「第二学年の頭の授業、俺は出られるかわからん」
食堂で隣で座ってきたアニドの言葉に、テレナは頷いた。
「お疲れ様」
「あれアニド君、久しぶり」
テレナを挟んでシェプルスキアが声をかけると、アニドは優雅に頷いた。
「シェプルスキア、嬢とはそうなるか」
テレナはアニドの発音がきちんと共和王冠国のものに寄せられていることに気がついていたが、シェプルスキアはそもそも自分の呼ばれ方をあまり気にしていなかった。
「あまり関わらないほうがいいわよ」
「はーい」
テレナの言葉に素直にシェプルスキアは同意した。王室の庶子という立場の厄介さというのはシェプルスキアでもわかるようになってきていたし、そのような問題を自分が扱い切れるとは思えなかった。
それはそれとして、シェプルスキアにとってどうしても自分が力になれない場面がテレナにあるのは悔しいものだった。
「護衛?」
「王室もまともに信用できる人物がいないんだと」
「アニド君を選ばなくちゃいけないとは、本当にそうだ」
テレナは小さく笑いながら言った。少なくとも、アニドには忠誠心というものはない。王室に対する乾いた慣れのようなものはあるだろうし、捨てる時には懐かしさを感じるかもしれないが、その程度のものに過ぎない。
「夏の休みは長くはない。あっちこっちに行けばどうしても遅れる可能性が高いと」
そう言うアニドに、テレナは頷いた。
「学生から学ぶことを奪うとは。いや、それもまた学習、かな?」
「まあ、得難い学びではあるがな。終わったらこっちの勉強の内容でも共有しようか?」
「対価のつもり?」
「役割分担ってやつだ」
アニドはテレナが学院という舞台で果たす役割をかなり高く評価していた。少し前に起こったファーネスタ閥の分裂は、学内の勢力争いという概念を潰すことに成功した。外の世界で婚約破棄があくまで聖座の中の人間関係の問題として落とし込まれたように、学院においても個人的な色恋沙汰としての結末が用意された。
そのためには、形成されていたファーネスタ閥という存在は誰にとっても邪魔だった。当のファーネスタでさえ、勝手に行動して責任を押し付けてくるような集団はこの時点ではもはや疎ましいものになっていた。そのためにファーネスタ閥の小物の一人を完全に転向させた上で、それをファーネスタにつける首輪にまで仕上げたのはテレナに他ならない。
だからこそ、アニドはテレナに積極的に渡せる情報は渡すようにしていた。どうせ誰かの噂には上るのだから真っ先にそれを伝えられる立場を手に入れること、そして対価として自分が動きやすくなる知識を手に入れること。それができるのはテレナのおかげだった。
「……私は、よくまあアニド君がみんなから信頼されると思うよ」
「俺だってわからないさ。かなり無礼な振る舞いをしているつもりなんだが。爺さんの威光ってやつはここまで眩しいのかね」
「大粛清を覚えている世代からすれば脅威でしかないのでしょうよ」
「せめて憎き敵の一族とでも思ってくれるようでなければ困るんだがな」
「移譲?」
テレナはアニドの想定している事態について呟いていた。代々続くルメンの名が止まる可能性をアニドは考えているのだ。
「統合王国は文字通り統合されているからな、剣が一本しかない騎士のようなものだ」
「小さくとも切れ味の鋭い短刀がほしいところだけど」
「それも今回鈍っていることが確認できたからな」
小声の会話を聞くことのできたシェプルスキアは、なんとなく二人の言うことがわかってきた。剣は王室、短刀は地方派。アニドとしては地方派がきちんと力を持ってくれなければ統合王国は回らないのに、それが弱まっていることを心配しているのだろう。
「ねえ二人とも、質問があるんだけど」
「なぁにシェプ」
「短刀ってさ、よく研いでおくのって大事だけど時々間違えて自分を切ることない?」
シェプルスキアは刃物の扱いに慣れていたが、それでも指を傷つけたことぐらいはあった。もちろん、この質問のようなことはまず現実では起きなかったのだが。
「いい質問だ。とても」
アニドはそう言って、テレナのほうに笑みを浮かべた。テレナは頷きながらも、おもったより早いなと考えていた。この手の会話のために必要な慣れというものをある程度成長してから身につけるのは難しい。
アニドのように生まれてから全て表面的な言葉でのみ交わされる政治的会話の中で生きるか、あるいはテレナのように膨大な知識に基づいて高速で解釈を行うか。シェプルスキアは両方を合わせたやり方を取っていた。
テレナとの会話の中で、シェプルスキアの知識は急速に蓄積されていた。同時に戦場で磨かれた勘は、社交界という戦場を想定した学生同士の会話という模擬戦程度であればそれなりに戦えるだけの能力をシェプルスキアに与えた。
「そうね、でも剣が折れた時に代わりの武器が必要になることがあるでしょう?他人から借りるか、あるいは懐に忍ばせていたものを使うか。誰かから借りると、人間関係が面倒になることがあるのよね」
王室というものは、血による権威が欠かせない。今のルメンの名を遡った先にあるルメン一世すら、遠縁を辿って統合王国に呼び寄せられたものなのだった。そして王室は王国の統合のために血を臣下に広く配った。地方派とは、王室の予備でもあったのである。
「ああそっか、剣が折れるぐらいの激しい戦いのことを二人は話していたんだね」
シェプルスキアは納得したかのように頷いて、食事に戻った。
「さすが指導役を任せられただけのことはあるな」
アニドに言われて、テレナは息を吐いた。
「ただの学生としての役目よ。それと、授業の記録ぐらいは友人として普通に受けるわ。学生らしいお返しを期待している」
「逆に面倒なことを言ってくるな。まあ、何かいい土産でも持って返ってくるよ」
アニドはテレナにそう返しながら、酒の持ち込みでもするべきかなと考えていた。政治的な意味合いが薄く、証拠が残りづらいもの。そしてある程度、日持ちすることが望ましい。そうすると酒というのは実に適切なのだ。瓶の一本程度、貼られている紙さえ剥がしてしまえばどこの由来かは読み取られることがあったとしても詳しいことはわからないはずだ。
そういう事を考えつつ、まるで学生らしくないなとアニドは小さく笑って小さく切った肉を口の中に入れた。