角灯の下で乙女らは学ぶ   作:小沼高希

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暗闇に紛れて足音は響く
暗闇に紛れて足音は響く 1


学院のあまり長くない夏の休暇は麦の収穫期と合わせられている。とはいえ、貴族の子女が自ら両手持ちの大鎌を振るうことはまずなかった。これは学院よりも古い歴史を持つ大学からの文化をそのまま取り入れたためである。

 

「そういうわけで、僕もそろそろ去らなくては。あちこちの収穫後の祭りにも顔を出さないといけないしね」

 

旅支度を終えたリュクバーンは、見送りに来た学生たちに言った。テレナとシェプルスキアは、そこにエネトがいないことに気がついていた。

 

「ところで、そういうのに枢要僧って出なくちゃいけないんですか?」

 

手を挙げて聞いたシェプルスキアの質問に、リュクバーンは頷いた。

 

「そうだね、例えばこの中で枢要僧の名前を三十人挙げられる人はいるかい?」

 

シェプルスキアが真っ先に首を振り、しばらくして他の学生も首を振った。テレナでさえ十と少しであればなんとかなったが、三十は辛かった。

 

「僕だってたぶん何人かはすぐには出てこないと思うよ。でも、君たちは僕、リュクバーンという名前を覚えてくれた。別に高貴な生まれでない僕にとって、それはとても大きなことだよ」

 

リュクバーンは医師の息子として育ち、若くして修道院に入った。そこで彼は数年にわたって麦の研究を行うこととなった。彼の名声を高めた数本の論文は、この時に執筆されたものである。

 

老いた院長に代わって一時的に修道院を預かった彼は、聖座のちょっとした政治的混乱に巻き込まれる中で巧みな外交手腕を発揮する。聖座内の改革派に認められた彼は、その経歴からすれば異様な出世を遂げた。とはいえ、これ自体が社会的背景がなくとも実力を認めれば地位を与えるという政治的表明の副産物であったのだが。

 

「だから、リュクバーン講師は祭りに出るんですか?」

 

「そうだね、あとは顔を出す時に祭りのときが一番負担にならないっていうのもある。だいたい地域の偉い人が来るからそれに合わせて準備がされているし、来賓と宿泊客が多少増えても問題ないからね」

 

枢要僧の旅は、もちろん一人で行われるわけではない。供回りにして護衛が数人は必要になる。それは聖座からの見張りでもあったし、リュクバーンの教え子でもあった。今の枢要僧の中には、かつて共に旅をしていた人物から地位を引き継いだ人物もいる。そうやって受け継がれてきたものは、聖座の力の源泉にもなっていた。

 

「わかりました、ありがとうございます」

 

シェプルスキアを頭を軽く下げて言った。

 

「うん。あとそうだ、僕にできそうなことが何かあったら、手紙でもなんでもいいから送ってほしい。必ず返すとは断言できないけど、できるだけ努力はするよ」

 

そう笑いながら言ったリュクバーンにとって、名前を知られることはとても重要だった。彼の家名には威光はなく、彼の家紋に歴史はない。ならば、自身の名前と修道院だけでも覚えて貰う必要があった。

 

そのために、彼はあらゆる手を尽くした。北側世界を巡ってあちこちに顔を出し、知り合いを増やした。一度構築した繋がりを用いて、さらなる繋がりを作った。この時には、逆にリュクバーンの知名度の低さが幸いした。

 

聖座の中で、俗界の上流階級と繋がりのある層は多数派である。しかしそれは逆に言えば、そうではない実力主義の人物も存在したのだ。そして彼らにとって、リュクバーンは生意気でかわいい若手であった。

 

「今後色々あるかもしれないけど、僕からなにか学んでくれたらありがたいね。それじゃあ、さようならだ」

 

リュクバーンが歩き出すと、周囲にいた人がすっと足取りを揃えてついていった。

 

「うーん、悪くはないんだけど」

 

「なに、シェプ」

 

旅人たちの背中を見送るシェプルスキアの呟きを聞いて、テレナは言う。

 

「不意討ちには弱そうだなって」

 

「枢要僧を不意討ちするのを考える人はまずいないわよ……」

 

「なら、護衛なんていらないんじゃない?」

 

「政治的に一人旅って事自体に意味を見出されてしまうのよ。枢要僧の旅としては少人数だけど、公的な訪問でなければそんなものだし。必要になれば追加の人員をそこら辺の教会から集めてくるでしょう。ああ、これができるから聖座は強いのよ」

 

冷海同盟の中には抗議派の国家教会がいくつかあったが、テレナのいるような地域ではより分散した自立教会と呼ばれる組織が一般的であった。緩やかな横の繋がりはあるが、それでも聖座の下部のように階層的な体系が構築されているわけではない。

 

「……そういうものなんだ」

 

「ところで、シェプルスキアは何を基準にして不意討ちには弱そうだ、って考えたの?」

 

「あたしを含めた騎兵班五名」

 

「熟練の傭兵をそれだけ揃えるの、こっちじゃ大変なのよ?」

 

「ううん、あたし以外は学院の学生。ただし、少しだけ私の指揮の下で訓練をしてある」

 

「……相当ね」

 

素質があり、さらに学をつけた若い兵士を、戦場を知っている班長が率いる。戦場ではまず見られない光景である。しかし、学院であればありうる編成であった。

 

「前にちょっとヴィンサート教授と話してさ、そういうことをちょっと気にしておいてくれって言われた」

 

「初耳なんだけど」

 

「ただの雑談だったから……」

 

「戦場帰りは雑にそういう事言うわよね」

 

テレナは呆れながらも、その意味を考えていた。学院の持てる戦力を最も有効活用する場合、シェプルスキアはかなり重要な駒になる。騎兵として、あるいは火力としてそれなりに運用できるし、詳しい指示がなくとも勝手に動いてくれる。

 

もちろん、そのような自律行動は大きな軍隊では採用されない。もしそれをやろうとすれば、戦場について指揮官と同じだけの知識と視野を持った下級指揮官が相当の数必要になる。ヴィンサート教授がかつて鍛えていた騎士団領の軍とて、そこまでではない。

 

誰もが草原を駆けて戦士として、あるいは指揮官としての素質を持っていたイヴェリャン団ならあるいは可能だったのだろう。ここ学院においても、不可能ではないかもしれない。

 

「……学のある兵士?」

 

「なに、テレナ」

 

「いえ、共和王冠国は教育に力を入れていたわよね」

 

「あたしの推薦者が王冠教育委員会ってとこの一番偉い人」

 

「そう。いや、でもさすがにそこまで学のある人を戦場ですり減らすようなことにはならないか……」

 

「籠城戦なら普通にあると思うよ」

 

「……嫌なことを考えさせるわね」

 

テレナはそう言って、眼の前にある城塞趾を見上げた。

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