立場や背景、そういったものを想像力で膨らませながら、しかし一般論から逸脱しない程度に言葉ににじませる。
それは彼の深い知識と非凡な才覚に基づいたものだったかもしれない。しかしその根底にあるのは、リュクバーン自身の深い献身であった。