「導くものの手にある角灯、という表現はヴェツァーが好んで使ったものだ。今日の角灯主義と呼ばれる思想も、ここから来ていると言っていいだろうね」
そう言って、リュクバーンはいくつかの作品を引用していく。なぜ彼がかつて出資者たちとやり取りしていた書簡の内容を言えるのか、テレナは考えるのをやめていた。おおかた聖座の書庫の奥底にでも保管されているのだろう。
相当な準備が必要だったはずなのに、それを感じさせることなく滑らかに彼は話していく。学生の一部はその内容を書き写すことに集中しているが、それが本質ではないと理解していたテレナはペンを置いていた。
「じゃあ、彼はどこからこのような言葉を見つけたのか?それを探るには、彼がかつて学んだ地を見る必要があるんだ」
山脈を超えた統合王国の南の国家、アラザマール教主国。かつてあらゆる学問の先端が集まる場所とされ、新大陸よりの富によって大いに栄え、そして没落した地。
「教主国の宗派について、知っている人はいるかい?はい、そこの君」
「帰伏教の唯一派です」
「その通りだ。唯一派自体は当時の
逃げたな、とテレナは考えた。このあたりを詳しく話すとテレナの家の信奉する抗議派がどのように生まれたかに絡んでくるのだ。もちろん完全に一直線でつながっているというわけではないが、初期の抗議派を支えた神学者たちの見解の根底にある哲学的解釈は唯一派の影響を受けた学者たちによるものだ。
ただ、これを説明した場合には抗議派は異教の流れを組んだ異端であるということになりかねない。もちろんそういった側面は否定できないが、あまりやりすぎるとリュクバーンの思想的源流にあるかつての巡礼団だって唯一派の思想的系譜にあるとも言える。
「それが三百五十年ほど前かな。教主国の船団が新大陸を見つける百年ほど前だ。ところで、この唯一派の創設者は、しばしば松明と結びつけて語られる。彼の異名の一つ、トスィフというのは夜の番のために松明を掲げて持つ人を指すんだ」
「テレナ、知ってた?」
「いいえ」
隣から声をかけてくるシェプルスキアに返しながら、テレナは聞き取った単語を紙に書いておいた。後できちんと調べた上で、実際にそのようなことがあったのかを確認しなくてはいけない。リュクバーンの語りに気を許せば、彼の思うがままに心を動かされかねない。単なる宗派の違いではなく、もっと警戒するべきものをテレナはリュクバーンの中に見ていた。
「ヴェツァーは大内海に面する都市にて生まれ、若い頃に当時の学問の中心であった教主国へと留学した。そこで彼は、当時の最先端であった知識を学んでいる。松明ではなく角灯というふうに言葉を変えたのは、当時の学びの影響もあったのかもしれないね」
そう言って、リュクバーンは教室を見渡した。話が飲み込めていそうな人が半分、納得できなさそうな学生が半分。そんなものか、と彼は冷静に考えていた。
実際のところ、この話はいわゆる角灯主義者には不人気だった。彼らは北側世界の理性を尊重し、南側世界の迷信を嫌っている。リュクバーンとて帰伏教について専門的な知識があるわけではなかったが、この宗教を迷信と言うのであれば普遍派はまじないに過ぎないということは理解していた。
確かに、今の南側世界はかつての栄華に比べれば衰退していると言ってもいい。とはいえ、それが直ちに帰伏教文化が劣っているということには繋がらない。教主国の経済的問題は流入した銀によるものだし、教主制や聖俗を統合した教育制度の抱える問題は形を変えて北側にも存在した。
強いて言うのであれば植民地における世襲領主と派遣官僚の争いは教主国特有かもしれないが、それとて大きな過ちというよりも拡大に伴う必然的な軋轢と見るべきものだった。
「だから、大宗派戦争の当時に様々な邦で働いたヴェツァーの動きを見るとかなり南方の手法を取り入れていることがわかる。灌漑、製紙、行政、基金。もちろんそれらはある程度は北側世界に既に存在したものだけれどもね」
テレナはちらりと先輩であるネアの方を見た。彼女の商会で使われている財務的技術も、その起源は南側世界にある。双簿会計と呼ばれる手法は大内海貿易を通じて北側世界の商業圏に導入されたものだし、今の冷海同盟を支える契約制度は広大な
それは決して北側世界が模倣だけを行っているということを意味しないが、世間で言われるほど南側世界が遅れ、野蛮で、あるいは異質であるという風評を覆すには十分だった。
「とはいえ、彼の活動が当時起こっていた複数の戦争、後にまとめて大宗派戦争と呼ばれる一連の争いに影響を与えることはなかったんだ。彼は眼の前で自分が参議をしていた街を焼かれ、協力する軍のために略奪の計画を作り、そして講和のための使者を追い払った。彼もまた、当時の狂気に飲まれた一人に過ぎない」
狂気とまで言うか、とテレナは考えていた。もちろん、なされた行為そのもので見れば悍ましいものと言っていいだろう。戦禍に慣れた現代の貴族でさえ、大宗派戦争ほどの被害をもたらしたいわけではない。それが試練であると、あるいは神の壮大な計画の一部であると考える宗教者にとって、それは摂理の一部に過ぎない。
だから、それを人間たちの勝手な争いであり、人間の精神に帰すべき問題であると言ったリュクバーンの言い方は明確に聖座の主流派の修辞手法とは異なっていた。
「そして、彼がその狂気を避けるために必要だと考えたのが共通理性。これ自体も帰伏教の哲学者が唱えていた言葉から来ている。本来は異なる文化の人々がなぜ共通の神のもとに集えるのか、という議論の中で提唱されたものだけど、ヴェツァーはそれをより特殊な、ある種の訓練なしには手に入らないものだとした」
かつて読んだ本を思い出しながら、テレナは読み込みが甘かったなと息を吐いていた。もちろん、リュクバーンの語る言葉は解釈の一つに過ぎない。彼ほどの知識と鮮やかな語りがあればヴェツァーが南側への失望と北側への希望として学院を設立したと言うこともできるだろう。ただ、それでもこの話には一応の理屈が通っているなと考えながらテレナは話すリュクバーンを見ていた。