「角灯主義とは何か、という質問に答えるのは難しいものだ」
教室に立ってそう語るリュクバーンに、テレナは期待する視線を向けた。彼の弁舌の腕は今までの授業でよくわかっていたし、その彼がどこまで言えるのだろうかということに興味があった。
「学院の創設者でもあるヴェツァーの理念からすると、世界を一つとみなすという基本方針がある。硬貨の表と裏は、しかし同じ一枚の硬貨を表しているというものだね。ただ、それであれば角灯という言葉を使う理由はない」
テレナは頷いていた。角灯主義という概念の拡散に、学院が大きな貢献をしているのは間違いない。しかしヴェツァーの著書にある多くの題材の中で、特に角灯が選ばれる理由があるとは思えなかった。
「いわゆる角灯主義というものを分類するのは難しいが、大まかに地理的な差異はある。冷海同盟のうちかつて神聖連邦だった地域は、ハッヘンヴルト家の支配から外れた結果として貴族制度を大きく損なった。多くの商業都市が議会を持ち、様々な勢力が複雑に影響力をもたらすようになっている。それは神から与えられた権力が全てを照らすような形ではない」
一応は抗議派への批判のようなことを言っているつもりなのかな、とテレナは考えた。一応は聖座の人物であるリュクバーンにとって、抗議派の多い冷海同盟は布教先でもあると同時に悪しき信仰のある地となっている。そこの体制を安易に評価することは普遍派が主流の地域との問題を引き起こしかねない。
「とはいえ、彼らは神や権力を分析するようになった。中にはそれらの分析対象に反発するようなものも現れた。学院の教育も、それを支えているわけだ」
学院において、神学の占める割合は他の大学のような教育組織と比較すれば皆無と言っていい。もちろんないわけではないが、複数の宗教を比較するような授業が平然と行われるところを見れば宗教ではなく文化としてそれらが捉えられていることがわかるだろう。もちろんその教育者は本職の聖職者ではなかった。普通はそうなのだ。
「同時期に、学院の卒業生が宮廷文化を構築し始めた。二十年近くかけて大宗派戦争の傷を癒やした統合王国においては、音楽や文芸、舞踏や建築といった多くの文化が花開いた。その支援者となった人々のそばには、学院の卒業生がいたんだ」
「質問です、学院の卒業生が支援したというわけではないのですか?」
手を挙げて言った学生に、テレナはいいところを突くなと感心した表情を浮かべた。
「そうだね、実際のところ支援者となった人のうち学院の卒業生がそこまで多いわけではないと僕は思うよ。もちろん、卒業生の中でそういう支援で有名な人はいるけど。結局は学院が次男や三男という決定的な権力を握る地位ではない人々のための場所、というのはあると思う」
テレナは頷いてリュクバーンの話を聞いていた。とはいえ、リュクバーンが多くの邸宅社交界の主であった婦人たちを軽視しているのではないのかなというところは気になった。そういった女性たちは、案外学院出身者が少なくないのだ。上流階級にとって、娘に政治的影響を持たせたいなら学院に送ることはなかなか悪くない手段になっていた。
「しかし、権力と信仰、そして文化の強まった統合王国においては逆にそれらへの批判も大きくなった。王権への批判、教会の堕落の指摘、そして文化への嘲笑は、今の統合王国の角灯主義を語るうえでは外せない要素となってしまっている」
リュクバーンは嘆くように言いながら、彼ら角灯主義者にも一定の理屈があることは理解していた。これらの聖座の教えに反する可能性のある書物を収集し、分析し、必要であれば規制する部門とリュクバーンはそう遠い立場にあるわけではない。そして、これらの部門の長が時折作る報告が枢要僧の持病悪化による引責をもたらしていることは知っていた。
角灯主義者は、しばしばこういった権威を硬直的なものだとみなす。確かに、特に聖座のような千年を越えて存続する組織は頑強だ。しかしそれは、千年を越える間柔軟に目的を変更してきたことを意味するのだ。
聖座は鋼のようなものだ。陶器のように落としても割れることがなく、頑強ではあるが情熱を注ぎ、叩き続ければ形を変えることは可能だ。そして定期的に研げば、その切れ味は長持ちする。リュクバーンは王笏を鋤に鍛え直そうとしていたが、その材料の強さを知っていた。
「同君地域において、角灯主義はほか二つの地域を合わせた以上に複雑だ。その地域にある多くの諸邦と都市では、膨大な量の手紙がやり取りされている。言葉という形で角灯主義が洗練されているのは、やはり同君地域だろうね。そして比較的、実用に足りうるかという側面で角灯主義を捉える傾向にある」
「どうなの、テレナ」
小さな声でテレナの隣のシェプルスキアが聞いてくる。
「だいたいその通りよ、正直彼らは思想とか興味がなくてどれぐらい収穫量と税収と治安維持に効果があるかのほうが重要」
神聖連邦の崩壊により、地方貴族は政治と経済の分野において自立を余儀なくされた。もはや全てを繋ぐハッヘンヴルト家の威光は形骸化し、各地の議会が大きな権力を持つようになっている。管理のための知識は体系化されつつあり、そして臣民への影響力を正当化する手法も構築されつつあった。
「さて、これで三地域については大きく説明できたかな。もちろん、共和王冠国や総権国の取り組みについても語るべきかもしれないが、僕はそこまで足を運ぶ機会がなくてね。己の目で見て、触れることがなければ信じないというのは疑り深いと言われても仕方がないとは思うがね」
主の復活を疑った弟子の一節を思わせる言葉を言うリュクバーンに、テレナはまた危ないことをと考えていた。聖座の解釈では、この弟子は不要な疑念を持ったとされる。とはいえ同時に、抗議派の中にはこの一節から疑いを信仰を深めるための重要な要素とする考えもあった。